第九話 もしお前が自分を偽善と疑うのなら

 学園長室の執務室には、もちろん学園長である近右衛門が座っており、その隣には出張から帰ってきたばかりの高畑が立っていた。
 向かう合うように正面にて横に並んで立つのは、高音と愛衣、そしてカズキであった。
 高音や愛衣は魔法生徒と言う事もあり、普通の生徒に比べれば近右衛門を間近で見る事は多いが、こんな直接的な呼び出しは初めてで緊張していた。
 カズキはと言うと、実は木乃香を通して何度か言葉を交わした事もある為、二人ほど緊張はしていない。
 ただし、その時の好々爺然とした近右衛門と、今目の前にいる好々爺を演じているような近右衛門との若干の雰囲気の違いに少し戸惑っていた。
 それもそのはずで、今近右衛門は関東魔法使い協会の理事として、そこにいるのだ。
「まずは三人にお疲れ様と言っておこうかの。一連のホムンクルス事件への尽力、君らの活躍がなければ、エヴァ一人では少し手こずっただろう」
「誰が手こずるか。そもそも、カズキが勘違いして飛び込んできたのが大事になる発端だったんだ。足手纏いが居なければ、もっと早く解決できた」
 近右衛門の言葉に真っ先に反論を上げたのは、並んで立っている三人の後ろで、一人ソファーに腰掛け踏ん反り帰っているエヴァンジェリンである。
「その割には僕の時とは違って、随分丁寧に皆の面倒を見ていてくれていたみたいだね」
「ふん……足手纏いだろうが、使える者は使う。それが例え捨て駒だろうとな」
 そっぽを向きながらのエヴァンジェリンの台詞に、タカミチは相変わらずかとばかりに苦笑していた。
 刺々しい言葉を投げながらも、何処か気を許しているかのようなエヴァンジェリンの態度に首をかしげそうになったのは高音である。
 エヴァンジェリンはまるで麻帆良学園にいる全ての魔法使いが敵のように常に喋っていたが、この場にいる近右衛門とタカミチは違うらしい。
 自分たちを相手にする時のような一種見守るようなものではない、気安さのようなものが感じ取られた。
「高音、思考を偏らせるな。お前は全てを己で確かめる異端の魔法使いなのだろう。確かにこの学園の殆どの魔法使いは私に敵意を抱くが、何事も例外はある。お前や、愛衣のようにな」
「と言うか、悲しいのう。わしらまでそう言う目で見られておったとは」
「申し訳ありません。事が事でしたので、つい学園の全ての魔法使いをそう言う目で見てしまいました」
 平謝りの高音に釣られるように、愛衣もぺこりと頭を下げていた。
 だが幾分躊躇が見られたのは、実際にその目で悪意に満ちた顔を見て、その耳で悪意に満ちた言葉を聞いたからだろう。
「愛衣君、今すぐに分かって欲しいとは言わないが。全てがそうだと思っては欲しくない。既に件の二人の教師は、学園長から厳重注意が言い渡されているよ」
「注意だけ、ですか?」
「愛衣、やめなさい」
 タカミチの言葉にも、納得できないと不満そうな声をあげた愛衣を高音がいさめるが、それでもおさまらないようであった。
 あの時は、六桝と言う知られざる存在のおかげでエヴァンジェリンが救われたが、偶然に過ぎない。
 あのままエヴァンジェリンが息絶えてしまっていたら、きっと愛衣は自分の力のなさに絶望して、二度と立ち上がれなかっただろう。
 そう言った意味でも、六桝は愛衣の救世主的な存在であった。
「悲しい事に、それが麻帆良学園の現状なんじゃ。この広い敷地を守るには人手が足りん。確かに他の魔法教師や生徒への見せしめとして首を切る事も出来なくはないが、過剰な反応はさらなるいさかいを招く。内部分裂や士気の低下だけは避けねばいかんのだ」
「麻帆良学園を守る仕事は殆どが立派な魔法使いを目指すと言う志に支えられたボランティアなんだ。特別な報酬もなく、用意されるのは教師や警備員としての一般的な報酬のみ。だから僕らがエヴァを庇うのにも限界がある。けれど、少しずつでもエヴァを理解出来る人は増えていくよ。君たちのようにね」
「だからって納得は出来ません。けど、最後の言葉は信じます」
 愛衣の言葉に、ふんっとエヴァンジェリンはそっぽを向いていた。
 疎まれる事には慣れていても、案じられる事に慣れていないからだろう。
 そんな姿に思わず高音はくすりと笑ってしまい、エヴァンジェリンに睨まれて慌てて視線をそらす。
「さて、そこで人手の足りない麻帆良学園、関東魔法使い協会として。武藤カズキ君、君を魔法生徒として迎えようと思う」
 改めて場を仕切りなおし、近右衛門が言うも、カズキは何処か上の空で右から左へと聞き流しているようであった。
 今までもずっと会話に加わる様子も見せていなかった事から、単純に物思いにふけっていたわけでもないようだ。
 その顔色を見てみれば、深く思い悩み、苦悩している様子が良く分かる。
「なに、難しく考える必要はない。度々ある警備の仕事も魔法教師が補佐に付く為、今回ほど命の危険はない。いや、かのう?」
「じじい、カズキを舐めたような発言はするな。そこらの中途半端で甘ったれた魔法生徒よりも、カズキの方がよっぽど強い。違う意味での甘さも筋金入りだがな」
 苛立ったように近右衛門へと凄んだ後に、持ち上げ落としたエヴァンジェリンの言葉にもカズキは目立った反応を見せなかった。
 やがてほんの少しだけ見せた動作は、自分の両手を見つめ、そして握り締めた事であった。
「少し考えさせてください」
 ただ一言、そこに込められた意味に、近右衛門や高畑は唸り、高音や愛衣は心配そうな視線を向けていた。
 普通の魔法生徒であっても、人間と命のやり取りをする機会はそう多くない。
 何故なら補佐につく魔法教師が出来るだけ麻帆良学園に侵入する人間、魔法使いを相手にし、魔法生徒はその使い魔を相手にするからだ。
 命を奪われる危険はあっても、相手の命を奪う危険性は一切ない。
 何故ならホムンクルスと違って、鬼や魔物は違う世界から召喚され、大きなダメージを受ければそのまま死ぬ事なく送還されるからだ。
 命を奪うと言う禁忌を恐れず、ただ魔法生徒はそれらを全力で倒せば良いだけなのだから。
 だが、カズキは違った。
 ホムンクルスと言う人造の擬似生命体を相手に、しかもしっかりと意志の疎通が可能なそれを相手に戦ってきた。
 つい一週間前には、極普通の学生であったのにも関わらず。
 そしてつい数時間前までは人として病魔に苦しみ、生きたいと叫んでいた人型のホムンクルスをその手で殺した。
 今こうしてカズキが恐怖や罪悪感につぶされる事なく立って居られるのは、強い正義感、攻爵曰く偽善が立たせているだけなのだ。
「数日、返答は待とう。だがそれを過ぎれば、わしらは君に干渉はせん。だが、君の方からも出来れば高音君や愛衣君には干渉して欲しくない。もちろん、エヴァにも」
「そんな、いくら学園長でも生徒の交友関係にまで口を出す権利はありません!」
「そうです。エヴァンジェリンさんを理解出来る人が増えるって言いながら、そんな人を取り上げるんですか? それっておかしいです!」
「だが、そうでもしなければ、きっと彼はまた飛び出してしまう。魔法生徒として学園の恩恵もないまま。エヴァを助けた時のようにね」
 タカミチの言葉に、高音も愛衣もさらに続けようとしていた言葉をグッと詰まらさせられた。
 確かに、そうである可能性は限りなく高いからだ。
 仮にもしも二人が魔法生徒としての警備の仕事について口を滑らせれば、カズキは自分も行くと言い出すに違いない。
 それが善でも悪でも全てを救いたいと口にする、武藤カズキと言う少年である。
「エヴァも、それでいいかの?」
「良いも悪いもあるか。仮契約も、死にそうなカズキを生き永らえさせる為に、仕方なく行っただけだ。多少は残念だが、契約の解除もいたし方のないことだ」
 当初よりもいくらかはカズキの事は認めているようだが、何としてでも引き止めるようなつもりはないようだ。
 嘆息し、ソファーから立ち上がったエヴァンジェリンは、もう良いだろうとばかりに、学園長室を後にしようとする。
 学園の魔法使いに対して不信感を抱こうとしていた高音と愛衣の問題も多少は緩和し、カズキの魔法生徒への勧誘も保留となった今、留まる理由もない。
 どうせ事件の詳しい報告書はまだ手元にないし、しばらくはゆっくりしようかとドアに手を掛けたエヴァンジェリンをカズキが呼び止めた。
「あ、エヴァンジェリンさん。後でまひろたちが呼びに行くから、私服に着替えておいてくれる?」
「はあ? 突然何を言い出す、何故あのボケどもが私の家にまで呼びに来るんだ」
「昨日まひろたちが茶々丸さんにメイド服を借りて、洗って返しに行くついでに、皆で遊ぼうって言ってた。エヴァンジェリンさんがなんか遠くに行けないってのを茶々丸さんから聞いて、なら校庭で遊ぼうって。俺や、岡倉たちも誘われた」
「誘われた、じゃない。なんで私が校庭でなんぞ、と言うか歳を考えろ。小学生か、あいつらは!」
 思い悩んでいた顔から一変、あっけらかんと言い放ったカズキにもちろんエヴァンジェリンは憤慨していた。
 それは言ってしまえばいつもの事だが、さすがに予想外だったのか、近右衛門やタカミチは目を丸くしてぽかんと口を開けている。
「カズキさん、もしかして孝二さんも行くんですか? だったら、私も行っても良いですか?」
「俺たち、いつも四人セットだし、来るよ。おいでよ。そうだ、高音さんもどう?」
「ここ、学園長室なのですが……折角のお誘いですし、お付き合いします」
 高音と愛衣も賛同を示し、卑怯にも三人でじっと異を唱えていたエヴァンジェリンを見つめ始めた。
「そんな目で見るな。まったく、茶々丸の保護者としてなら行ってやらなくもない。お前たちと関わると良くも悪くも、茶々丸に影響が出るからな。おい、そこ。タカミチ、笑うな。じじいもだ!」
「いや、僕らはなにも笑ってなんか。楽しんできなよ。エヴァ」
「そうそう、子供は良く遊ぶもんじゃ。これは木乃香に臨時のお小遣いをやらんといかんの」
 否定しながらもしっかりタカミチは声を震わせており、近右衛門は否定の言葉もなくまるで孫を見るような目でエヴァンジェリンを見ていた。
 どいつもこいつもと地団駄を踏んだエヴァンジェリンは、ドアを開けるとその向こう側に消えて乱暴に閉めて行ってしまった。
 何だかんだ言いつつも、最後まで行かないと言わなかったのだから承諾は得られただろう。
 カズキが近右衛門とタカミチに頭を下げ、高音と愛衣が次いで頭を下げてから学園長室を後にする。
 エヴァは厳密に言えば違うが、子供たちが去った後で残された近右衛門とタカミチは、良い事だとばかりに目を細め笑っていた。
 そして戦力としてではなく、やはり出来ればエヴァの為にもカズキには魔法生徒になって欲しいと心底から願っていた。





 日曜日の午後、部活動にいそしむ女子中学生の多い校庭の隅で、一目では何の集団か分からない彼らはいた。
 私服姿でありながらも、まだ女子中等部の生徒であるまひろたちはまだ良いが、そこにカズキたち四人組に加え、高音の姿まであれば確かに何か分からない。
 時折周りから送られる視線もなんのその、麻帆良学園では中高大とごちゃ混ぜの倶楽部もあるので、ある意味彼らは開き直っていた。
 カズキたちは言うまでもなく、まひろたちはハーフパンツやキュロットスカートと動きやすい姿で、遊ぶ気満々である。
 そんな中で約二名、とても動きやすい格好とは言えない者がいた。
 黒と白の対比と薔薇のレースが特徴的なゴスロリ姿のエヴァンジェリンと、ゴシック調のドレスにも見える黒いワンピースを着た高音である。
 二人とも髪の毛が金髪である事から似合ってはいるのだが、明らかに運動を見越した遊びを行う姿ではない。
「お姉さま……ちょっと私もそれはどうかと思います」
「一応これでも大人しめのを選んだつもりです。それに動き回っても良いように下にはちゃんと体操着を履いています」
 聖ウルスラ女子高等学校の体操着は、上はともかく下はブルマである。
 それこそおいおいと心の中で突っ込んだ者が数名居たが、カズキは良く考えもせずいらない事を口走っていた。
「でもどうせ体操服着てるなら、それで遊べば良いのに」
「私用で遊ぶのにそんな格好では、それこそ変態です!」
「でも、大浜ならきっと喜ぶよ」
「ちょ、ガズキぐん?!」
 止める間もないカズキの発言により、大浜の周りから一斉に女の子たちが遠ざかる。
「終わった。なにもかも……」
 うな垂れる大浜を、唯一遠ざからなかった茶々丸がその背中をぽんぽんと叩いて慰めていた。
 カズキの年上好きがばれた時のように、そういう嗜好の人もいると、広い心で受け入れているのだろう。
 絶望の最中、そんな茶々丸の心遣いに大浜の心がときめいたのは、彼だけの秘密である。
「で、エヴァちゃんも似たり寄ったりで、大丈夫なの? 高音さんみたいに、下は体操着とかなら良いけど?」
「何をするのか聞かされもせず、私服だけと指定されたんだ。とやかく言うな。中が見えるようなヘマはせん」
「何って、これだよ。じゃんッ!」
 明日菜に聞かれ、言い切ったエヴァンジェリンへとまひろが見せたのはバレーボールであった。
 とは言っても、ここはバレーコートでもないのでネットはない。
 皆が皆、適当に二手に分かれていく。
 この時ちゃっかり愛衣は、六桝のいるチームへと行っているのだからしっかりしている。
 チーム分けは、カズキとまひろ、エヴァンジェリンに高音と大浜のチームと、明日菜と木乃香、六桝に愛衣、そこに岡倉と茶々丸が加わったチームである。
「いっくぞー!」
「バッチコーイ!」
 最初からボールを手にしていたまひろが言うと、気合の入った岡倉の声が校庭に響く。
 そして次の瞬間、
「喰らいりゃッ!」
 まひろの轟速球が岡倉の顔面を強打していた。
「ちょッ、まひろちゃん。バレーじゃないの?!」
「えい、取ったえ。これで岡倉さんはセーフや。今度はこっちから行くえ」
「え、え? なにか普通に続いてますけど、ドッジボールなんですか?!」
 明日菜が突っ込んでいる間に、岡倉の顔面を強打して上空へ上がって落ちてきたボールを木乃香がナイスキャッチをし、投げ返そうとしている。
 しかもバレーのつもりで二手に別れており、外野すらいないので高音が混乱するのも無理はない。
