2013年01月01日

第百四十二話 お前、私を虐めるのもいい加減にしろよ!

 猫も杓子も写真を撮っては超スタにアップロード。
 今はまだ麻帆良学園都市内という、一地方都市のローカルな流行ではある。
 しかしながら超スタは、驚くようなスピードで広まっていた。
 麻帆良学園都市内の各学校、各クラスにあったはずの体育祭に関連した流行が、ほとんど塗りつぶされてしまう程に。
 もちろん、体育祭に関連する写真も多く投稿されてはいた。
 ただ体育祭以外の、学生たちの日常、青春を映した写真が圧倒的多数を占めていたのも事実だ。
 それは元からエロ自撮りが流行していた二−Aも例外ではない。
 単にむつきに送り付けるか、超スタにアップロードするかの違いだけではあったが。
「えーっと……」
 授業が終わり休み時間に入るや否や、皆が自撮りまたはグループで写真を撮る中。
 自分の携帯電話を胸元に抱え、きょろきょろしていたのは佐々木であった。
 普段は亜子やアキラ、明石と写真を撮っているが、毎回同じグループではコメントが付かない。
 特にクラス内ではむつきのコメントが付くことが何よりのステータスである。
 誰と撮ったらとパートナーを求める中で目が惹かれたのは、教室の片隅にいたエヴァであった。
「よくもまあ、飽きもせず……」
 クラスの流行に我関せず、自席で呆れた表情を隠しもせず頬杖をついている。
 休み時間に入って自席におとなしく座っているなど彼女ぐらいのものだ。
「なあ、茶々ま」
「あ、明石さん。よろしければ、私と自撮りを」
「んー、全然オッケーにゃあ。そこ行く、くぎみーも一緒に撮らない?」
「くぎみー言うな。エロなしなら良いよ」
「なぁ?!」
 明石を誘い写真をとる茶々丸へと向けて、裏切ったなとばかりに驚愕の顔を向けていた。
 しかも一人誘うだけならまだしも、明石から釘宮とその輪が広がっていく。
 従者に置いてきぼりにされ、ふんっと鼻を鳴らそうとして佐々木とエヴァの目がばっちりあった。
「ねえねえ、エヴァちゃん。一緒に写真撮らない?」
「ふん、なぜこの私が……と、言いたいところだが。気まぐれに付き合ってやろうではないか」
 お互いの利害が一致した瞬間であった。
 佐々木は超スタに写真がないエヴァのレア度が目当てで、エヴァは写真を撮ることそのものがだ。
 椅子を軽く飛び降りたエヴァが、自撮りに掲げられ携帯電話を佐々木と共に見えあげる。
 カメラのシャッター音を待っていると、視界の端に見えた亜子がこちらを見ていた。
「エヴァちゃん、カメラ目線。先生が笑顔になるぐらい可愛く笑って」
 誰かに見られたら親友かと聞かれるぐらい、ぴったりと体をくっつけた状態である。
「お前、普段交流の全くない私と良くここまで馴れ馴れしくできるな」
「ん? 友達なら普通じゃないの?」
「誰が友達だ」
「エヴァちゃん。撮るよ、そろそろ腕と首痛いから」
 頬までぴったりと引っ付かれ、抗う気力もなくして再び携帯電話のカメラを見上げる。
 視界の隅ぎりぎりにいる亜子が、声を出さずエヴァにだけジェスチャーをしていた。
 自分のスカートを両手でつかみ、扇ぐようにパタパタしている。
(そういうことか)
 頭上の携帯電話を見上げピースサインをする佐々木は、ほかの事が全く目に入っていない。
 こいつは大丈夫なのかと佐々木の将来が心配になりつつも、きちんと彼女のスカートをめくりあげる。
 濃いめのピンクとちょっとだけ背伸びした黒のストライプ。
 ちょっとの背伸びは、少なからずむつきにパンチらを見られたせいもあるだろう。
 自撮りしながらスカートめくりされる佐々木を、亜子が少し離れた場所から撮っていた。
「やった、レアなエヴァちゃんとのツーショット。先生のコメントは二人でわけっこだね」
「むつきなら、まあコメントするだろうな」
「でしょ、でしょ!」
 エヴァの手を取り無邪気にはしゃぐ佐々木に悟られないよう、亜子が小さく手を振っていた。
 どうやら先ほどのちょっと間抜けな自撮り写真の写真は撮れたらしい。
 確かにコメントされる確率は高い、亜子が撮った方の写真でだ。
「あっ、そうだ」
 ちょっと調子に乗った佐々木が、さらにエヴァに提案してきた。
「今日の夜は、ちゃーしゅーの名月なんだって。良くわかんないけど、お月様が綺麗らしいからお月様と一緒に写真撮らない?」
「中秋だ、ばかもの。中秋の名げ……ん?」
 めまいを感じたかのように、エヴァが腰砕けになって膝を曲げた。
 これに驚いたのは佐々木である。
 先日も調子に乗って意図せず、むつきの腹に膝蹴りを打ち込んでしまったのだ。
 また何かやっちゃったかもと慌ててエヴァを支えて、彼女の自席の椅子に座らせた。
「エヴァちゃん、私何か。お茶とかいる? いるなら買って来るけど」
「ああ、大丈夫だ。お前は何もしていない」
「本当、本当に?」
「むつきに今日、姉が来ることを伝え忘れているのを思い出しただけだ。忘れたままなら、姉にどやされるところだった。むしろ、感謝するぞ佐々木まき絵」
 もちろん、姉ことアタナシアからエヴァに連絡など来るはずもない。
 心配する佐々木を安心させるために口を突いて出た言葉だが、ある意味でエヴァの本心でもあった。
 一番ショックだったのは、吸血鬼たる自分が一年で一番満月が輝く中秋の名月を忘れていたことだ。
 以前ならその満月を前に少しだけ開放された魔力で夜空の散歩に出かけたことだろう。
 だが今のエヴァが一番したいことは、中秋の名月をアタナシアとしてむつきと楽しむことだった。
 そしてその後に、気分が盛り上がった男女がすることは一つである。
「四葉五月」
「はい、なんでしょうか?」
 さよと一緒に癒し系コンビで写真を撮っていた五月に声をかける。
「貴様の事だ、月見用の団子を用意しているだろう。少し回してくれ、対価は払う」
「いいえ、対価はいりません。一緒に食べられる先生の感想さえ頂ければ」
 殊勝な物言いだが、頼むのが自分である以上それはエヴァとしても受け入れがたかった。
 中秋の名月を忘れていた現状、これ以上は吸血鬼としての矜持を忘れたくはない。
「いや、払った上でむつきの感想も伝える。それからさよ」
「はい、大丈夫です。恥ずかしながら、最近は体育祭の練習で妻としての夜のお勤めまで体力が持たず……」
「それは良いことを聞いたが、逆に不安にもなるな」
 むしろむつきの滾りを受け止めて欲しいとお願いされるが、一人であれを受け止めきれるものか。
 自分が楽しむのはもとより、むつきがより楽しむ方が大事かと切り替える。
 さよにも何か対価をと考えつつ、両手で一文字ずつ拙い手つきで携帯電話を操作し始めた。
 その様子をエヴァの携帯電話を覗き込みながら、あまりの遅さに佐々木が言った。
「エヴァちゃん、代わりに打ったげよっか?」
「貴様、まだいたのか。写真ならもう撮ったろうが。ほかの奴と撮ってこい」
「まき絵さん、私たちと写真撮りませんか?」
「あっ、撮る撮る。エヴァちゃん、またね。撮りたくなったら、何時でも言ってね」
 見かねたさよが佐々木を誘うと、跳んで跳ねて離れていった。
 無邪気な子犬を離れさせてくれたさよへの対価に色を付けようと決め、携帯電話の操作に戻る。
 ぽちぽちと一文字に数秒かかりながら、休み時間が終わり、授業が始まって十数分後までにメールを送り付けた。









 教材や出欠簿を一纏めにしてトントンと机の上で揃え、鍵付きの引き出しの中にしまい込む。
 その様子を視界の端に捉えた隣の席の二宮が、職員室の壁に掛けられた時計を見上げた。
 時刻はまだ十七時となったところであり、上りにしては結構早い時間であった。
「あら、こんな速い時間にあがりってことは、もしかしてこれからデートですか?」
「あれ、わかっちゃいました?」
 半分冗談の問いかけを肯定され、それは羨ましいこととため息交じりに笑う。
 特に声を潜めていたわけではないので、近くにいた瀬流彦も二人の会話に反応していた。
「そうか、そういえば今日は中秋の名月だっけ。ということはお月見デートかあ、羨ましい」