 カズキたちも少しは驚いているが、始めたのがまひろであるだけに、そうなのだろうと異論も唱えず続けようとしていた。
 木乃香の投げたボールは低い放物線を描いて、ぽすりとカズキの胸で受け止められる。
「あ〜、あかんわ。さすがに男の人には当てられへん」
「そんな事をのんきに言ってる間に、カズキさんが来てますよ。逃げてください、木乃香さん」
 愛衣に言われて、せやったと呟き、頭を低く抑えるように背中を見せて木乃香が逃げ出す。
 中央の境界線もないので、カズキは適当に足を運び、逃げ遅れた木乃香目掛けてボールを投げようとするが、無防備すぎる姿に後ろめたさがわいてくる。
「茶々丸さん、ごめん」
 岡倉も顔面にボールを受けたばかりなので、一番態勢の整っていた茶々丸へと向けて少し手加減して投げる。
 それなりの威力を持ったボールも茶々丸の手に掛かれば、さほどの物でもなかったようだ。
 あっさり茶々丸に受け止められ、カズキもまた一目散に逃げ出した。
 だがここで、誤算が生まれる。
 逃げ遅れたのはカズキであり、ならば他にはと次に逃げ遅れた人物を茶々丸が探すと、それがエヴァンジェリンであったのだ。
「よーし、行け茶々丸。反撃だ!」
 そこへ押せ押せとばかりにまくし立てる岡倉の後頭部が茶々丸の瞳に映り込み、ボールが直撃した。
 しんっと静まり返る中で、てんてんとボールだけが転がっていき、誰もそれを拾おうとしない。
「申し訳ありません。つい、そこにリーゼントがあったもので」
 ぷるぷると震えていた岡倉は、茶々丸の謝罪が聞こえているのかいないのか。
 無言のまま自分でボールを拾いに行き、両手で掲げるように持ち上げると一人宣言した。
「もはやルール無用じゃ。悪い子はいねがーッ!」
 これまでもあまり茶々丸と相性の良くなかった岡倉と言えど、女の子に対して怒ったりしない所が良い所である。
 楽しい雰囲気が悪くならないように、あえて道化を演じて逆に盛り上げようとしていた。
 ルール無用との宣言を前に真っ先に六桝が逃げ出し、愛衣がそれに追随する。
 明日菜と木乃香は、状況についていけなかった茶々丸の手を引いて走り出し、元々が敵チームであったカズキたちも同様であった。
 まひろは大浜と一緒に逃げ出し、昼間であるだけに足の遅いエヴァンジェリンの両脇をカズキと高音が固めながら逃げ出す。
「お前たちは、いつもこんなアホな事をして遊んでいるのか。正気を疑うぞ。知性のかけらもない」
「さすがに今日は、何時もとは違ってエヴァンジェリンさんや高音さんたちがいるから、余計にはしゃいでるかな? 打ち解けるには、思いっきりはしゃぐのが一番だし」
「普通、自己紹介からはいると思うのですが。愛衣も私も、それなしで混じって……って、私たちが追われてませんか?」
 そろって後ろへと振り返ってみれば、未だボールを頭上に掲げながらなまはげの如く、岡倉が追いかけてきていた。
「ちくしょう、両手に華を許してたまるか。くたばれ、カズキ!」
 なにやらもの凄く個人的な理由で追いかけて来ていたようで、私怨の混じったボールが投げつけられる。
 だが手元が狂ったのかボールの向かった先は高音であり、本人もやばいといった顔をしていた。
 ところが投げつけられた当人である高音は涼しい顔で両手を組み腰を落とし、向かい来るボールをいなすように腕を差し出す。
「カズキ君!」
「了解。エヴァンジェリンさん!」
「わ、私か?!」
 バレーのレシーブのように上空へとあがったボールを、カズキが両手でキャッチし、そのままエヴァンジェリンへとそっと投げ渡す。
 そっと言う表現から、優しく投げられたのは明白なのだが、両手をひろげて慌てたエヴァンジェリンの頭にぽこんと落下した。
 転々と転がっていくボールに、うつむいてプルプル震える様は、何処か先ほどの岡倉を彷彿とさせる。
 唯一違ったのは、転がっていったボールをエヴァンジェリンが手に取った時には既に、カズキたちが逃げ出していた事だろうか。
「くそう、自らストロベリーな状況を引き出しただけかよ!」
「男の子と女の子が一緒にいるだけで、逐一そうとらえるのもどうかも思います」
「確かに、岡倉は少し過剰反応し過ぎだと思う」
「貴様ら、よくもこの私に。おい、こら。ええい、逃げるな!」
 結局は乗り気でなかった様子のエヴァンジェリンも、ボールを高々と持ち上げながら皆を追いかけ始める。
 エヴァンジェリンの体力を考えて、加減しながら逃げるカズキたちも、ばらばらに逃げ出したまひろたちの元へと誘導するように逃げていた。
 もはや本当に何をやっているのか分からなくなっていたが、誰もが笑顔を浮かべ、歳がいもなくはしゃぎながら遊んでいた事は間違いなかった。





 魔法で傷が癒えたとは言っても、エヴァンジェリンもカズキもまだまだ病み上がりの体であった。
 力尽きるようにエヴァンジェリンがこてんと転んだ事で、自分が面倒をみるからとカズキが言い出し、二人は校庭にある芝生の上で休憩中である。
 まひろたちは、とりあえずルール無用の追いかけっこを中断し、円になって今度こそバレーボールの真っ最中。
 トンットンッとテンポ良く上下するバレーボールをカズキが目で追いかけていると、息を整え終わったエヴァンジェリンが話しかけてきた。
「学園長室とでは、随分様子が違っていたな。蝶野攻爵の事は、心の中でけりがついたのか?」
 聞かれたくはなかったようで、ぴくりとカズキの肩が震えていたのをエヴァンジェリンは見逃さなかった。
「まだ、しっかり覚えてる。蝶野が言った言葉、蝶野を殺した時の感触」
 まひろたちを見ていたカズキの視線が落ちていき、抱えた膝に埋もれさせるように外界から隔絶される。
 瞳を閉じ、耳はまわりの騒ぎを拾いながらも、先日の光景を見て、攻爵の声を聞いているのだろう。
「ただまひろたちや、岡倉たちと居る時は俺の日常だから。笑わないといけないんだ。必死に隠してないと、直ぐに浮かんでくるんだ。蝶野の事もそうだけど。本当に、俺は正しかったんだろうかって。偽善者って……蝶野を止められず、生きろって言いながら殺して」
「間違いなく、お前は偽善者だろうな。知っているか? 葬式と言うものは、逝ってしまった奴の為ではなく、残された者が心の整理を行う為にするものだ。死人に口なし、全ては生きている者が勝手に行う事だ」
「それでも俺、頑張ったんだ。痛いのも怖いのも我慢して。必死に止めようとして、でも届かなくて……なのに、偽善なのかな」
 鼻をすする音が聞こえ、かすかにだが水滴が落ちる音が聞こえる。
 自分の周りには、あまりにも人の生き死にに慣れすぎた者ばかりで、甘ったれたガキの泣き言だと思う一方でエヴァンジェリンは懐かしくも感じていた。
 自分も初めて人を殺した時には、その理不尽さに泣いた。
 殺してしまった事よりも、殺さなければ生きられない境遇にだったが、時代が時代だった。
 表向きは平和な時代になったものだと思いながら、エヴァンジェリンは立ち上がって言った。
「一つ、良い事を教えてやろう。これはもっとも立派な魔法使いに近いと言われた男、サウザンドマスターの従者だった一人の男の言葉だ」
 まだカズキの泣き声は聞こえていたが、エヴァンジェリンは続けた。
「善でも悪でも、最後まで貫き通せた信念に偽りなどは何一つない。何処かの大馬鹿と似たような言葉だとは思わないか?」
「善でも悪でも。それ、一体誰が……」
「本名は忘れた。ただそいつは、自分の事をキャプテン・ブラボーなどと言うふざけた名前で呼んでいた。卑怯な程に強い奴だったが、まあこの際、そいつの事は良い。肝心なのはお前の事だ。そいつの言葉通りであれば、お前が自分を偽善と疑い、戦う事を止めれば、全ての想いが偽りとなる」
 涙を拭き、顔をあげたカズキと、上から見下ろしていたエヴァンジェリンの瞳が交差しあう。
「もしもお前が自分を偽善と疑うのなら、戦い続けろカズキ。お前が知らなかっただけで、麻帆良学園にはホムンクルスよりも狡猾に、いやらしく戦いを仕掛けてくる愚か者がいる。そしてお前はそんな愚か者たちと戦えるだけの力がある」
 エヴァンジェリンの言葉を聞いて、カズキは立ち上がった。
 涙の跡は乾いて消え去り、迷い道を探してさまよっていた瞳にも力が込められ始める。
 両手には未だに攻爵を殺した感触が残ってはいたが、両手を握り締めて受け入れられる程の力強さがあった。
「エヴァンジェリンさん、俺は。もっと強くなりたい」
「お前は私の従者だ。そう認めた以上、勝手に強くなれとは言わん。この私が直々に鍛えて強くしてやる。言っておくが、私はスパルタだぞ?」
「構わない。俺はもっと、もっと強くなって。今度こそ、皆を。エヴァンジェリンさんを守る」
「だから逐一私の名前を……」
 気が付けば、こちらへところころ転がってきていたバレーボールが、こつんとエヴァンジェリンの足にあたった。
 どうやら、バレーの最中に茶々丸が力加減を誤って遠くへ飛ばしすぎたようだ。
 やれやれと拾い上げ、とりにきたまひろにほうりなげるが、何処か様子がおかしい。
 瞳をきらきらと輝かせ、赤みを帯びた頬を持ち上げるように笑っていた。
「ねえ、皆聞いて。お兄ちゃんがまたエヴァちゃんに告白した!」
「ちょっと待て、お前の耳はどういう造りになっているんだ。都合の良い一部分だけを聞いて勝手に騒ぐな!」
 嬉しいのか単に騒ぎたいだけなのか、真っ先に皆に広めようと走っていくまひろをエヴァンジェリンが追いかける。
 何としてでもまひろの行動を阻止しよういうつもりらしいが、騒ぐときのまひろの声は意外と大きい。
 二人が駆けるよりも早く、その声は皆の下へと届いていた。
「オッス、おらカズキ。エヴァンジェリンさんは、俺が一生を賭けて守る。結婚しよう」
「今日は大人しくしているかと思えば、急にしゃしゃり出てきて脚色するな、六桝孝二!」
 またしてものどをトントン叩きながらカズキの声を真似た六桝へと、エヴァンジェリンはまひろからボールを奪い返して投げつける。
 山なりのへなちょこボールはあっさりかわされたが、ぽけっとしていた愛衣の頭にぽかんと当たっていた。
 六桝が真似たカズキの声を脳内でまた六桝の声に脳内変換して、さらにエヴァンジェリンを自分の名前に置き換えていたのだから隙だらけであった。
「酷いです、エヴァンジェリンさん。嗚呼、孝二さんの声が頭から消えていっちゃう!」
「色ボケに言われたくない。おい、カズキ。お前も笑ってないでなんとか言え!」
 一人芝生に置いてきぼりにされ、歩いて皆と合流しようとしていたカズキは、急に話を振られて立ち止まる。
 そして何故か視線をそらして、ぽりぽりと頬をかいていた。
「意外と、脈はあるようですね」
 高音のぽつりと呟いた言葉にキャーッと姦しい完成が三つあがり、何もない所で急に茶々丸がこける。
「ええい、うるさい。お前だって、カズキとキスしただろうが!」
「そんな、あれは……状況が、仕方なく。なにもこんな所で言わなくても良いではありませんか!」
「ほう、仕方なくか。良く言う。私を守ってください。今だけ私の騎士になってくださいとか、くさい台詞を吐いたのは何処のどいつだ!」
「エヴァンジェリンさんこそ、寝ているカズキ君に承諾もなしにキスしたじゃありませんか。私は少なくとも、同意を得ていました!」
 恥も外聞もなく、ここが女子中等部のグラウンドである事すら忘れて、二人は顔を突き合わせるような格好で言い合いを始めてしまった。
 五人の少女たちがその言い合いに耳を大きくして聞き入っており、岡倉が情念を燃やしてカズキへとリーゼントアタックを繰りだしていた。
「カーズキィッ!」
「本当、痛いッ。反撃、通信空手拳ッ!」
 確かに高音の言う通り状況が状況であっただけに、上手く反論の出来ないカズキが岡倉へと反撃してぽかぽかと殴りあう。
「なんとも平和な光景だな」
「そ、そうだね」
 その平和を一番乱したのは六桝の気もするが、大浜はとりあえず同意を示しておいた。
 姦しい声と乱暴な声が混じりあう不思議な集団は、今しばらく女子中等部の校庭から消える事はない。
 そんなカズキの周りにある日常、これからも続いていくであろう日常であった。





 そこは麻帆良学園の地下にある誰も知らない、それこそ学園長である近右衛門ですら把握していない地下施設。
 人気はもちろんなく、蛍光灯が生み出す寒々しい光だけがその空間を光り、照らしていた。
 一目では用途が知れない様々な機器が所狭しと並べられているその空間にて、一人の少女があるものを見上げながら立っていた。
 攻爵が最後の希望を託したホムンクルスの培養装置を、等身大に、数倍の大きさへと拡大したような装置である。
 装置の中央に安置されているのは、巨大なフラスコ。
 その中にはホムンクルスの幼生体の代わりであるかのように、体の四肢どころか、胸の下辺りまで失った一人の男が培養液に宙ずりに浸されていた。
 意識はおろか、生きているのかさえ怪しいその男は、瞳を閉じ、ただ培養液が生み出す気泡に揺られながら覚めない眠りに誘われている。
「今はまだ、ゆっくり眠ると良いネ」
 フラスコの中に眠る男を笑みを浮かべながら見上げていた少女が呟いた。
 長い黒髪を編みこみ、シニョンキャップに押し込めている少女は、特徴的な言葉使いで続ける。
「蝶野攻爵、全ての新人類の父。人類を滅ぼした救世主、蝶人パピヨン。世界に拒絶されながらも、貴方は世界の為に戦わなければならないネ」
 痛ましい者を見るかのように顔に影を浮かべながらも、胸に手を当て耐えるように少女は蝶野攻爵ことパピヨンを悲しげに見上げていた。
 その瞳の色が見せるのは未来への憂いであり、世界が見せる不条理で残虐な一面を憎んでさえもいる。
「近い未来、それは現れる。全ての生命の天敵、終焉を告げる者、この世に唯一の絶対悪。蛍火の髪と赤銅色の肌を持つ者、その名はヴィクター。魔法使いと従者のシステムが生み出した、禁忌の存在」
 目を閉じればつい先ほどの事のように思い出す事が出来る。
 大地は枯れ、地上からは生命と言う生命が死滅し、何一つ残されていない。
 そこには既に絶望しか残されていなかった。