「羨ましいって。瀬流彦先生、あれから青山さんとは?」
「時々、メールはしてるよ。だけどお互いに物凄く会話がかみ合わなくて。正直、僕の方は気疲れが凄い。途切れそうで途切れないし、僕とメールして何が楽しいんだろう?」
「えっ、なにそれ初耳。瀬流彦先生、ちょうどここに良い相談相手いますよ?」
 面白そうな話だと、二宮先生のターゲットは完全に瀬流彦に向いていた。
 やはり完成されたカップルののろけより、未完成のカップルの話の方が面白いらしい。
 自分から注意もそれたので、むつきはお先にと悩める瀬流彦を置いてあがることにした。
 もちろん、普通の同僚以上の交友はあるため、後日相談にのるぐらいのことはするつもりだ。
 ただ例え親友に近い友人が悩んでいようと、何事にも優先事項というものは存在する。
「それじゃあ、お先に」
 二人とほかの先生からお疲れ様の声を貰い、職員室を後にする。
 既に大半の生徒は下校済みのため、上機嫌に車の鍵を放り投げたりと弄びながら廊下を歩く。
 二−Aの面々も今日はグラウンドが使えない日なので、早めに寮に帰っているはずだ。
 軽く周囲を見渡し誰もいないことを確かめ、携帯電話で超スタのアプリを起動しようとして止める。
 歩きスマホで夕映とぶつかったばかりであるし、職員用玄関を出て車まで十数メートル。
 一分もかからない距離を早歩きで車までたどり着き、運転席について改めて携帯電話を取り出した。
 予想どおり暇と体力を持て余した子たちが、ちょっとエッチな自撮りを上げまくっていた。
 数が数なのでどうしても流し見になってしまうのだが、目についたものは後でコメントするために記憶しておく。
 シャワー後のバスタオル一枚のみの艶姿で、胸元ではなくうなじを強調した和美のポイントは高い。
 ホワイトチョコとのタイトルで、口内で溶かしたそれを口を開けて撮っているのはザジである。
 白く濁った液体の中に舌を躍らせ、口内射精の後にしか見えなかった。
 今年の水着の見納めとばかりにスクール水着を着ているのは美沙だが。
 突き出されたお尻には縦にジッパーの線が続いており、手をお尻に回しそれを開こうとしていた。
 ザジと美沙は完璧アウトなのでお小言様に覚えておく、性的な魅力が過ぎる。
 あと目を引かれたのは、二枚。
 エヴァを引っ張り込んで自撮りする佐々木と、そんな二人を離れた場所から映した一枚だ。
「良くエヴァを引っ張り込めたな、ジト目だけど。それで案の定、これやらせたの亜子か」
 投稿者名に亜子の名前があったが、仮になくてもなんとなく察することができる。
 携帯電話の時間を確認し、コメントをうつ時間ぐらいと指を走らせた時であった。 
「全く、これから美女とデートだというのに何を見ているかと思えば」
 後ろから伸び出来た白い手が、携帯電話を奪っていった。
「うおッ?!」
 自分がどこに座っているかも忘れて驚いたせいで、ハンドルにガツンと膝をぶつけた。
 声の主はすぐさま脳裏に浮かんだが、それどころではない。
 最近、こんなことが多いと涙目で見上げることができたのは、やはりアタナシアであった。
 どうやって車に乗り込んだのか、後ろの席から身を乗り出すようにしてむつきの携帯電話をみている。
「全く、ドジだな。この私がわざわざ出向いてやったのだ。もう少し、喜びようというものがあるだろう? ふむ……」
「全く持ってそのとお……何してんの?」
 ごそごそと助手席に出てきたアタナシアが、再び身を乗り出すように運転席へと体を傾けていた。
 むつきの携帯電話は腕を伸ばした先に置き、自撮りなのだろうとは察することができる。
 ただ腕でも吊ったかのようにアタナシアの指はなかなか携帯電話を操作できないでいた。
 操作以前にそもそもカメラが起動すらしていない。
「ほら、貸して」
「ほ、本当はできるんだぞ。違う機種だから、操作が分からなかっただけで」
「はいはい、そうやってムキになるところ本当にそっくりだわ」
 自分は前かがみに、逆にアタナシアは抱き寄せ、取り上げた携帯電話で斜め上から自撮りする。
 再び携帯電話はアタナシアに奪い取られ、なにかポチポチやっている。
 自分の携帯電話にでも送っているのか。
「アタナシア、そろそろ車出すからシートベルト」
「んー、あと十分」
「長いわ。良いからシートベルトしなさい」
 しぶしぶといった様子でアタナシアがシートベルトをし始める。
 その間もチラチラと携帯電話を見ており、遅々として進まずベルトがセットされない。
 一体さっきの写真をどうするのかと手元を覗き込むと超スタが起動されていた。
 それだけならまだしも、先ほどの写真をアップロードしようとしているではないか。
 よりによって二−Aのグループ内にだ。
「馬鹿、何あげようとしてんだ。しかも俺のIDで。クラスのグループに彼女とのツーショットとか、空気読めてないにもほどがあるだろ!」
「どうせ私と付き合っていることになっているんだ。ちょっと私の男だと自己主張しても良いだろ」
「やめて、凄い面倒なことになるから!」
 そんなことをされれば、今度は自分とのツーショット写真が流行りかねない。
 そんな考えはうぬぼれであって欲しいが、そうならないと言い切れないのが恐ろしい。
「兎に角、携帯をかえしなさい」
「嫌だ、むつきとイチャイチャした写真を見せびらかしたいんだ!」
「欲望全開だな、おい。そうだ、何して欲しい? おとなしく返してくれたら、何でもしちゃうぞ?」
「なんでも?」
「なんでも」
 なんでもは言い過ぎた気はするが、アタナシアの気が引けたので良し。
「キスしろ。凄く甘い奴、ちゃんとする前に好きって耳元で言うんだぞ」
「可愛すぎか」
 携帯電話で顔を隠しながら、最初のキスを命じた言葉以外はか細く消えそうな声だった。
 携帯電話の液晶画面よりも明るいぐらいに赤面している。
 口にした通り、なんでもしてあげたくなってしまうではないか。
 自分とアタナシアを縛るシートベルトを外し、アタナシアを抱き寄せ首元に顔をうずめる。
 正確にはその耳元に唇を寄せ、甘い言葉の一つの囁こうとした時のことであった。
 コンコンっとノックの様な音が二人だけの世界に割り込んできたではないか。
 無粋な音を無視したのだが、即座にしかも今度はタイミングを速めてココンッとノックされた。
「もうなんだよ、誰だよ。空気読……に、新田先生」
 振り向いた先、運転席のドアのすぐ外に眉間にしわを寄せた新田が立っていた。
 完全に忘れていた、ここが麻帆良女子中の教師用の駐車場であることを。
 思いっきりひきつった笑いを浮かべ、むつきは死刑執行を待つ囚人の様な表情で窓を開けた。
「すみま」
「女性を待たすものではない。楽しんできなさい」
 謝罪の言葉は手の平で止められ、苦み走った顔ではあったが意外にも雷は落ちなかった。
 教師用の玄関口では数人の先生方がいたので、あの辺りから新田に話が行ったらしい。
 学校の敷地内で彼女とイチャイチャしていたむつきが一番悪いわけだが。
 彼女がいる目の前で失跡されるところを見せないための配慮なのかもしれない。
 明日になればまたわからないが、今は新田の気づかいに甘えるほかなかった。
「は、はい。アタナシア、シートベルト」
「ふん」
「ヘソ曲げてないで、シートベルトぉ!」
 こちらはこちらでヘソを曲げたらしいアタナシアのシートベルトを大急ぎで締めてやる。
 運転席側の窓を締めながら新田に頭を下げて、そこそこ急いで車を発進させた。









 イチャつき現場を新田に抑えられたり、それでアタナシアがへそを曲げたり紆余曲折あったものの。
 むつきが運転する車は、麻帆良女子中学校から二十分ほど走った場所にある公園についていた。
 山とまでは言えない小高い丘の上にある公園で、周囲は森に覆われ住宅など全くない。
 駐車場には他の車は一台としてなく、アタナシア曰く穴場とのことである。
 中秋の名月のような特別な夜には、自分たちの様なカップルがいてもよさそうなものだが。
 魔力的なもので人払いされているなど、むつきには思いもよらないことだ。