 地球と言う名は既に過去のものに過ぎない、ただの石ころ。
「私はそんな未来が嫌だった。だからどんな不都合が現れようと、ここにきたネ」
 少女が見上げるのは、希望。
 世界から絶望しか与えられずにいながら、人類の希望となりえる存在。
「蝶人パピヨンこと、二代目サウザンドマスター。貴方が、三枚のカードのうちの一枚。残り二枚のうち、一枚はまだその力を眠らせているネ。そして最後の一枚、初代サウザンドマスターの息子にして、英雄を継ぐ者、ネギ・スプリングフィールドは半年後に麻帆良学園に現れる」
 希望を見上げた少女の瞳には、決意だけが見て取れた。
「二代目サウザンドマスター、黄昏の姫巫女、そして英雄を継ぐ者。全てが集まり力を合わせなければ、あの悪魔には勝てない。その為には、私はなんでもするネ。貴方が世界を憎んでいるのは知っている。だから私を恨んでも、呪っても、殺してくれても構わない。私はただ、救いたいだけネ」
 少女の懇願に対して、蝶人パピヨンは以前瞳を閉じたまま答えない。
 今はまだそれでも良かったが、時間に余裕があるわけでもなかった。
 少女は名残惜しそうに何度も足を止めては振り返り、その場を後にしようとする。
 蝶人パピヨンは眠る。
 まだその時ではないかと言うように、己が目覚めるべき時を待つかのように。
 ただ静かに、敗戦の傷を癒しながら、培養液に揺られるままに静かに眠っていた。

第八話 謝るなよ、偽善者

 結局の所、攻爵は超人を超えた超人どころか、完成されたホムンクルスにさえなる事は出来なかった。
 銃弾ですら弾き、人を一瞬にして喰らうホムンクルスとしての能力を有しながらも、人としての体であった頃の病魔は残されたまま。
 体外の強靭さと体内の脆弱さが同居した、限りなく不安定で不完全な存在である。
 半不老不死の体で、半永久の痛みと苦しみをこの先ずっと味わい続けていく。
 エヴァンジェリンの勝利宣言を耳にしながら、噴出した血で汚れた両手を見つめていた攻爵は、瞬時にそれを理解していた。
「しくじっちゃった……」
 だが同時に、まだ望は断たれていないと目の前にいるカズキたちへと顔を上げて視線を向ける。
「けど、まだ手段はある。生き残った幸運はお互い様、吸血鬼の真祖がまだ麻帆良学園にいる」
 攻爵が見つめているのは、高音の手の中にある携帯電話、それを通した向こう側にいるエヴァンジェリンであった。
 実際にその目で見えていたわけではないのだろうが、攻爵の瞳は間違いなくエヴァンジェリンを捕らえている。
 その前に立ちふさがるのは、サンライトハートを手にしたカズキであり、攻爵はその姿を見て何故か自分でも分からない笑みを浮かべてしまっていた。
「さあ、来い。お前たちを喰った後で、再び麻帆良学園に舞い戻り、今度こそ真祖の血を手に入れる。今度こそ俺は完全なる羽化を果たして、この世界を焼き尽くす!」
「どれもこれもさせるか。お前を倒して、食い止める!」
 攻爵が駆け出し、カズキがサンライトハートを構える。
「契約執行、三百秒。高音の従者、武藤カズキ!」
 精製されたばかりの仮契約のカードを掲げた高音が宣言し、残り少ない魔力が一気にカズキへと注がれる。
 座り込みながら抱きしめていた愛衣の上へと、そのまま高音がくたりとへたりこむがカズキは振り返らない。
 高音の魔力供給みならず愛衣による回復魔法の恩恵に預かってさえも、望む事が出来るのは短期決戦。
 ただ後ろに居るであろう二人の気配だけを背負って、向かってくる攻爵だけを見つめていた。
 声にならない叫びを上げてカズキがサンライトハートを突き出せば、攻爵は次朗を食った手の平の口で切っ先を飲み込むかのように片手を差し出した。
 切っ先を手の平の口で飲み込みながらも勢いに負け、僅かにだが攻爵が後退する。
 しかしながら手の平の口がしっかりとサンライトハートを咥えて外さず、攻爵が武器を押さえられたカズキへと逆の手の平を伸ばした。
 喰わせろと声が聞こえるようなその口がカズキへと迫るが、手ならカズキも二本持っている。
 むしろ攻爵がサンライトハートを支える事となり、両手を使わなくてよくなった為に、飾り布を握り、向かってくる攻爵の腕へと巻きつけた。
 直接手に触れないように、縛り上げようとするが、攻爵は構わず腕を伸ばしてくる。
 左肩が喰われるのと、飾り布が爆光を上げたのは同時。
 攻爵よりも近い位置でエネルギーの爆発を受けたカズキは吹き飛んだ体を、後ろに差し出した足で何とか支える事に成功する。
 そして攻爵はと言うと、ぐるりと腕に飾り布が巻きつけられた状態での爆発に、胴体こそ無事であったものの右腕に深い傷を負っていた。
 互いに身を削りながらの相打ちであったが、高音の送り込んでくれた魔力がカズキの身を守っていた。
 この差は大きいが、時間が経てば経つほど不利になるのはカズキである。
「エネルギー全開、サンライトスラッシャー!」
 内面からではない、慣れぬ外面からの痛みに過剰な反応を見せている攻爵へと、カズキは一気に詰め寄っていった。
 普段より強い山吹色の光が暗い蔵の中を一気に光で染め上げ、攻爵が我に返るようにカズキへと振り返る。
 今度差し出されたのは両手。
 サンライトハートの刃を白羽取りするかのように両手で挟むが、ホムンクルスとしての力を持ってしてもそれは止められない。
 かつてパワーに偏ったゴリラ型のホムンクルスでさえ止められなかったのだ。
 同じホムンクルスの、しかも不完全な人型ホムンクルスである攻爵に止められるはずがない。
 遅れて察した攻爵がとった行動は、受け止めるのではなくいなしてかわすと言うことであった。
 無理に踏ん張る事はせず、腕力を最大限に活用して体を跳ね上げ、刃の風に乗るように僅かに肩を切り裂かれながら空中前転。
 直下を通り過ぎようとするカズキの背中を踵で蹴りつけ、蔵の外へと吹き飛ばす。
 倒れ、サンライトハートに引きずられるようにして表へと転がるカズキを追って、直ぐに攻爵も蔵を跳びだした。
 すぐそばにて高音と愛衣が気を失っているのに、振り返る素振りもない。
 歓喜が、生きていると言う歓喜が攻爵を突き動かしていた。
 それはつい先ほどあれ程までに甘美と思えた人の味など比べ物にならない程のものであった。
 命を賭して一人の男が自分へと全力をぶつけてくる。
 自分もまた命を掛けてそれを迎えうつ。
 与えられた傷は病魔とは違う痛みを己に与えるが、生きていると言う実感を同時に与えてくれる。
 与えた傷は、一人の男を上回るかもしれないと言う、言いようのない興奮を生み出し、さらに生きていたいと思わせる。
「武藤、カズキッ!」
 今まさに起き上がろうとしている所へ後ろから殴りかかる。
 回避も迎撃も間に合わないと感じたカズキは、闇雲にサンライトハートの飾り布を振り掛けるように投げつけた。
 爆発させる気か、それとも立ち上がるまでの時間稼ぎか。
 一瞬の躊躇、攻爵があえて一歩を踏み出した。
 膨れ上がる山吹色の光の中で、攻爵が拳を振り下ろしたが、そこにいるはずのカズキに当たらない。
 既にそこにいなかったのだから、当然だ。
 サンライトハートの飾り布による爆光を目くらましに、既にカズキは蝶野の背後頭上に回りこんでいた。
「蝶野、攻爵ッ!」
 左肩の後ろにやや上空から突き立てられるサンライトハート。
 再び夜を照らす太陽の光が瞬き、斬り裂くままに吹き飛ばした攻爵の左腕を夜空へと打ち上げる。
 加速したカズキとサンライトハートは地面を削り、そのまま距離をあけようとするが、光を失おうとしている飾り布を攻爵が踏みしめていた。
 がくんと後ろにひっぱられるように感じたカズキを、横に薙ぐように攻爵が蹴りつけ、同時に足を爆破される。
 膝を付くように崩れ落ちた攻爵に対し、地面の上すれすれを吹き飛んで止まるカズキ。
「うげ、ほッ……がッ!」
「はあ……はあ…………」
 僅かに生まれた停滞が、互いの限界を知らせてしまう。
 攻爵はまるで胃の中のものを嘔吐するかのように、大量の血を吐き出し、悶える。
 カズキは徐々に消え去ろうとしている高音の魔力を感じながら、それでも起き上がろうとしては再び倒れる。
 満身創痍の身でありながら、それでも二人は立ち上がり、まだ戦えると互いの存在を全身で受け止めていた。
「やはり、俺は世界を憎む。何故俺だけがこの高揚を知らずに死ななければならなかった。何故俺だけが病魔に蝕まれたまま、生きる事も許されず死ななければならなかった。俺と言う存在を生み出しながら、何故世界は俺を拒絶した!」
「世界がお前を拒絶したかなんて俺には分からない。何故お前の家族がお前を拒絶したのか、しなければならなかったのかは分からない。だがお前はそれでも生きていた。人より短かったかもしれない、苦しかったかもしれない。それでもその時、その時を生きていた!」
 サンライトハートを地面に突き刺しながら、カズキは言う。
「なにより、俺はお前を拒絶しない。お前と言う存在を受け入れ、この先ずっと覚えている。楽しかったわけでも、良かったわけでもないけれど、この記憶は俺の中に留まり続ける。蝶野攻爵と言う人間を、俺は忘れない!」
「それが、どうした。死んだ後の事なんて関係ない。武藤カズキ、それが偽善なんだと、何故分からない!」
 息を切らせ、傷から血を振りまきながらも二人が駆け出した。
 そのスピードは最初の頃より、見る影もない。
 攻爵は左腕を失くし、右腕と左足は血にまみれて力がなく、カズキは左肩を喰われ、後ろから蹴りつけられた時にあばら骨に損傷を負っていた。
 それでも二人は足を止めず、少しずつ、少しずつ加速していった。
 ついにカズキの中にあった高音の魔力が消失し、それを補う為にカズキがサンライトハートの飾り布を爆発させた。
 一気に速度が上がるが、狙いがぶれている。
 ほんのわずか身を捻るだけでかわされ、背中から脊髄を引きずり出すかのように攻爵がカズキの背中へと手刀を入れようとした。
 だがその手刀は、サンライトハートの柄によって打ち払われる。
 サンライトハートの切っ先をわざと地面に埋め込んだカズキが、遠心力にて円を描いた柄を利用したのだ。
 完全にカズキの実力から逸脱した行動、判断、背後から迫る手刀がそもそも見えるはずがない。
 それでもカズキは確かにそれをなしていた。
 地面に突き刺さった切っ先を中心に柄が回り、今度は遠心力に突き動かされた刀身が地面から抜けて行く。
 カズキが吼える。
 左肩とあばらの痛みを忘れるかのように、両手で柄を握り締めてサンライトハートを振り回し、攻爵へと向けて上段から刀の様に面打ちを行う。
 もちろん、それを受け止めればカズキの動きが一時的に止まる。
 疲弊した体で息をつくまもなく連続攻撃を行ったのだから。
 エネルギー化した飾り布を利用していなければ、サンライトハートの一撃を受け止められる事は実証済みだ。
 これを受け止めて、チェックメイトだと攻爵が迫り来る刃へと左手を伸ばす。
 刹那、カズキがかすれるような声で呟いた。
「去れ(アベアット)」
 その一言で、影も形もなく消えるサンライトハート。
 頭上へと手を伸ばした攻爵の手と、何も手にしないまま上段斬りを行ったカズキの手が空ぶる。
「来たれ(アデアット)」
 何もない頭上へと左手を伸ばした攻爵の腹に、真下からサンライトハートが突き立てられていた。
 皮肉にも、この時動きが止まったのは腹を刺された攻爵の方であり、半分だけカズキが呼吸を行う。
 そしてそのまま攻爵を持ち上げて、叫んだ。
「サンライト、スラッシャーッ!」
 攻爵を連れて、カズキが山吹色の光を背に受けて夜空へと上っていく。
 突き抜ける空気の層により、攻爵の腹へとどんどんサンライトハートの切っ先がめり込んでいった。
 もちろん攻爵も直ぐに唯一無事な左手でやらせてなるものかと、めり込む刃を押さえていた。
 やがてサンライトハートの限界出力地点にて上昇が止まり、落下が始まる。
「耐え切っ、なに?」
 ここからが反撃の場だと思っていた攻爵の体が、カズキの上から下へと変えられる。
「最大出力、サンライトスラッシャーッ!!」
「うおおおおおおッ!」
 カズキの本当の狙いは落下、サンライトハートだけでは足りない威力を重力とその先に待つ地面にて生み出すつもりなのだ。
 だがそれは同時に、カズキ自身への甚大なダメージが跳ね返る事を意味していた。
 上空十メートル、それ以上に高い場所からさらにサンライトハートによって加速する。
 上昇時の半分近い短い時間で落下したカズキは、地面を穿ちながらその先に攻爵を縫いつけさらにサンライトハートを打ち込んでいく。
 そして攻爵を地面に縫い付けている途中で急停止に耐えられなかったカズキもまた、地面に激突する。
 地面とぶつかり、壊れた人形のようにバウンドしてカズキが投げ出されていく。
 両者共に動かない、動けない。
 いや、意識だけは先に攻爵が取り戻していた。
 ただし、ホムンクルスの体を持ってしても、腹の真ん中をサンライトハートの刃が終わるまで串刺しにされればダメージが大きすぎる。
 まともに動くのが左手だけではサンライトハートを抜く事もできないし、そもそも動けるだけの力が沸いてこない。
「不完全とは言え、超人となった俺が……魔法使いですらない、ただの人間に」
 そう呟きながら、倒れ伏しているカズキへと首を傾けた攻爵の瞳は、ただの人間を見る目つきではなかった。
 生まれて初めて全てをぶつけ合った存在、それがただの人間であるはずがない。
 殴りあって理解しあった友人などと陳腐な事は言わない。
 ただ、攻爵にとってそれ以上に価値のあった存在が、カズキであった。
 なのに先ほどからそのカズキが、ぴくりとも動かない。
「おい、貴様……何をやっている。なんだその様は、不完全とは言え超人となった俺を下しておきながら、先に死んでいくのか?」
 答えないカズキの代わりに、じわりと地面の上を血が広がっていく。
「ふざけるな。貴様は、がはっ……何処まで、何処まで偽善をなせば気が済むんだ。敗者の首をはねる勝者の義務を放棄して、俺に無様に生きろというのか?! 貴様の偽善による敗北を背負ったまま、世界を燃やす意味が何処にある。生きたまま殺すのか、俺を。答えろ、武藤カズキ!」
 言葉の意味ではなく、声の大きさに投げ出されていたカズキの手の指先が動く。
 そのまま手が土を掴み、腕が前へ進もうと体を起こし、引きずらせる。
 亀よりも遅い、遅々とした動きで、少しずつ少しずつカズキは、蝶野が地面に縫い付けられた場所を目指す。
 ようやく上げられた顔にある瞳も光は薄く虚ろだが、前に進んでいた。
 やがて辿り着いた蝶野の元で、サンライトハートの柄に手をかけ、縋るような動きで体を起こし、その下にいる蝶野を見下ろした。
「この期に及んで迷っているのか? ホムンクルスとなった俺は、元に戻れないし、人喰いも止められない。このままお前が死ねば、俺はお前だけじゃなく、蔵の中の女二人も喰う。そうそう、麻帆良にいる吸血鬼も喰いにいかないとな」
 挑発し、まるでカズキの行動をうながすような言葉であった。
 カズキの瞳に光が、意識が戻り、自分が誰か、目の前の男が何かを認識する。
 サンライトハートを突き立てているだけでは死ねず、かと言って自分自身が主である攻爵は、人喰いが止められないと言う。
 ホムンクルスとなる事を止めてやれず、ホムンクルスとなってしまった今、その命が自分の手の中にある。
 攻爵を殺す、つい数時間前までは人間だった攻爵を。
 それが責任、止められなかった、皆を守ると叫んだ自分の。
「すまない、蝶野攻爵」
 止めてやれなくて、生きろと言いながら殺す事を。
 それで良いと口元に笑みを浮かべる攻爵。
「謝るなよ、偽善者」
 それは、攻爵だけが打ち込んで良い楔。
 蝶野攻爵という男が居た事を、武藤カズキだけが覚えている為の儀式。
 ずっと忘れないと言ったカズキが、一生忘れられないようにする為の呪い。
 サンライトハートの飾り布が生み出す山吹色の光に包まれ、攻爵の体が弾けとんだ。
 ホムンクルスの体を持ってしても再生不可能なほどに。
 同時に、支えを失ったかのように、再びカズキは地面の上に倒れこんでいった。





 混濁した意識の中で、カズキはずっと繰り返していた。
 無念を込めて謝罪の言葉を口にする自分、偽善者と呼んで嘲り笑う攻爵、そしてその攻爵をサンライトハートでバラバラに吹き飛ばす。
 繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し。
 それは攻爵が意図したより楔が、儀式が、呪いが強すぎた結果であった。
 カズキが自分を忘れないようにと意図したそれらが、カズキの精神を蝕み、追い込んでいく。
 あるいは、カズキ自身が攻爵と言う存在を深く受け入れすぎたせいか。
 ぐるぐると同じ場面を繰り返して見るカズキの意識が、ほんの僅かだが思い描く場面とは違う声を拾った。
「こちらとしてはありがたいんだけど、意外と過保護?」
「やかましい。このまま放っておけば、トラウマどころの話ではない。ほんの少し、蝶野攻爵に対する思いを薄れさせるだけだ。だいたい、そこそこの腕を持ちながら回復と障壁しか使えんとはどういうことだ!」
「日常生活で攻撃や心理操作なんて、なんに使うんだ。いらないだろう」
 それは六桝とエヴァンジェリンのものであり、カズキ自身に対して何かを行うようである。
 なんと言ったか、攻爵をサンライトハートで吹き飛ばした場面を見ながら思い返す。
 思い入れを薄れさせる、誰に対しての。
 薄れるとは忘れる事だ。
 誰の事を、攻爵の事を、忘れる。
 ほんの少しとは言っても、忘れる事に違いはない。
「駄目だ、約束したんだ」
 さまよわせた手が、小さな何かを掴んだ気がした。
「この先ずっと覚えているって……蝶野攻爵の事は、忘れないって」
「はあ、この大馬鹿が。だったら目を覚ませ。お前がそのざまでは意味がない。墓を造って、花と線香を立て、そして手を合わせろ。私は悪の魔法使いだ。逐一殺した相手に、そんな面倒な事はせん。お前以外の誰がする」
 意味がない、その言葉に引きずられ、ゆっくりとだがカズキは意識を外へと向け出した。
 ただし内面にて繰り返される光景はそのままに。
 光が瞳を貫き、眩しさに目をしかめていると、自分の顔を覗き込んでいるエヴァンジェリンと、ベッドから離れた場所で椅子に座っている六桝がいた。
 気だるい体をおしてもう少し首をめぐらせると、壁に背中を預け、一枚の毛布で仲良く眠る高音と愛衣の姿もあった。
 段々とはっきりしてくる意識の中で、ここが麻帆良学園の男子寮、しかも六桝の部屋である事に気が付く。
「俺はかかりつけの医者じゃないんだが。お前が担ぎこまれて、三時間ぐらい。夜の十時だ」
「携帯電話が途切れた後の事については、二人から聞いた。と言っても、二人が気絶してから起きるまでには、空白の時間があるがな」
 空白の時間、それがどの時間を指すのか、考えるよりも前にカズキはエヴァンジェリンと六桝から視線を背けていた。
 すでに意識は戻り、目を開けているというのに、あの光景が見えてくる。
 無念を込めて謝罪の言葉を口にする自分、偽善者と呼んで嘲り笑う攻爵、そしてその攻爵をサンライトハートでバラバラに吹き飛ばす。
「痛ッ」
 小さな呟きに、気付く。
 自分が何時の間にか、エヴァンジェリンの手を握っていた事に。
「ごめん」
 顔は背けたまま、手放そうとするが、何故か手が離れない。
 エヴァンジェリンの手は、小さくて、思ったよりもひんやりと冷たかった。
 弱い、縋ろうとしている自分が。
 あれ程までに攻爵に俺が覚えていると叫びながら、本当は何処か忘れたがっている。
 きっとエヴァンジェリンにそれを頼めば、攻爵の記憶を少しではなく、全て忘れさせてくれるだろう。
 忘れたい、だが攻爵の声が、その時の声が思い浮かぶ。
 偽善者と。
 善でも悪でもなく、中途半端な偽善者。
 もしも今ここで、本当に忘れてしまおうとしてしまったのなら、その言葉は本当の物になってしまう。
 まだあの光景は脳裏に焼きついたままであったが、カズキはゆっくりとベッドから体を起こして、エヴァンジェリンを見て言った。
「攻爵は、死んだよ。俺が殺した」
「だろうな。地面にクレーターまで作って、轟音に目を覚ましたら警察が直ぐそこまできていたそうだ。高音と愛衣に感謝しろ、そのままだったら今頃豚箱の中だ」
 事実として認めながら、良くやったと言わないのは、エヴァンジェリンなりの優しさなのだろう。
 カズキは心底疲れ果て、寄り添って眠る高音と愛衣を見てから、六桝へと視線を向けた。
「今日は、世話になりっぱなしだな。助かったよ」
「曲がりなりにも、親友だからな。お前関係じゃなければ、手は貸さなかった。にしても、二度も瀕死の人間を助けて疲れた。起きたなら、さっさとどけ」
 蹴り出されるようにベッドを追い出され、六桝が代わりに壁にもたれて寝ていた愛衣と、次いで高音を抱き上げ寝かせる。
 百六十二センチと小柄な体つきでありながら、意外と力持ちであった。
 元々が、意外性の塊のような男ではあるのだが。
「この二人は、目を覚ましたら直ぐに帰させる。お前も、今日はもう部屋に戻ってゆっくり休め。明日からは、また普通の日常だ」
「そう、だな。おやすみ、六桝。エヴァンジェリンさん、行こう」
「お、おい」
 なにか言いたそうなエヴァンジェリンを引っ張り、カズキは六桝の部屋を後にした。
 消灯時間が近い事もあり、廊下はすでに電気が消され、満月をカンナで薄く削り取ったような月が照らす月明かりだけが頼りであった。
 とは言っても、自分の部屋まで何部屋も離れているわけではない。
 暗さと明るさの同居する廊下を歩きながら、カズキは六桝の言葉が頭から離れる事はなかった。
 明日からは、また普通の日常。
 今はまだ小さな疑惑を胸に燻らせながら、辿り着いた部屋のドアを開ける。
「あ、エヴァちゃん。ぎっくり腰は治りかけがだい……大ストロベリーッ?!」
 素っ頓狂な声を挙げたのは、表向きに積み上げられたトランプの山を前に、自分もまた扇状に開いたトランプを持っているまひろであった。
 他にも明日菜や木乃香、そして茶々丸も同じように扇状に開いたトランプを持っているが、これまたまひろと同じように様子がおかしい。
 明日菜は顔が真っ赤であるし、木乃香も似たような顔色で頬に手を当てている。
 極めつけに、茶々丸が手に持っていたはずのトランプをばらばらとそれと取りこぼしていた。
「エヴァ義姉ちゃん!」
「誰が義理の姉だ。貴様もとっとと離せ。見ろ、血のめぐりが悪くて真っ白じゃないか!」
 抱きつくように飛びかかってきたまひろの頭をぺしりと叩くと、エヴァンジェリンがカズキの手を振り払う。
 そこでようやくカズキも、六桝の部屋からずっと手を繋ぎっぱなしであった事に気付いた。
「うん、ごめん」
 素直に悪いと思って謝ってみたが、それで素直に事態が終結するはずもない。
「これが噂のツンデレってやつやね。はまり役やん、エヴァちゃん。なにしてきたん、なにしてきたん?」
「エヴァちゃん、師匠って呼ばせて。もう我慢できない。年上の落とし方教えて!」
「ええい、やかましい。妙な名称で人を呼ぶな。遊んでないで、さっさと帰れ!」
 ここが男子寮である事を考えるとエヴァンジェリンの発言は間違いではないのだが、曲解と言うのはこういう時に起こるものである。
 トイレに行くと一人で席を外した少女が、男の人と手を繋いで帰ってきて、部屋から出て行けという。
 曲解は言い過ぎであっても、誤解するには十分であった。
 カズキとエヴァンジェリンが手を繋いでいた事を目撃した時以上に、明日菜と木乃香の顔が赤くなり、急に余所余所しい態度となる。
「そ、そや。うち、急用を思い出してしもた」
「あ……私も、勉強しないと」
「お、落ち着いて木乃香ちゃん、明日菜ちゃん。大丈夫、何を隠そう私は助産婦の達人ッ!」
「どういう思考回路をしとるんだ。阿呆か、貴様らはッ! ええい、カズキお前からも何か言え。それに茶々丸はどうした!」
 会話が一向に成り立たない事に業を煮やしたエヴァンジェリンが、横に居るはずのカズキへと振り返ると全く別の方向を見ていた。
 エヴァンジェリンの逆側から話しかけている茶々丸の事をである。
「カズキさん、体の方は大丈夫ですか?」
「すっかり、とは行かないけれど。六桝が治してくれたみたいだ。大丈夫、ありがとう茶々丸さん」
 危篤状態を脱してまる一日のエヴァンジェリンと、つい先ほど危篤状態だったカズキとでは、さすがの茶々丸もカズキに軍配が上がったようだ。
「茶々丸、私をさしおいて、何をカズキと喋っておる!」
「申し訳ありません、マスター。しっぷの代わりなら、すでにここに」
「このボケロボ、ぎっくり腰はそもそもお前の下手糞な言い訳から始まった事だろうが!」
 一人で数え切れない突込みを行わなければならないエヴァンジェリンは、息も絶え絶えの様子であった。
 今の所、まわりがボケしかいないのだから仕方のないところだ。
 だがここで、エヴァンジェリンにとって救世主になるかもしれない突っ込み役が現れた。
 寝るときにさえ固めているリーゼントは男の証、その先っぽにナイトキャップが被せられていても。
 その名は岡倉英之、嫉妬に燃える古き良きヤンキーである。
「カ〜ズ〜キ〜、お前は再び俺の心を裏切った。俺のリーゼントが光って唸る、お前を倒せと輝き叫ぶ。愛と怒りと悲しみのォ、リーゼント・アタックッ!」
 確かに塗り固められたワックスによるてかりを見せて、部屋の外から岡倉が突っ込んできた。
 だがリーゼントの先端がカズキに触れる直前、茶々丸の手刀が岡倉自慢のリーゼントを叩き折る。
 そのまま岡倉を真下に押し倒して、後ろ手に締め上げた。
「殺傷性のあるリーゼントと判断。マスターとカズキさんの安全の為に、叩き伏せます」
「あれ、これなんてデジャブッ?!」
 必死にタップを繰り返す岡倉を見て、可笑しそうに指を指しながらまひろがお腹をおさえて笑う。
 滑稽な姿を笑う事を悪いと思いながら、明日菜や木乃香も俯き加減に肩を震わせながら笑っている。
「懲りずに勝手に突っ走るから。ごめんね、え〜っと茶々丸ちゃん? もう少し力を緩めてくれると嬉しいんだけど」
「いえ、既に制圧は終わっています。貴方に引き渡します」
「くそぉ……俺と言うリーゼントが敗れようと、再び第二、第三のリーゼントが必ず……ぐふっ」
 遅れてやってきた大浜が、謝りながら茶々丸を説得して岡倉を助け出すが、本人はあまり懲りてないようだ。
 うわごとのように呟きながら、がっくりと力を失う。
 もはやすでに事態の収拾を諦めたエヴァンジェリンは、何時の間にか勝手にカズキのベッドに潜り込んで不貞寝を決め込んでいた。
 そこへ若干増え始めた野次馬を掻き分けながら現れた六桝が、呆れ口調で言った。
「もうすぐ消灯時間だぞ。静かにしろ。カズキ、お前はもう寝ろ。そこのチビッ子は、さっさと帰れ。まひろちゃんたちも、今日は帰った方が良いよ」
「おい、なんだその差別的な態度は!」
「オッス、おらカズキ。エヴァンジェリンさん、また明日ね」
「それで私が納得するとでも思ったか、六桝孝二。しかも、絶妙な声マネはなんだ。貴様はそもそも何者だ!」
 結局は突っ込みを抑えきれずに、布団を跳ね上げてエヴァンジェリンが六桝へと文句を言う。
 それだけに収まらず、喉に手刀をとんとん当てて六桝が出したカズキの声に、突込みが止まらない。
 落ち着いてくださいお嬢様と、今さら思い出したかのようにまひろたちがエヴァンジェリンを押さえつける。
 もちろんそれでエヴァンジェリンの腹の虫が収まるわけもなく、この事態が収拾するわけもなかった。
 それらを見ながら、カズキは思う。
 確かにここに自分の日常があると。
 エヴァンジェリンと茶々丸は、この数日で新たに加わった日常だが、日常に違いはない。
 癒される、この数日命と心を削りながら戦ってきた傷跡が。
 無理矢理にではなく、目の前の光景が自然と笑みを浮かび上がらせてくれる。
 明日からずっと続くであろうこの光景、それで良いのだろうかと部屋に入るまでに胸の中にあった疑惑が浮かぶ。
 自分は攻爵を止められなかった責任をとって、攻爵を殺した。
 そしてその攻爵に、蝶野攻爵と言う人間がいたという事を決して忘れないと言う約束もした。