「おお、良いながめじゃん」
 車を降りてすぐ目の前にあった腰ぐらいの木造の柵に手をかけて、軽く身を乗り出して眺めた。
 柵の向こう側はなだらかな坂になっており、一面に夏の名残のをススキの大群が覆っている。
 少し肌寒い夜風に吹かれ、さらさらと穂がすれる音を虫の鳴き声の合間に響かせていた。
 ススキの穂の向こう側には麻帆良の街並みが夜景として広がっていた。
 しかし、普段はその夜景こそが一番の見どころなのだろうが、上には上がいたのだ。
 視線一杯の街並みのさらに上の上、大空では中秋の名月が夜景を薄れさせるほどに輝いている。
「うむ、眩しいぐらいの良い月明かりだ。むつき、そこのベンチに座るとしよう」
「あいよ」
 そう言ってアタナシアが指さしたのは、駐車場脇にある風雨でボロボロになった木製のベンチだ。
 むつきが座るには十分過ぎる代物だが、アタナシアが座るとなっては役者不足が否めない。
 ポケットに手を突っ込みながら、座ろうとしていたアタナシアを少しだけ止める。
「ちょっと待った。はいどうぞ」
 取り出したハンカチをパンっと叩き広げると、彼女が座ろうとしていた場所に敷いてあげた。
「気が利くな。感謝するぞ」
「どういたしまして」
 むつきの安いスーツとは違い、どう見ても値段の張りそうなナイトドレスなのである。
 小さいと言えば小さいがむつきの気づかいに、アタナシアも悪い気はしない様子だ。
 車から持ってきたランチバッグから鼻歌を歌いながらお月見団子の入ったタッパーを取り出した。
 少し深い高さのあるタッパーで、わずかながらにでもピラミッドの様に積まれている。
 お団子のお供は、別途水筒で持ってきた緑茶であった。
 湯気が出るぐらい熱いそれを水筒のカップに注ぎ、アタナシアがそっと息を吹きかける。
 口紅を塗った形の良い唇から吹かれる吐息が、飲むには厳しい熱さのお茶を少しずつ冷ましていく。
「熱いぞ、気をつけろ」
「冷ましてる姿が、ちょっと色っぽい」
「美人は何をしても様になるものさ」
 謙遜一つないその言葉にため息の一つもでなかった。
「普通なら自分で言うかって笑うとこだけど、説得力が凄いわそのセリフ」
 お茶をずずっと口から喉に通すと、いつの間にか夜風に冷え始めていた体が温められていく。
 ほっとしたのもつかの間、くいっと袖を引っ張られ振り向かされる。
 目の前に差し出されたのは今夜のお月様並みに丸くて白いお団子であった。
 爪楊枝にさしたそれを手を添えて差し出された。
「ほら、食え」
「あーん」
 言い方こそぶっきら棒だが、美人の彼女にそうされて嫌がる男がいるはずもない。
 口に放り込まれた団子のほのかに甘い餅を噛みちぎると、塩気を含んだあんこの濃厚な甘さが広がった。
 たまらずもう一度渋いお茶を流し込み、口内に残る甘さに酔いしれる。
 時間が時間だけに空腹という調味料もあったが、あまりの美味さに目じりに涙が浮かびそうだ。
 夜の闇に穴が開いたような丸い月を見上げながら幸せに浸っていると、再び袖を引かれた。
 隣にいたアタナシアが少し不満そうに、爪楊枝の取っ手側を差し出しながら自分の唇に指をあてている。
 何をしてほしいのか、改めて確認するまでもないことだろう。
「ほら、あーん」
「あーん」 
 タッパーから月見団子を一つ爪楊枝で突き、お返しでアタナシアの口に運んであげる。
 むつきと同じように餅とあんこの二重奏、むつきの手の中から奪ったお茶で三重奏。
 最後にすべてを飲み込みほっと夜空を見上げて締めに名月で幸せの四重奏の完成だ。
 いや、欲張りなアタナシアはそれでも足りなかったらしい。
 二人の間にあったタッパー入りの月見団子が邪魔と膝の上へ移動させる。
 タッパー一個分の距離を詰め、隙間の一つもないぐらいぴったりとむつきによりそった。
 むつきもそんなアタナシアの腰を抱き寄せ、空いた左手の爪楊枝で団子をすくい上げる。
「もう一個、食べる?」
「もちろんだとも」
 アタナシアの口に二個目の団子を運び込んだが、その手の中のコップは空に近い。
 コップを拝借したは良いものの、右手はアタナシアの腰に添えたままだ。
 一旦手を放そうとすると途端にアタナシアの眉が吊り上がる。
 どうしろとと思っていると、両手が開いていたアタナシアが水筒のお茶をむつきの持つコップに注ぎこんだ。
「冷ますのはお前の仕事だぞ」
「はいはい」
 言われたとおり、コップの中で湯気を立てるお茶を冷ますために息を吹きかける。
 そんなむつきの様子を見て、アタナシアはしみじみと己の幸せを感じていた。
 今は魔法で人払いしているが、仮に他人が見ればどこにでもいる男女だろう。
 まあ、自分はどこにでも、世界中を探してもいないような美人だが。
(満月のお陰で多少なりとも戒めが緩んでいるのを感じる。人払い程度はこの身でも十分に可能なほどに……)
 ただ今の自分は、そんな貴重な時間をたった一人の男と二人きりになることにだけ使っている。
 もうそろそろ良い具合にお茶が冷めたかと、何度もお茶の表面に息を吹きかける男のために。
 それがどこまでも楽しく、うれしく、背中がこそばゆくなるぐらい恥ずかしい。
「おい、いくらなんでも冷まし過ぎだ。子供じゃないんだぞ」
「じゃあ俺が飲んじゃって、新しく注ぐわ」
「それが良い。よこせ」
 熱い冷たいはさほど問題ではない。
 むつきが自分を思って時間をかけただけ美味くなるのだ。
(たかが携帯電話のパスワードに騒ぎ立てる小娘と変わらんな)
 もう少しだけ近づこうと座りなおしたが、もはや近すぎてお尻の位置は変わらなかった。
 それ以上どうしようもないはずだが、悔しくてほんの少し頬を膨らませる。
「どうかしたか? ボロいベンチだから、お尻痛かった?」
 そんなわけあるかとちょっと張り倒したくなったが、代わりに悪知恵が働いた。
「この私に相応しい椅子とは、到底言い難いからな。ああ、お尻が痛い。誰かさんが優しく撫でてくれると良いんだが。痛い、痛い」
「いやあ、折角のお月見で。ちょっと早いんじゃないかなあ」
 むつきにしな垂れかかり、胸を押し当てながらアタナシアが耳元でささやく。
 お互い最終的にはそのつもりではあった。
 それがひかげ荘かラブホテルでかはさておき。
 アタナシアのフライングともいえる行いに、むつきの声は少々上ずっていた。
 その割に腰にあった手がそのグラマラスなラインに沿って滑り落ちているのだからわかりやすい。
(チョロい)
 そんな風に思われているとも思わず、お月見ですからと空を見上げながらむつきの手は滑り落ちる。
 その手が体を這う感覚にアタナシアが身じろぐと少しだけ止まった。
 しかし首元に感じるアタナシアの吐息を前に、先を急ぐようにまた這い始めた。
「痛いからしょうがない。手当って本当に効果があるらしいぞ、テレビで言ってた」
 尻の丸みを確かめるように撫でながら、誰に対してのか言い訳なのか。
 あの頭上のお月様とどちらが丸いか、比べるように何度も撫でまわす。
 手の平は勿論、指先のさらに爪先に至るまで全神経を集中して、しっかりと確かめる。
「むつき」
 アタナシアの熱を帯びた呼吸が首筋に当たり、より熱っぽい声でささやかれた。
「キス、して」
「うん」
 お月見も月見団子もそこそこにして、お互いに見つめ合う間もなく唇を触れ合わせる。
 小鳥がついばむ様に何度も唇を触れ合わせ、より深くに潜り込む。
 少しの塩味と甘みを味わう様に舌と舌を絡めあったその時であった。
 ザリッと何か抉るような音を二人が同時に聞き、むつきだけが舌の上に走る痛みを感じた。
 すぐさま唇を離し、確かめようと舌を出したむつきだが自分では見ることはかなわなかった。
「いへぇ」
「ぁっ」
 気づいたのは目の前でそれを見せられたアタナシアであった。
 むつきの舌の一部が何かで傷つけられたように血が滲んでいた。
 考えるまでもない、この満月の影響で戒めから解放された魔力と共に現れた牙のせいである。
 普段は八重歯以下の存在感であるが、今は人が指先で触れれば皮膚を破り肉を抉るぐらいたやすい。