 出来れば近いうちに、幸いに明日は日曜日なので、花と線香を供える墓をこの麻帆良の何処かに立てようとも思う。
 だが、それは本当に正しい事なのだろうか。
「謝るなよ、偽善者」
 鮮明に残っている攻爵の声、言葉。
 攻爵はこうも言った。
「死んだ後の事なんて関係ない」
 蝶野攻爵と言う人間を覚えている事も、勝手に死体のない墓を作る事も、全てはカズキ自身の為なのではないだろうか。
 偽善、偽ものの善行。
 本当に自分が正しかったのか確信もないままに、勝手に日常へと戻っても良いのだろうか。
 カズキの中に、その答えはまだ見つかっていなかった。

第七話 化かし合いは私の勝ちだ

 茶々丸に身動きのとれないエヴァンジェリンを任せると、直ぐにカズキたちは攻爵の実家へと向けて移動を開始していた。
 カズキは高音が出した移動用の影人形の背に乗せてもらい、愛衣は自分のアーティファクトである箒に乗って空の上である。
 速度そのものは自動車と変わらないが、直線で移動できるので移動そのものは早い。
 攻爵の実家は間近かと、高音が広げている地図を後ろから覗き込もうとすると、ポケットの中から携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 こんな時にと思ったカズキであったが、液晶に移ったまひろと言う名前に数秒迷ってから通話ボタンを押す。
「どうした、まひろ?」
「私だ。エヴァンジェリンだ」
 本人が名乗った通り、エヴァンジェリンの声であったが、何故と首を傾げる。
「お前たちが出た後に六桝とかいう小僧が、武藤まひろとその他を呼びつけたんだ。他の魔法使いへの牽制のつもりだろう。一般人に加え、学園長の実の孫と被保護者である近衛木乃香と神楽坂明日菜までいるんだ。中々に悪知恵が働く。それで、そっちの状況は」
「ストロベリートクだよ、ストロベリートーク。お兄ちゃんとエヴァちゃんはラブラブゥ!」
「エヴァちゃん、年上の落とし方を教えてくれないかな?」
「でもぎっくり腰の看病の為に部屋を貸すなんて、二人とも進んどるなぁ」
「ええい、横でごちゃごちゃと五月蝿い! 茶々丸、こいつらを黙らせろ。それに誰がぎっくり腰だ!」
 きゃいきゃいと騒ぐ声が携帯の向こう側であがり、エヴァンジェリンの一喝も効果が薄いようだ。
 通話の内容までは聞こえていないようだが、エヴァンジェリンの元気な声に高音も愛衣も笑っていた。
「たぶん、もう十分もしないうちに攻爵の実家が見えてくると思う」
「そうか。ならば、そろそろ警戒しろ。出る前にも言ったが、鷲型のホムンクルスが迎撃に出向いてくる可能性が高い。その場合は、予定通り行動しろ。って、こら返せ!」
 携帯電話の向こうで何が起こっているのか、いきなり通話相手が変る。
「お兄ちゃん、まひろだよ。何しに何処へ行ってるのかしらないけど、エヴァちゃんの事はこっちに任せておいて。ナイチンゲールの誓いにかけて、看護婦まひろがちゃんと面倒みるから。何を隠そう、私は看護の達人ッ!」
「あ〜、これ見るといつも兄妹なんだって思う。でもまひろちゃん。それって思いっきりメイド服なんだけど……何処で見つけてきたの?」
「ん? 茶々丸ちゃんが貸してくれたよ。こういうの一杯持ってるんだって」
「ご所望であれば、明日菜さんと木乃香さんの分も用意いたしますが」
「お願いするわぁ。たまには自分がお嬢様って言うてみたい。明日菜はどうするえ?」
「忘れてるみたいだから言っとくけど、ここ男子寮よ。カズキさん、後で岡倉さんとか他の寮生に殺されるかも」
 明日菜の呟きは携帯電話を通じてしっかりとカズキの耳に届いていた。
 最近岡倉には色々と恨みを、逆恨みを買っているので、この上自分の部屋でメイド服の少女たちが遊んでいれば抹殺されかねない。
 さっさと終わらせて帰ろうと、別の意味で誓っていると、ようやく電話がエヴァンジェリンへと戻った。
「はーい、ストロベリートーク再開です。お嬢様」
「やるならやるで、もっとかしずけ! まったく……カズキ、蝶野攻爵も必死だ。もはや私からお前に言える事は、躊躇うなと言う一言だけだ。奴に躊躇はないぞ。無事に帰って来い。そう、高音と愛衣にも伝えろ」
 妙に優しいエヴァンジェリンの言葉が、慣れないせいかむず痒い。
 ぶつりと通話の切れた携帯電話を仕舞っていると、愛衣がはためく髪を押さえながら言ってきた。
「元気そうでしたね、エヴァンジェリンさん。孝二おにぃ……孝二さんに感謝しないといけませんね。えへへ」
「高音さんも愛衣ちゃんも、無事に帰って来いだって。六桝の魔法が変に効いちゃったかな」
「愛衣、浮かれるのは全てが終わった後です。カズキ君も、警戒だけは怠らないように。それにしても、あれ程の腕を持った人が魔法生徒にも登録されず、一般の生徒として過しているとは思いもしませんでした」
 エヴァンジェリンは明らかに重症、それも瀕死の状態であった。
 愛衣の回復魔法が拙いと言ってもそれは愛衣が持つ魔法の中でもと言う意味であって、他の魔法生徒に比べたら格段に上だ。
 六桝はその上で、さらに愛衣が足元にも及ばないような回復魔法を使って見せた。
「あいつ色んな事に興味のある事やつだし。たぶん聞いてもこう言うよ。魔法が使えるからって魔法使いにならなきゃいけないわけじゃないって」
「クール過ぎます、孝二さん」
「善でも悪でも異端でもない。さしずめ隠遁の魔法使いといった所ですか。本当、色々な魔法使いがいますね。善と悪だけでわけようだなんて、世界が狭すぎます」
 高音の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、三人の瞳の色が変った。
 警戒レベルを最大限にあげて前方を睨みつけるように見ると、直後風圧がプレッシャーとなって押し寄せてきた。
 必ずと言って良いほどに行われる風による揺さぶりは、鷲型のホムンクルスの翼によるものである。
 風に煽られ、高音と愛衣がそれぞれ身を預ける影人形と箒を必死に操っていると、前方やや上から鷲型のホムンクルスが強襲をしかけてきた。
「主の、新しき命の生誕の為に。ここでお前たちを止めるッ!」
「来ます、愛衣。それにカズキ君!」
 そう言いながら、高音は足場ともなる影人形の質量を肥大させる。
「メイプル・ネイプル・アラモード。ものみな焼き尽くす浄北の炎、 破壊の王にして再生の徴よ。我が手に宿りて敵を喰らえ」
「来たれ(アデアット)!」
 箒から高音の影人形の上へと降りた愛衣が、口にする詠唱とは別に無詠唱で火の矢を三本放つ。
 指先が何かをつまむような三種三様の放物線を描いて鷲型のホムンクルスへと向かっていく。
 時間と場所は違えど、結果は同じだとばかりに鷲型のホムンクルスが翼を広げて突風を生み出そうとする。
 つまりは急降下を停止して、止まる。
「それを待ってました。紅き焔ッ!」
 鷲型のホムンクルスの目と鼻の先に、爆炎を生み出し飲み込んだ。
 魔法使い相手に、そう何度も同じ手が通用するはずもない。
「エネルギー全開、サンライトスラッシャーッ!」
 畳み掛けるように、影を足場にカズキが未だ燃え盛る爆炎の中へ向けて飛び出した。
「知っているぞ、炎とは無酸素状態では長く続かない。私の翼により、一瞬であればそれを作る事が出来る」
 鷲型のホムンクルスが身を守るように閉じていた翼を一気に広げて自分以外の全てを振り払う。
 真空とまではいかなかったようだが、少なくなった酸素を瞬く間に燃やし尽くして愛衣が生み出した爆炎は消えてしまった。
 さらに向かってくるカズキを迎撃しようと、かぎ爪を突き出してくきた。
 だがこの場にはまだ手札を見せていない高音がいた。
「影よッ!」
 カズキのサンライトハートが見せる光の中に隠れてすり抜けるように、帯状の影がいくつも伸びて、突き出されたかぎ爪を縛り上げる。
 サンライトハートの切っ先が腹を、そこにある人の顔を打ち抜くより前に、鷲型のホムンクルスは片方だけの翼を器用に差し出した。
 翼の表側にサンライトハートの切っ先が触れると、カズキの手に奇妙な感覚が伝わってきた。
 刃を持って斬り裂いたはずが、鈍ら刀で表面をなぞったような感覚である。
「知っているぞ、いかな鋭い刃先でも。先端を僅かにずらせば回避は可能」
 何事もなかったかのようにすれ違うカズキと鷲型のホムンクルス。
 だが今のカズキに躊躇はなく、すぐさま空中で無理に体を捻ると、鷲型のホムンクルスの翼目掛けてサンライトハートの飾り布を投げ振りかけた。
 思った通りに翼に飾り布がまきつく事はなかったが、表面に触れただけでも十分であった。
「弾けろッ!」
 爆光、鷲型のホムンクルスの翼にひびをいれる。
「不覚ッ!」
「高音さん、愛衣ちゃん。予定通り、先に行く!」
「二手に別れるか。私がそれを許すとでも、なに?!」
 片方の翼にひびが入っても、鷲型のホムンクルスは足場を失くして落ちていくカズキを追いかけようとする。
 だがその足、かぎ爪には未だ高音の影によって縛り上げられていた。
 予定外の重量に動きを鈍らされ、振りほどこうとするが影はしっかりと掴んで離さなかった。
「貴方にはここで、この高音・D・グッドマンの相手をしてもらいます」
「私もいます。忘れてもらきゃッ!」
「この大空で、私を止められると、勝てると思ったか。このまま引きずり、地面にて打ちつけ殺す。奴を追うのはその後だ!」
 動きが鈍ったとは言え、そこは大空の覇者である大鷲。
 かぎ爪に高音の影を巻きつけたまま、無理矢理引っ張り、地面へと向けて急降下を仕掛けた。
 つい先ほどまで自分たちが移動していた速さとは比べ物にならず、落下以上の速さに呼吸が出来ない。
 瞬く間に見えてくるのは、地上のアスファルト。
 住宅地のど真ん中であり、このままでは麻帆良の外にてホムンクルスや自分たち魔法使いの姿をさらしてしまう。
「愛衣、認識障害を。ホムンクルスの方は私がなんとかします!」
「分かりました、お姉さま!」
 少ない酸素で言い切り、まずは愛衣が高音の影人形から飛び降り箒に跨ると広範囲に認識障害の領域を作り出す。
 大鷲のホムンクルスに引っ張られるままの高音は、ついに耐え切れず束縛の影を離してしまう。
 ニヤリと大鷲の腹にある人間の顔が笑みを浮かべ、そのまま今度はカズキを追う為に急上昇をしようとするが、目の前が影に覆われる。
 一瞬で昼が夜になったように感じたそこには、数多くの影人形がおり、そのまま殴りかかってきた。
 カズキの一撃を見切る鷲型のホムンクルスでも、数の前ではその見切りも無力であった。
 ひびのある片方の翼を重点的に攻撃され、致命的な傷を負ってついに落下する。
「急がねば……主が、主が生まれ変わるその時まで、時間を稼がねば。邪魔立ては、許さん!」
 飛べなければ、この場にいる高音と愛衣を倒さなければ追えないと、ついに鷲型のホムンクルスの瞳が二人を捕らえた。
「さあ、愛衣。ここからが正念場です。カズキ君のサンライトスラッシャーを見切った目と言い、攻爵の護衛であるだけあって他のホムンクルスとは一味違います」
「確かに強いです、このホムンクルスは。お姉さま、アレお願いします」
「そうね、全力で倒しに行きます。黒衣の夜想曲!」
 鷲型のホムンクルスをなぎ倒した影人形たちを呼び寄せた高音は、その影人形たちを一つに纏めていく。
 大きさこそは複数体の影人形全てを集めたよりは小さいが、それは影を凝縮しているからである。
 密度の高い影人形一体を背後に背負い、そこから伸びてくる帯状の影が高音とそばに居る愛衣の体を包み込んでいった。
 普段は影人形として使う影を攻防一体の武器として纏う、黒衣の夜想曲。
 制服の中へと滑り込んでいった影が、外観からでは分からない戦闘服となる。
 対する鷲型のホムンクルスは飛べないと分かると直ぐに人型に戻り、器用に腕だけは翼とかぎ爪を残したままの地上戦用に姿を変える。
 異端の魔法使いとその従者である恋する魔法使い、そして攻爵を守護する最後のホムンクルスとの戦いが始まる。





 空から落下したカズキは、サンライトハートの飾り布を爆発させて衝撃を緩和、だが大人数に目撃されてしまい一目散に逃げ出した。
 人の噂も七十五日と自分が住む麻帆良市の外である事をありがたく思いながら、走って攻爵の実家を目指す。
 そして辿り着いた蝶野の表札がある家は、門構えからして立派な武家屋敷のようなたたずまいであり、ここに攻爵がと屋敷を見上げる。
 だがそう思っていられたのも、インターホンを鳴らして攻爵の父親に会うまでであった。
「え?」
 サングラスをかけた厳つい男を二人後ろに従え、袴姿で現れた攻爵の父の言葉が信じられずカズキは問い返していた。
「だから知らんと言っている。どうせまだ麻帆良学園の寮にでも引きこもってでもいるのだろう」
 攻爵が何をしようとしているのか知らないからもあるだろうが、それ以上に攻爵の父は攻爵に興味がないように見えた。
 学年は違えど、同じ麻帆良学園の高等部に通うカズキが尋ねてきたのに、なにかあったのかと心配の言葉もあげない。
「あいつにはこの蝶野家の家督を引き継がせる事を目的とし、幼い頃からありとあらゆる教育を施し、そしてその甲斐あってこの家の礎を築いた曽々祖父に比肩すると周囲から言われるまでに育てあげた」
 それはまるで、目的の為だけに攻爵を育てているかのような言葉であった。
 いや、実際にそうなのだろう。
「それが今じゃ、高校を二回も留年する。今年で二十歳の引きこもり」
「貴方、蝶野のお父さんですよね? 蝶野、病気で苦しんでましたよ」
「それがどうした? 目的も果たせないなら、ただの役立たずだ。何があったか知らんが、伝えておけ。蝶野の家督は次朗が継ぐ事に決まった。お前はもう要らんとな」
「さあ、帰った帰った」
 控えていた黒服の一人に肩を突き飛ばされ、その間に蝶野の父親は門の奥へと消え、そのまま閉ざされる。
 蝶野が苦しむ理由は、病気だけではなかった。
 道具としてしか見られず、愛してくれない家庭。
 湧き上がる同情を振り払うかのようにカズキは頭を強く振り、携帯電話を手にとった。
 半端な同情は躊躇を生む。
 躊躇は己だけでなく、周りまでもを巻き込むと言い聞かせながらカズキはリダイヤルの中からまひろの名前を選んだ。
「あ、お兄ちゃん? 私たちならまだ部屋にいるよ。エヴァちゃんも動けないし、寮長さんに頼んで今日だけ特別に遅くまでいられるように頼んだの」
「そうか、ごめん。エヴァンジェリンさんに代わってくれないか?」
「良いけど、お兄ちゃん大丈夫? なんか、声とか変だよ?」
 気遣ってくれるまひろの声が沈んだ心を暖めてくれる。
「大丈夫、なんでもない。まひろ、明日には皆でどこか遊びにいこうな」
「お嬢様や茶々丸さんも一緒にね。お嬢様、お兄ちゃんからのストロベリーコールです」
「うむ……って、なにがストロベリーコールだ。貸せ!」
「お嬢様、かわええわ。照れとる。それともすねとる? まっぴーが先にカズキさんとお話したから」
「二人とも、役に入りすぎ。エヴァちゃんは、なんかどうに入ってるけど……」
 どうやらあれからずっとメイドさんとお嬢様ごっこが続いていたようだ。
 なんとも微笑ましいが、カズキは気を引き締めて、つい先ほど垣間見た事実を端的に伝えた。
「エヴァンジェリンさん、ここじゃなかった。ここは蝶野の居場所じゃない」
 自分が蝶野だとしても、行く場所がなくてもここだけは頼らないように思えた。
「茶々丸にさらに蝶野攻爵の事を調べさせたが……お前の声の調子からだいたいの事は分かる」
「やっぱりまだ麻帆良学園の中にいるかもしれない」
「鷲型のホムンクルスはどうした?」
「高音さんと愛衣ちゃんが抑えてて……そうか、やっぱりこの周辺にいるはずだ」
 麻帆良学園内に居る可能性はこれで消え、やはり屋敷かその周辺にいると推察できる。
 いくら超人を超える超人になる為の準備が整ったとは言え、護衛は近くに置いておきたかったはずだ。
 何処か、ヒントになるものはと攻爵とのこれまでの会話を思い出そうとすると、先にエヴァンジェリンが思いついたようだ。
「蔵だ。屋敷の敷地の中に蔵はないか? 奴は、実家の蔵で曾々祖父が残したホムンクルスの研究日誌を見つけたと言っていた。そこだ。正面から向かえば、家の者が大抵の者は追い返してくれる。蔵の中なら、その家の者に出会う事もない」
「分かった、行ってみる」
 正面玄関から見える屋敷の脇に、確かに蔵があった。
 確認すると直ぐにカズキは通話を終えて向かおうとしたが、エヴァンジェリンが呼びかけてきた。
「くどいようだが、カズキ。何があっても躊躇するな。それと、奴への伝言を忘れるな」
「うん、分かってる」
 今度こそ携帯電話の通話を切り、蔵が直ぐそこに見える塀の前まで移動する。
「来たれ(アデアット)」
 周りに誰もいない事と塀の向こう側に誰もいないか声を確認してからサンライトハートを出すと、先に槍を塀の向こうへと放り投げた。
 先ほどのような黒服に見つかれば一発アウトだが、確認した通り騒ぐような声は聞こえなかった。
 幅広の刃の鍔元が向こう側の屋根に引っかかった事を確認すると、飾り布を握り、塀に足を掛けて乗り越えていく。
 塀の上からも一度人影を確認して飛び降りると、隠れての行動に邪魔なのでサンライトハートを消す。
「去れ(アベアット)」
 蔵はもう目の前で、扉の前にまわりこむ。
 扉には錠前があったが、開いていないように見せかけているだけで、鍵もないのにあっさりと取れた。
 おそらくは中から開ければ簡単に開くようにしてあったのだろう。
 エヴァンジェリンの言った通りだったと、カズキは両開きの蔵の扉を思い切り開け放った。
 夕暮れの赤い明かりが扉から差し込む先に、小さなフラスコを取り囲む培養装置の前に蝶野はいた。
「見つけたぞ、蝶野」
 立ち上がり、振り返った攻爵が信じられないと言った眼差しながら呟いた。
「お前は、武藤」
 二人の視線が交差し、両者共に言いようのない激昂がこみ上げる。
 カズキは攻爵とホムンクルスによって、大切なものをたくさん傷つけられ、それでも歯を食いしばりながら必死に追いかけてきた。
 攻爵はカズキを取り巻く者たちによって、己を守るホムンクルスを殺され、追い詰め追い詰められ、必死に逃げてきた。
 興奮するなと言う方が無理なのだ。
「蝶野ォーッ!」
「武藤ォーッ!」
 度重なる戦闘の疲労から体がついていかなかったカズキは目の前が真っ白になりかけ、攻爵は病気により弱まった体で叫んだものだからそのまま吐血する。
 両者ともに、意味は違えど人としての限界が近付いてきていた。
「鷲尾は敗れた……いや、お前の足止めに失敗したのか」
「そうだ。恐らくは今も、高音さんと愛衣ちゃんが必死に戦ってる」
「たかが三人の凡人の足止めさえ出来ないのか。そんな簡単な目的も果たせない役立たずだったとは思いもしなかったぞ。あと十数分、それだけでもよかったのに」
 親から役立たずと言われたのに、主の為にとあれ程尽くそうとするホムンクルスを何故また自ら役立たずと呼ぶのか。
 歯を食いしばり、無駄な同情を口にしようとする喉を無理矢理押しつぶす。
 吐いて良い言葉はもう決まっている。
「蝶野、そのホムンクルスの元を破壊する」
「駄目だ。どんな手を使ってでも俺はこれを死守する。生きたい。ただそれだけの事がどうして分からない!」
「分かる、俺だって分かってる。エヴァンジェリンさんが死にそうだった時、俺はどんな手を使ってでも治してあげたいと思った。例えそれで誰かを傷つけても」
 それが許されると思っていたわけでもない。
 まぎれもなく、傷つけたって構わないと平気で思っていた。
「だけどそう言った俺や茶々丸さん、愛衣ちゃんを止めてくれた人がいた。自分も気持ちは同じだと言いながら、それだけは駄目だと」
「どうせあの女は吸血鬼、化け物だ。死んでも構わないと思ってたんじゃないのか。もしくは学園の魔法使いの報復を恐れた」
「違う、高音さんは知ってたんだ。人が踏み越えちゃいけないものがある事を、死んでもやっちゃいけない事がある事を。口先だけじゃない、本当の意味で!」
「それがどうした。どうせこのままでは死ぬ身、それこそ死んでもやってやる!」
 そう、あの時も自分は同じ事を思っていた。
「だからこそ、俺は今、お前を止める。お前にも必要なんだ。お前を止めてくれる人間が。今のままだったら前は、死んでも一人ぼっちだ。墓があっても、花も線香もない。手を合わせる人もいない。誰の記憶にも残らない」
 きっと蝶野を止める事で生まれる責任がそれだ。
「お前が犠牲者に償う間、俺がお前のそばにいる。例え死んだとしても、俺がお前の事を覚えている。だから、そこをどけ蝶野! 来たれ(アデアット)!」
 サンライトハートをホムンクルスの培養装置に向けて構える。
 もちろん蝶野も黙ってはおらず、立ちふさがるように両腕を広げた。
 それでもカズキは躊躇しなかった。
 もちろん蝶野を殺しはしない、壊すのはホムンクルスの培養装置のみ。
「サンライト」
 飾り布が弾けた音に紛れ、何かが弾けた。
 サンライトハートが勝手に手を離れて零れ落ちていってしまう。
 さらには意志に背き、カズキの足がくずれ体がそのまま倒れこんでいく。
 背中、または腹の辺りが熱く、伸ばした手にねちょりと粘着質の液体が付くと共に、蔵の床に赤いものが広がっていった。
「騒がしいと思って来てみれば、銃刀法違反の押し入り強盗か。こっちも似たようなものだけどね。そう思わないかい、兄さん?」
「なんの用だ、次朗」
 蔵の入り口から現れたのは、攻爵と瓜二つの顔を持つ攻爵の弟であった。
 その手にはつい先ほどカズキを撃った拳銃が握られていた。
「父さんが何処とも知れない奴に、大事な伝言を頼んだって言うから止めにきたのさ。あの事は僕から直々に兄さんに伝えるつもりだったからね。家督の件さ、今度正式に僕が継ぐことになったよ」
「そんな事か。俺にはもうどうでも良い事だ」
「へぇ、そう? でもね、僕には凄く大事なことなんだ。こっちを向きなよ、兄さん」
 心底どうでもよさそうに、無事であった培養装置を見ていた攻爵へと、次朗が拳銃を突きつけながら命令する。
「一年……分かるかい、兄さん。この言葉の意味が、この絶望が。同じ蝶野の家に生まれながらその一年のせいで、ずっと僕は兄さんの予備扱い。普通の教育、普通の学校、普通の生活! 名前だって曽々爺ちゃんにちなんだ由緒ある爵の一文字をつけてもらえずいたって普通!」
 拳銃を突きつけながら目の色を変えて離す次朗を、攻爵はただただ冷めた瞳で見つめていた。
 価値観が根本的に違ってしまっている。
 攻爵はただ生きたいだけ。
 これからも生きていける次朗が喚く意味が分からないのだ。
「兄さんが発病するまで、僕がずっと地を這う芋虫だったんだ!」
「が、はっ……そんな、ことより……培養装置を」
 意識の混濁より我に返ったカズキが、サンライトハートに手を伸ばしながら呻く。
「そんな事、そんな事って言ったか? 僕がどんなに、どんな気持ちで生きてきたか。お前に分かるのか? 分からないなら、どうして分からない。分かるなら、どうしてそんな事呼ばわりが出来る!」
「あ、ぐっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」
 サンライトハートへと伸ばした手を踏みにじられ、次いでどてっぱらに開けられた銃創を踏みにじられる。
「安心しろ、地を這う芋虫。僕がなんの為に、お前を撃ったと思う。何の為にここへ来たと思っている。こうする為さ」
 ずっと攻爵へと向けられていた拳銃の矛先が変り、ホムンクルスの培養装置へと向けられる。
 さすがにこの行為には攻爵も無視は出来ず、カズキの時にそうしたように立ちふさがる。
 高さ的には、五十センチもない円筒を庇うために、膝を折るようにしてだ。
「止めろ、次朗」
「良いよ、兄さんその格好。蝶野の名と、曽々爺ちゃんの爵の字が泣くよ?」
「黙れ、俺はこれで超人を超えた超人になるんだ。誰にも邪魔はさせない!」
「まあ、僕としてはこうでも構わないけどね。兄さんの絶望する顔が見られないのが残念だけど」
 ごりっと攻爵の額に直接押し付けられる銃口。
 次朗の指がトリガーを少しずつ推し進めていったその時、培養装置が電子音を鳴らした。
 中央に設置されていたフラスコが蓋を開けて蒸気を噴出す。
「完成した、これで超人を超えた超人に。俺は」
「詳しい事は良く分からないが、それじゃあ困るんだよ!」
 ついに銃弾が撃ち放たれたが、撃たれたのは頭ではなく喉元。
 急に立ち上がった攻爵に驚いた次朗が撃ち損じたのだ。
 それでも血を飛散させながら倒れこむ攻爵は、夢を追いかけ、手を伸ばしていた。
 その手が培養装置に設置されたフラスコを叩き割り、中にあったホムンクルスの元を培養液と共に流れ出させ、攻爵の手が触れていた。
 何度も塗りつぶした油絵の様に、ホムンクルスの元が馴染んでいく。
「やった……これで、僕の家督の相続を揺るがす者はいない。僕が蝶野家の跡取りだ。その暁にはまずこの名前を変えてやる。爵の字を、なによりも欲しかったそれを手に入れる!」
 実の兄を殺しながら歓喜の声をあげる次朗は、攻爵の様子に気付いていなかった。
 穿たれた喉から流れる血が減少していた事に、傷が塞がり始めていた事に。
 そして何事もなかったかのように、攻爵がむくりと起き上がる。
「え?」
 立ち上がり、ただじっと自分の両手を見ている攻爵を、信じられないようなものを見たように次朗が呟く。
 そして外したのかと、何の感慨もなくもう一度、今度は攻爵の頭に銃口を押し当てて引き金を引く。
 銃弾を打ち出すための火薬が弾け、金属を打ったような音が響き、頭がほんの少し傾いた攻爵の視線が手の平からずれていた。
「死ねよ……死ねよ、なんで死なないんだよ。死ね、死ね、死ねッ!」
 何度撃っても今度は攻爵の頭を傾ける事すら出来ず、やがて全ての弾を打ち切ってしまう。
 そしてゆっくりと振り返って攻爵は言った。
「次朗、やっぱり家督はお前にやるよ」
「ひいッ!」
「代わりに、俺はお前の命を貰う」
 腰が抜けそうな程に脅えた次朗が崩れ落ちないように、攻爵がその手の平で顔を掴む。
 実際に次朗は腰がぬけていたが、病弱のはずの攻爵は片手一本で次朗を支えていた。
 次の瞬間、次朗が攻爵の手の平から喰われた。
 衝撃に、攻爵が着ていた男子高等部の学生服が弾けとんだ。
 骨も丸ごと、一瞬にして喰われてしまい、残された次朗の服がはらりと落ちる。
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、接吻のように甘い。これが人間の味か」
「蝶野……お前」
 人間の味と言う甘美に取り付かれようとしていた攻爵が、カズキのかすれるような声を聞いて見下ろす。
 しゃがみ込み、カズキの頭を掴んで目を覗き込むように少しだけ持ち上げた。
「楽しみは後でとっておくたちなんだ。武藤、お前はこの敷地内にいる人間の一番最後だ。それまで、生きろ」
「ま、て…………」
「おっと、そうそう。武藤はさすがに良い事を言う。これがなければ、真の完成とはいえないよな。パピ、ヨン!」
 言葉、言葉に皮肉を込めて、攻爵は唯一身につけているビキニパンツから蝶々のマスクを取り出しはめると、蔵を後にしていった。





 遠ざかっていた意識が呼び戻された時、そこにいたのは携帯電話を片手に喋る高音と、見覚えのある光を手から放つ愛衣であった。
 考えるまでもなく、回復魔法なのだろうが、以前かけてもらった時よりも上達しているようだ。
 六桝との協同回復魔法がコツでも掴ませたのだろうか。
 二人とも衣服に損傷や多少の擦り傷が見受けられ、さらには疲労の色も随分濃い。
 蔵の中の暗さから、すでに日は落ち、あれから随分経っているようであり、それだけの時間をかけて死闘を繰り広げたのだろう。
「待ってください。たった今、カズキ君が意識を取り戻しました。辛いかもしれませんが、彼から喋ってもらいます」
 ようやく意識がはっきりしてきて、高音がエヴァンジェリンと携帯電話で話していたであろう事が理解できた。
 回復魔法をかけてくれている愛衣にゴメンと笑いかけ痛みを伴う腹を押して、上半身を起こす。
 高音から受けとった携帯電話の通話相手は、やはりエヴァンジェリンであった。