 そもそも吸血鬼の牙はそうやって血を吸い上げる目的のために生えているのだから。
「す、すまん。今、その……歯医者で治療中の歯があって」
「へーき、へーき」
 むつきが少々呂律の回らない口で喋っているが、アタナシアとしては内心穏やかでない。
 意図しない形でとはいえ、むつきを物理的に傷つけてしまったのだから。
 半面、牙で引っかけたことにより口の中に広がる微かな血の味、好いた男の血の味に体の奥底から喜びが湧き上がってくる。
 体は紛れもなく喜んでいるが、返ってそれがたまらなく不快で仕方がなかった。
 むつきという人間と、吸血鬼である自分の差をまざまざと見せつけられているようで。
「もう一回」
「え?」
 自分への苛立ちに囚われ、笑いかけてきているむつきがなんと言ったか聞き逃した。
 厳密には理解が遅れただけで、何を考えるよりも前に反射的に拒否してしまった。
「やだ」
「もう一回!」
 伏し目がちに顔を背けるアタナシアを抱きしめる様に引き寄せ、むつきが強引にその唇を奪い取る。
 むつきからすれば、あくまで自分の不注意から発生したアクシデントに他ならない。
 アタナシアが目を伏せる理由など一つもなく、だからもう一度やり直す、それだけのことだ。
 言葉にして見せた通り、アタナシアは唇を堅くとしていたが、長く持つものではなかった。
 入れてと言いたげにむつきの舌がアタナシアの唇の隙間をこじ開けようとうねってきた。
 つい今し方、怪我で血の滲んだその舌でだ。
 愛しい相手の血の香りと匂いの誘惑にいつまでも抗えるものではない。
「んーッ!」
 最後の抵抗とばかりに言葉にならない声を上げたが、逆にそれがきっかけとなってしまった。
 声を上げるために唇がわずかに開き、むつきの舌が再びアタナシアの中へと伸びてくる。
 アタナシアも半分あきらめの気持ちで出迎えようとしたが、いつもとその動きが違う。
 普段なら二匹の子猫がじゃれあう様に絡み合うくせに、別の場所へと向けてうねるではないか。
 ツンツンとむつきの舌先が突いたのは、アタナシアの牙の一本であった。
 つい先ほど先端が刺さったそれを安全を確かめるようにつんつんしている。
(なに、何をしているんだこいつ?!)
 まだ舌が痛むであろうに、それを酷使して一体何をしているのか。
 むつきの意図がよめずされるがままのアタナシアは、次の瞬間に未知なる快楽を知る。
「んぅっ!」
 何度も安全を確かめながら牙に舌先で触れていたむつきが、舌先でその表面を撫でたのだ。
 牙と言えど他の歯と変わらない滑らかな表面を磨くように、舌で愛撫していた。
(い、今変な……なにを、何をされぁっ!)
 大事な家伝のツボでも磨くかのように、丹念に舌先で吸血用の牙が磨かれる。
 表面だけではない、口がひどく疲れるだろうに器用に裏側までも。
「待っれ、変に待ッ!」
 このままじゃダメになるとむつきを引きはがしにかかるが、こんな時ばかり強気になるのだこの男は。
「待たない!」
 肩を後頭部をそれぞれ腕で抱きかかえられ、ガッリチと固定化されてしまう。
 その結果、ベンチの上で押し倒されるような格好で弓なりに背を張った状態で唇を奪われ続ける。
 いや奪われるのは全然構わないのだが、牙を執拗に愛撫されるのだけは我慢ならなかった。
 決して嫌なわけでは絶対にない。
 牙が舌先で愛撫されるたびに、キュッキュという振動が骨身にまで響いてきていた。
 嫌などころか、未知のその感覚が気持ちよすぎる。
(い、いかん……我慢できな)
 今もなお骨身に直接響く愛撫が、女の胎にまで響いて影響を与えてしまっている。
 とろとろと染み出した愛液が下着を濡らし始めてさえいた。
 今日の為に履いてきた取って置きの一枚が、むつきにその姿を見せる前に汚れてしまう。
 膝の上に置いた月見団子を落としかねないと心配する余裕さえなかった。
 その証拠に腰が浮き、覆いかぶさられていない右足がふわふわと浮き上がり始めていた。
(キスだけで、この私が。いや、これはキスなのか?!)
 度重なる牙への愛撫に、もう何も考えられなかった。
 力いっぱいむつきのスーツの背中を書き抱き、愛撫に導かれるまま昂り続ける。
「も、もう無理ぃ!」
 昂り続けた体が破裂するように跳ねた、何度も痙攣するように跳ねた。
 さらに体をのけぞり、右足が中秋の名月を蹴り上げる様に空へと伸ばされている。
 空には満月、地上のベンチの上に綺麗な三日月が生まれていた。
 むつきの強引な支えがなければベンチに頭を打つか、倒れこんでいたことだろう。
「んっ、もういっら。いっらかんぅ!」
 呂律が回らないのはイッたからだけではない、それでもなおむつきの愛撫が続いていたからだ。
 このまま続けさせたら、イキ殺される。
 心臓に杭を打ち込まれ死ぬならまだしも、牙を舌で愛撫され殺されるなど恥以外の何物でもない。
 必死だ、本当に必死になって懇願にも近い声を上げてアタナシアは抵抗した。
「やめれ、わかったから。牙を虐めらいれぇ!」
「八重歯?」
 やっと牙への愛撫を止めてくれたむつきが、口元をぬぐいながらそんなことをつぶやいた。
「あー……そういえば、八重歯萌えは日本人の特有な感覚だっけ。全然、可愛かったよアタナシア。いつでもしてやるからな!」
「ばか」
 のんきなむつきの笑顔に、たった二文字を返すのが精一杯であった。
 ここまで昂った体ではもはやお月見どころではない。
 熱いお茶の様に冷ましてしまうなどもっての外、熱いうちに飲み込まねばおさまらないだろう。
 なんとか膝上でぎりぎり傾いただけで済んでタッパーを退避させ、腕だけでむつきの首に抱き着いた。
「むつきが欲しい。もう我慢できない、入れて」
「いや、流石にここじゃ。せめてホテルにでも」
「そんなに待てるか。お前、私を虐めるのもいい加減にしろよ!」
 常識人の様な顔で正論を述べるむつきだが、イキ殺されそうにアタナシアは怒ってよい。
 あんな仕打ちをしておいて、ホテルまで十数分かそれ以上の距離を我慢しろなど鬼畜の所業だ。
 人払いはしているので、アタナシアとしては出来ることならこのままむつきを性的な意味で襲いたかった。
 吸血鬼の腕力でむつきをベンチに押し付け、またがるままに男根を受け入れ思うがままに腰を振りたい。 
 しかし先ほどのキスで腰砕けになり、足も腰も殆ど力が入る様子はなかった。
 今のアタナシアに出来ることは、我慢できないと媚びるそれだけだ。
「車の中で良いから、はやく入れて。今すぐにでもむつきが欲しいんだ」
「車の……」
 駐車場には相変わらず車は一台のみ、ここは人気のない公園なので覗かれる心配もない。
「わかった」
 そう頷いたむつきは月見団子と水筒を手早くランチバッグに片づけた。
 バッグをアタナシアのお腹に載せて、彼女ごと横抱きに抱え込んだ。
 普段彼女の体温が低めであることを知っているが、かつて感じたことない程に火照っている。
(そんなに八重歯舐め良かったのか? またしてあげるか)
 当人に聞かれれば絶対に止めてと言われることを考えながら、車へと足を向けた。
 今か今かとむつきを受け入れるその時をまつアタナシアを抱きかかえたまま。
この記事へのコメント
アタスタシアモードのエヴァの甘えたがりぶりに腰砕けた。
某サイトから追いかけてきました。
ここまで進んでいたなんて、垂らした釣糸に食いつきそうな魚がまだまだいるクラスだな。
Posted by 完全怠惰宣言中 at 2020年09月20日 00:21
ええのう。かわええのう。今回も更新お疲れ様です。とても楽しませて頂きました。
Posted by 旅人 at 2020年09月20日 16:34
ちょっとお互いに好き過ぎてますね…
Posted by アキサライト at 2020年09月20日 21:28
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