「おい、一体何があった?! 高音と愛衣が攻爵の家についてみれば、お前一人が拳銃で撃たれていて、攻爵はいないとまでは聞いた!」
「攻爵の弟に後ろから撃たれた。攻爵は、その弟を喰って……今は、屋敷の方にいるはず。間に合わなかった、止めてやれなかった」
「高音が聞いた屋敷からの悲鳴もそれか」
 つまり攻爵が屋敷の中で虐殺をしていると考えが直結してカズキは無理に立ち上がろうとする。
「カズキさん、まだ傷が完全にふさがってません。無理をすれば、直ぐに出血してしまいます!」
「大丈夫、こうやって立てるんだから」
「立てるって、ふらふらじゃないですか!」
 サンライトハートを杖に、さらに愛衣に支えられながらも蔵を出て行こうとしたカズキを止めたのは携帯電話から響くエヴァンジェリンの声であった。
「三人とも聞け」
 急に止まってしまった為に、愛衣ごと倒れてしまいそうなカズキを高音も手を貸して立たせる。
 それが見えていたわけでもないのだが、三人の視線がカズキの手にしている携帯電話へと集まってからエヴァンジェリンが言った。
「現状は最悪一歩手前だ。カズキは重症、高音と愛衣も疲労困憊で何処まで戦えるか分からない。その状態では攻爵から逃げられないし、逃げられたとしても奴はその街中の人間を殺すだろう。もはや無事に帰って来いとは言わん。奴に、攻爵に勝て」
「そのつもりだよ。蝶野を止められなかったのなら、もう……俺がしてやれる事は、一つだけだ」
「でも、エヴァンジェリンさんも言ったじゃないですか。最悪の一歩手前だって。普通に戦っても勝てません!」
「三人の力を結集するしか、ないですね。愛衣、一先ずカズキ君を横に。貴方は気絶するまでカズキ君に回復魔法をかけなさい」
 まるでエヴァンジェリンの考えがわかっているかのように、先んじて高音がカズキを寝かせようとする。
 やはり立っているだけでも辛かったようで、ほとんど崩れ落ちるようにカズキは横になった。
 すかさず愛衣は、言われた通り全力でカズキの回復に魔力を注ぐ。
「まったく、察しが良いと言うよりも私に似てきたか? 攻爵と戦うのはカズキだ。サンライトハートは戦う意志、闘争本能をエネルギーに変える。こいつは威力よりもむしろ、そこが最大の特徴だ。疲労に関係なく、意志さえあれば常に最大限の力で攻撃できる。いや、ピンチであればある程に力が増すと言っても良い」
「それでもまだ蝶野に勝つには足りません。そこで私がカズキ君と仮契約します。残り全ての魔力をカズキ君に託します」
「さらっと、さらっと言いましたけど、お姉さま。それってカズキさんとキ、キスするって事ですよ」
 初恋が訪れたばかりの愛衣にとって、高音の言葉は衝撃的過ぎておもわずカズキを回復させている魔法が途切れてしまう。
 それはある意味で仕方のないことかもしれないのだが、高音は逆にそれを逆手にとって言い聞かせた。
「愛衣、貴方はカズキ君の回復だけに神経を注ぎなさい。そんな事で戸惑っている場合ではありません。攻爵が戻ってきたら最後、このままでは私たちは殺されてしまいます。愛衣、貴方は初恋が実らないまま死ねますか?」
「そんなの嫌に決まってます。生きます。だいたい私まだ孝二さんの事、名前と凄い魔法使いって事ぐらいしか知らないんです。もう、帰ったら私もキスします。ファーストキス貰ってもらいます!」
 死とは別の方向で追い詰められたような気がしないでもない愛衣は、テンパりながらカズキに回復魔法をかけ始めた。
「そういう事ですので、異存は認めません」
「ごめん、後でなにかで返すから」
 相変わらずの息も絶え絶えでの返答に、高音はべしりとカズキの額を叩いた。
 いくらなんでもそれはないだろうと。
 冷静に喋っているように見えて、高音もそれなりにテンパっているのだ。
 死ぬのは嫌だが、こんな状況でのファーストキスの喪失に思うところがないわけでもない。
 唯一の救いは、カズキに対してそれなりに好感を抱いていた事だろうか。
 あくまでも、それなりだが。
「まったく、それでしたら私を守ってください。愛衣にはもう心に決めた騎士がいるので、今だけ私の騎士になってください」
「分かった、高音さんを必ず守る。太陽を冠する騎士の名に誓って」
「呼び捨ての方が、より恋人らしかったのですが」
 そう言いながら、高音が一思いにカズキへと口付ける。
 魔力によって方円が描かれ、カズキと高音を同じ光で包み込んでいく。
 その瞬間、パチパチと蔵の入り口にて背を預けた攻爵が手を叩いていた。
「実は結構前から居たんだけど、思わず見入ってしまったよ。だけど、超人を超えた超人、蝶人パピヨンの聖誕祭には少し相応しくないかな? だから幕引きは俺がしてやろう。立て、武藤カズキ。俺は貴様たちを倒し、蝶野攻爵を必要としなかったこの世界を燃やし尽くす!」
「止める、俺はそれを止めるぞ蝶野攻爵!」
 仮契約を終えたカズキが立ち上がりると同時に、ずっと回復魔法をかけていた愛衣が疲労から昏倒したように倒れこむ。
 その愛衣を高音に任せ、カズキは落ちていたサンライトハートを手にとった。
 体調は万全とは言えなかったが、それでもサンライトハートは構えられる。
「ふん、蝶人パピヨンか。どうやらカズキはまだ伝えてないようだな。ならば私が直々に伝えてやろう」
「その声……なんだ、生きていたのか。どうせ直ぐに、燃やし尽くされるんだが」
 カズキから受け渡され、今は高音の手に戻った携帯電話を通じて、エヴァンジェリンが言い放った。
「血のスペシャリストである吸血鬼の真祖を舐めるなよ。貴様が手に入れた私の血だが、実はあれに真祖としての因子はかけらも入っていない。始動キーの後に魔法の射手の詠唱を行わなかった事が幸運だった程に紙一重だったが、私は私の血から吸血鬼の真祖としての因子を全て消滅させた」
「なッ?! 馬鹿な、それじゃあこの体は……しかもあれがただの血だとすると、ホムンクルスの元が完成する時間に誤差が生じ、ごはっ!」
 余裕の笑みが消えて焦った攻爵が、人であった時と同じように血を吐き出した。
 そんなまさかと血で汚れた両手を見ながら、よろめいていく。
「化かし合いは自分の勝ちだと吼えていたな。馬鹿め、化かし合いの勝負は最後の最後までわからんものだ。だが、あえて言おう。化かし合いは、私の勝ちだ!」
 一足早い勝利宣言が、携帯電話を通してエヴァンジェリンの口からこの場に居る全ての者に伝えられた。

第六話 私は貴様を哀れむぞ、蝶野攻爵

 振り上げられた高音の手の平が、カズキの頬を思い切り叩いた。
 頬が弾けてしまったかのような音が寮にあるカズキの部屋の中で響いていく。
「どうして……」
 じわじわと広がる痛みから、カズキの頬が赤みを帯びていく。
 だがカズキはまるで痛みを感じていないかのように、耐えるように瞳を潤ませる高音を見ていた。
 彼女の怒り、失望、無念、あらゆる感情を正面から受け止め、それでもなお目をそらさないままであった。
「どうして愛衣をちゃんと守ってくれなかったんですか。善でも悪でも、助ける為に手を伸ばすのが貴方ではなかったのですか?!」
 言い訳の為に動こうとする口を閉ざす為に、カズキは無理矢理歯を食いしばって押さえつけた。
 奇襲だった、魔法が跳ね返されるなんて思わなかった、砂煙で周りが見えなかった、気がついたら愛衣を人質にとられていた。
 口を閉ざしたら閉ざしたで、脳裏に勝手な言い訳が思い浮かぶ。
 なんて情けない。
 何か出来たはずだろう、どうしてそれをしなかった。
 手が届く限り助けると言うのならば、どうしてあの時愛衣へと手を伸ばさなかったのだ。
「ごめん」
 食いしばった口の端から漏れた言葉が、自分の首を締め付ける。
 何故ならほんの少し冷静になった高音が「あっ」と声をあげ、カズキが抱く感情に気付いてしまった。
 いや、カズキが気付かせてしまったからだ。
「二人とも、その辺にしておけ。過ぎ去った過去は変えられん。どう足掻こうとな。どうせ頭を働かせるなら、これからの事に集中しろ」
 ベッドの上に腰掛けながら足を組んだエヴァンジェリンの言葉に、対して直ぐに高音が振り返り言った。
「これからとは、もはや悠長に捜査などと言っていられません。直ぐにでも学園長に直訴して、魔法教師から生徒を総動員して」
「結果、愛衣を見殺すか?」
 まるでそうなるであろう未来を見通すかのような言葉であった。
「私が捜査を一任されている以上、失態は認めよう。だが、言葉だけでは収まらない者もいる。私の排斥ぐらいなら、やれるものならやってみろという所だが……そう言う奴に限って救出作戦の際にスタンドプレイに走る。排斥の手綱を握り、権力を得ようとな。さらにそう言うなら、愛衣のような一魔法生徒ぐらいと、より無茶をする」
「では信頼できる人たちだけでも……」
「今の私たちにどれだけ信頼できる者がいる? 忘れたのか。高音、お前はすでに異端の道にいるのだ。お前に従った愛衣もまた然り。それに、何故蝶野攻爵は、時間と場所、それに私だけと言う条件しかださなかったと思う? 逆だ、それ以外の行動は全てとってはいけないからだ」
 エヴァンジェリンの言葉に、高音が冷水を浴びせられたように青い顔をし始めた。
 改めて絶望的な状況を知らされたからだろう。
 今にも崩れ落ちそうな高音を支えようとカズキが手を伸ばすが、そのまま引っ込めてしまう。
 代わりに、茶々丸が高音を支えた。
「落ち着いてください。今のマスターにはまだ余裕が見られます。恐らくは、既に救出の手があるからです」
「本当ですか、エヴァンジェリンさん。愛衣を、愛衣を助けられるのですか?!」
「状況と情報を整理すれば、そんなものいくらでも出てくる。その中でも注目すべきは、蝶野攻爵が実は殆ど魔法の知識を持っていないと言う事だ」
 俯き加減で、話を聞いているのか怪しいカズキの様子に小さく舌を打ってからエヴァンジェリンは続けた。
「指定されたホムンクルスの食料庫は、地下に穴を掘って作った空間のみで魔法による隠れ蓑は一切なかった。昨晩に、夜だからと自分で姿を現したのも良い証拠だ。顔を視認できる上空まで誰も近づけないと思っていたからだ。奴は魔法の存在は知っていても、殆ど知らないも同然だ。恐らくは、あのホムンクルスの研究とで二足の草鞋は出来なかったのだろう」
「エヴァンジェリンさんが何を考えているか、分かりました。確かにそれなら、手順を踏めば安全に愛衣を助けられます。取り乱して、申し訳ありませんでした」
「さすがに理解は早いな。詳しい事は後で説明するとして、問題は武藤カズキ、貴様だ」
 名前を呼ばれ、さすがに無視は出来なかったようで、ゆっくりとカズキがエヴァンジェリンへと振り返った。
 だがその表情に何時もの覇気はない。
「貴様、またしても情けをかけたらしいな。ホムンクルスに人喰いを止めさせる? 既に残りのホムンクルスは一体なのに。しかもその手で一度殺害しておいて、今さらそれか。今回ばかりはほとほと愛想が尽きたぞ。貴様との契約を破棄する事に決めた」
「待ってくれ、エヴァンジェリンさん。この事件が終わる……せめて、愛衣ちゃんを助けるまでは」
「ふざけるな!」
 弱々しくも縋るようなカズキの言葉に、エヴァンジェリンの一喝が響く。
「だったらその弱々しい覇気はなんだ。本当に理解しているのか? 愛衣がさらわれた最大の原因は貴様なのだ。貴様の言葉が蝶野攻爵とのいらぬ問答を引き起こし、鷲型のホムンクルスを呼ぶ時間を与えた!」
「分かってる。俺が原因だって事は……それでも、助けたいんだ」
「二言めにはそれだな。助けたい、俺が守る。チッ……一度だけチャンスをやる。私に高音を引き合わせた褒美だ。表に出ろ」
 一足先にエヴァンジェリンが茶々丸に抱えられて、カズキの部屋の窓から飛び出していく。
 それから直ぐにカズキも、一喝にびびって硬直していた高音を連れて表へと、実際には寮の裏手へと出て行った。
 昼間に、目の前で愛衣をさらわれる事となった場所にて、エヴァンジェリンとカズキがある程度の距離をとって対峙する。
 少し視線を横に向ければ蝶野がいた水飲み場が、地面を見れば愛衣の火の矢によって焦げて穿たれた地面が瞳に入ってきた。
 湧き上がる苦渋、空へと向けて叫んだやるせない気持ちが蘇る。
 そして高音がカズキの部屋にて使っていた認識障害の範囲を広げた所で、エヴァンジェリンが口を開いて言った。
「チャンスは一度きり、貴様の全力で持って私を攻撃しろ」
「マスター、すでに満月を過ぎて三日目です。そろそろ……」
 エヴァンジェリンの言葉に苦言を呈したのは茶々丸であり、カズキはあまりの内容に言葉を失っていた。
「構わん。今のこいつに私の魔法障壁を破るだけの力はない。どうした武藤カズキ、突っ立っているだけでは何にも出来ないぞ。聞こえないのか、それとも敵さえ殺せぬ腰抜けと呼ばれなければ分からないか? 所詮は口先だけの男だな。愛衣を助けたいというのも、ただの格好付けか?」
「違う、俺は本当に助けたいんだ。皆を、この手の届く限り全てを守りたいんだ。来たれ(アデアット)!」
 手元に出現したサンライトハートを構え、エヴァンジェリンへと狙いを定めて構える。
 カチカチと、刃の根元で飾り布を固定している輪が金属音を奏でていた。
 もちろんそれはこの場にいる全ての者に聞こえている。
 だが改めて、エヴァンジェリンでさえも指摘はしなかった。
 カズキ自身が一番それを良く分かっていたからだ。
 この期におよんで愛衣とホムンクルスの命を同列に考えて、迷ってしまっている。
「カズキ君、愛衣が助けを待っています。皆が、カズキ君が助けてくれる事を信じて。愛衣が伸ばした手を、貴方はどうしますか?」
 みかねて問いを投げかけたのは、高音であった。
 それは優しい、エヴァンジェリンにとっては甘いと言える優しい問いかけである。
 まだカズキはこちら側に足を踏み入れて三日、無理に命のやり取りを考えるよりも、今はただ愛衣を助ける事だけを考えてくれと言う。
 ほんの少しだけ、カズキの心が軽くなる。
「甘ちゃんどもめ」
 笑みを浮かべたエヴァンジェリンの小さな呟きはカズキに届かなかったが、一度構えを解いて飾り布をぐるぐると幅広の刃に巻きつけていく。
 巻き終わると、カズキは不恰好になったサンライトハートをまた同じようにエヴァンジェリンへと向けて構えた。
 ただしその顔からは、憑き物が落ちたように瞳に光が戻り、覇気が溢れかえりそうであった。
「行きます」
「ホムンクルス相手にも、こちらを殺そうとする相手にも態々忠告するのか?」
 無駄な言葉はいらず、全てはこの試験が終わってからだと短くしたつもりだが、それでも指摘されて怒られる。
「エネルギー、全・開ッ!」
 飾り布が山吹色のエネルギーとなってバチバチと吼えるのを見て、さすがのエヴァンジェリンも目を疑った。
 あまりのカズキの軟弱ぶりに忘れていたが、サンライトハートにはこの特性があったのだ。
 しかも飾り布を刃に巻きつけている今は、突進力以外に破壊力を同時に生み出しているがカズキの体までもを巻き込んで焦がしていた。
「全開、全開、全開!」
 自らの体を傷つけながらも、カズキは止まらなかった。
「最大出力、サンライトクラッシャーッ!!」
 そして、山吹色の光の中心にいるカズキは、一個の太陽になったかのような姿で駆け出した。
 燃え盛るその姿を、爆光が後押しして加速する。
 その先にいるのはカズキの仮契約の相手、主とも呼べるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
「リク・ラク、ラ・ラック、ライラック。氷盾ッ!」
 向かってくるカズキに対して、放り投げた魔法薬とエヴァンジェリンの魔力が氷の華にも見える盾を宙に構えた。
 氷の盾へとサンライトハートの切っ先が衝突し、細かく散った氷の粒がエネルギーと混ざって放電現象を起こしていく。
 すでにこの時、エヴァンジェリンの表情から余裕は消え去っていた。
 カズキ自身の戦闘能力はさておいて、最初からこのサンライトハートの威力だけは認めていたのだ。
 じわじわと氷の盾の中へとサンライトハートの切っ先が埋め込まれていくたびに、じわりと汗が浮かぶ。
 少しばかりたきつけ過ぎたかと気をそらした瞬間、一気にサンライトハートの刃がめり込み氷の盾を破壊した。
 まずいと思った時には、サンライトハートの切っ先と山吹色の光の塊が目の前であった。
「う、おおおおおッ!」
 カズキのさらなる咆哮に、久しく味わっていない死の恐怖が足元からぞわりと駆け上がってくる。
 直ぐに新たな魔法薬を取り出して次の氷の盾を生み出そうとするが、だが何故かサンライトハートの刃先が急に矛先を変えた。
 そのままぐんぐんと空へ伸びていく。
「この、馬鹿ッ!」
 なんとか踏みとどまろうとするカズキの片方の手の平が、幅広の刃の根元にて切っ先をそらそうと手を添えて持ち上げていた。
 ついにカズキの手を離れたサンライトハートが、有り余るエネルギーを放逐しながら空へと上り、落ちてくる。
 ぺたんと可愛らしく女の子座りをするエヴァンジェリンと、全身の火傷と手の平に負った切り傷にて苦しむカズキから離れた場所にサンライトハートが突き刺さった。
 つい先ほどまでの戦闘音が嘘のような静寂。
 ただの試験に収まらなかった光景に、我に返った高音と茶々丸が駆け寄ってくる。
「なんて無茶を、あんな事……確かに威力は凄まじいですけれど、自分も傷ついて効率が悪すぎます!」
「マスター、ご無事ですか? カズキさんも」
「私に怪我はない。無事じゃないのはこの馬鹿だ」
 全身に火傷を負い、手からどくどくと流血するさまは確か無事ではなかった。
「痛ッ〜……エヴァンジェリンさん、俺合格かな?」
 だが自分の怪我も省みず、直ぐにこう聞いてくるのだから大丈夫ではあるのだろう。
「赤点だ。愛衣を助ける事は出来るだろうが、まだホムンクルスを殺せるかの答えが出ていない」
「やっぱりホムンクルスだろうと軽々しく殺すって言えない。けど、いざとなったら。皆の為なら、俺は……たぶん、出来ると思う」
「やれやれ、私も甘くなったものだ。及第点をくれてやる。仮契約の破棄もいましばらくは、勘弁してやろう」
 エヴァンジェリンの言葉を聞いて、無理をして立っていたカズキがどすんと地面に座り込む。
 そのあまりの力の抜けように、茶々丸や高音があわてるが、本人はほっと息をついたまま笑っていた。
「しかし、早く治療しないと。その手の傷が深すぎて、失血によって明日一日動けなくなりますよ」
「折角、がんばったのに?!」
「救急箱をとってきます」
「待て、茶々丸。私に良い考えがある。ここしばらくご無沙汰だったし、明日の為の魔力充填に丁度良い。その後で肉体活性で無理矢理治してやる」
 言いながら、エヴァンジェリンはまるでそこがベッドの上であるかのように、四つんばいの格好でカズキに近付き舐めるように見上げた。
 ドキッと跳ねる心臓から嫌な予感を感じたカズキは、すかさず距離をとろうとするが、今は座り込んでしまっているのだ。
 しかも片手に怪我を負い、もう片方の手は血を止めようと手首を握り締めていて、完全に身動きがとれない。
 さらにエヴァンジェリンが流血している左腕を奪い取るように飛びついた。
 そのまま舌を出してぺろりと血を舐める。
 背徳的な光景だ、小さな少女が自分の血を舐めてまるでそれが美酒であるかのように蕩ける笑みを見せるのだから。
「わ、わわわわ……」
「エ、エヴァンジェリンさん、何を。そんなはしたないとか以前の問題で、男の人の手を……そんな、美味しいですか?」
「大人の味だっとでも言っておこう」
 テンパッた挙句、とんでもない質問をしてしまった高音は、赤い顔を両手で挟んでオーバーヒート。
 カズキは高音では無理だと、茶々丸に助けを求めようとしたが、こちらもこちらであった。
 ジーッと言う音が聞こえそうな、実際聞こえる眼差しで、エヴァンジェリンとカズキを見ていた。
 時折物欲しそうに、唇に人差し指を当てているのは、気のせいと言う事にしておこう。
 すでにエヴァンジェリンはぺろぺろから、ぴちゃぴちゃと言う音に変えて血を飲んでおり、これ以上は駄目だとカズキは駄目もとで助けを求めた。
「高音さん、正気に戻ってくれ。こんな頼みも変だけど、こっち。右手を握っててくれない?!」
「はッ、私は何を……右手、をですか? そのちょっとこの状況で男の人の手を握るのは……一応の説明を求めます」
「い、言わなきゃ駄目?」
 頷かれ躊躇したカズキであったが、何を思ったのか手の平の血を腕まで伸ばすようにエヴァンジェリンが舌を這わせた事で我慢も出来なかった。
「知ってるかもしれないけど、年上。綺麗なお姉さんが好きなんだ。女の子の中で一番年上で胸の大きいのは高音さんだから!」
 目前に迫る精神の新世界を前に、カズキも必死だ。
 どうせ皆にばれてる性癖だとちょっと開き直ってみたが、実はまだエヴァンジェリンだけにはばれていなかったのだ。
 かぷりではなく、がぶりと手の平を噛まれていた。
「きふぁは、きふぁはふぉ……あふぉおろろろりっろろッ!」
「聞こえないし、痛い。いだだだ」
「ぷはっ……貴様もあの男と同じような事を言うのかと言ったのだ。だから私は六百歳だ、貴様なんかよりもよっぽど年上だッ!」
 そしてさらに、見た目の事やお婆さんとエヴァンジェリンの知る男と全く同じ台詞を吐いて、カズキは結局死ぬほど血を抜かれる事となった。






 翌日の正午、ホムンクルスの食料庫まで一人で来たエヴァンジェリンは、入り口を見て安い罠だと思っていた。
 茶々丸が拳で無理矢理開けた所だけが入り口として口を広げていたが、他の地面が風によってゆらゆらと揺れている。
 食料庫の天井を全て破壊した後に、ビニールシートか何かをかぶせ、カモフラージュに土や葉などが被せられているようだ。
 上空に待機しているであろう鷲型のホムンクルスを見えなくして、こちらの疑心暗鬼を誘い、さらには不測の事態にはいつでも突入させられるようにしてあるのだろう。
 念の為空を見上げてみるが、鷲型のホムンクルスの姿は見えない。
「さて、何時までこうしていても仕方ない。引っかかってやるか」
 そう言ったものの、茶々丸が居なければ降りられない高さに、どうしようかと首をめぐらせると縄梯子が見つかった。
 なんてレトロなと若干目を輝かせたエヴァンジェリンであったが、こほんと咳払いして自重した後に、縄梯子を降りていく。
 通常の梯子よりも頼りない踏み心地に四苦八苦して折りきると、数メートル離れた場所に蝶々のマスクをつけた攻爵が一人で待ち構えていた。
「愛衣の姿が見えないが……無事か?」
「ちょっと意外だな、小娘一人を心配するなんて。調べた噂と随分違う。闇の福音以外にも様々な二つ名? それを持つ最強最悪の吸血鬼の真祖だと思ったんだが」
「私のお気に入りである異端の魔法使いの従者だからな。手元に置いておく為に、優遇する事もある。それで、返答は?」
「まずこちらの要求が先だ」
 まあそう言うものだろうと、エヴァンジェリンは肩をすくめて先をうながした。
「俺の要求はお前の血、吸血鬼それも真祖の血だ」
 そう言って攻爵は、エヴァンジェリンへと注射器を投げて寄越してくる。
 受け取った注射器を見て嫌そうな顔をしたのは、見間違いではない。
「注射は嫌いか?」
「好きな奴がいたら会ってみたい」
「俺は嫌いではない。注射がくれる痛みと薬物が、生きている事を実感させてくれる。ごほッ……良かったな。会いたかった人間に会えて」
 咳をした後に攻爵が吐いた唾には血が混じっていた。
 どうやら寮を抜け出しての逃避行により、病状が一気に進行してしまったらしい。
 少なくとも、非興奮状態で突然血を吐いたと言う事は、カズキや茶々丸から聞いていない。
「愛衣の安否より先で良い。一つ聞かせろ。貴様がコレを用いて吸血鬼のホムンクルスを作るつもりではない事は想像できる。まさが私と同じ真祖にでもなるつもりか?」
 注射器を腕に近づけたり遠ざけたりしながら、気を紛らわせるかのようにエヴァンジェリンが尋ねると、攻爵も気をそらす手助けのつもりか案外簡単に答えてきた。
「最初は実家の蔵で見つけた曾々爺ちゃんの半世紀にわたる研究日誌から、三年をかけて完成させたホムンクルスの技術で、自分自身をベースに人型のホムンクルスになるつもりだった。それで人を超えた超人になるはずだったんだ」
「だがこの麻帆良学園で、さらにそれを超える魔法と言う存在を見つけてしまった」
「意地が悪いな、お見通しじゃないか。あの時の絶望感は、医者から死を宣告された時以上だった。俺が日々命を削りながら研究し、目指したものは超人などではなかったのだからな。だから欲した。より強靭で、魔力に溢れる超人を超える超人を!」
 力説した事で、興奮したのが悪かったのか、攻爵が先程とは比較にならない程の血を噴出した。
 呼吸するのも辛いのか、血を吐き出しながら無理に息をしようと悪循環に陥っている。
 散々ふらつきながらも、決して膝を付いたりしないのは、超人を超える超人を目指す攻爵ゆえのプライドであろうか。
 予想通りだと、攻爵の瞳を見た時から感じていた事をここでエヴァンジェリンは確信した。
 攻爵は、壊れかけている。
 肉体や生命の話ではなく、その心がだ。
 きっと攻爵は目指すべき頂である超人を越える超人となっても、何一つ満足できずに世界を憎む。
 人は誰しも、他者をあるいは人そのものを超えたいと願い、夢想する。
 だがそれは超えたいと思える何かが、目的があるからだ。
 人より早く走りたい、人より頭が良くなりたい、人より強くなりたい。
 それがない攻爵は、望み通り生きる事が出来る体を手に入れたとしても、目的や異議を見出せない。
 何故ならそこに在るだけで生きているのだ、何をする必要がある。
「私は貴様を哀れむぞ、蝶野攻爵」
 エヴァンジェリンの手から注射器が零れ落ち、地面の上にて砕け散る。
「貴様、どういうつもりだ。こちらには人質がいるんだぞ!」
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの従者武藤カズキ、ならびに絡繰茶々丸を召喚」
 普段の嗜虐性の強い声でも、子供らしい無邪気な声でもない、涼風のような清涼な声にてエヴァンジェリンは呟いていた。
 輝きが彼女を包み、地面の上で浮かび上がる二つの方円の中にサンライトハートを持ったカズキと茶々丸の姿をどこからともなく浮かび上がらせる。
「まさか、鷲尾?!」
 やはり上空で待機したいた鷲型のホムンクルスが愛衣を確保していたのか、従者の召喚を目の当たりにして攻爵が見えもしない上空を見上げた。
 念話も召喚も射程距離がある為、これまでずっと黙っていたのだが、愛衣の無事は既に高音が念話にて確認済みであったのだ。
 普通魔法使いならば、人質を取れば本人もしくは取引の場にて、召喚を不可能にする魔法処置をとる。
 魔法を知り、ホムンクルスに絶望しながらも、ホムンクルスから離れられずに魔法を蔑ろにした攻爵の失策であった。
 魔法がホムンクルスを超えていると思ったのなら、断腸の思いでホムンクルスを見限り魔法を研究するべきだったのだ。
 召喚されたカズキと茶々丸が二度目はないと、すぐさま飛び出そうとしたが、止めたのは意外にも呼び出した本人であるエヴァンジェリンであった。
「二人とも待て。奴は、蝶野攻爵は私が殺す。奴より先に不死の体を手に入れた先達として、私が殺してやるべきなのだ」
「ですがマスター、今は真昼です。魔力がほとんどいらない召喚だけでも、疲労の度合いが高いです」
 茶々丸の言う通り、会話の間は我慢していたのだが、エヴァンジェリンは額に薄っすらと汗をかいていた。
 呼吸も浅く、出来るならば今すぐにでもベッドに入るべきのように見えた。
「それにエヴァンジェリンさん……蝶野はまだ人間だ。ホムンクルスじゃない」
「この私が、従者であるお前にこの通りだと頼んでもか? 奴からホムンクルスを取り上げれば、どうせ発狂する。たった一つのより所なのだ。ここは悪の魔法使いに任せておけ。幸い、魔法の射手の一発ぐらいは撃てる。頼む、カズキ」
 立ちふさがるように前に出ていたカズキは、思わずエヴァンジェリンに道を譲り渡してしまった。
 エヴァンジェリンの瞳が抱く光は、攻爵への殺意ではなく曇りのない憐憫だったからかもしれない。
 待ってと伸ばした手も届かず握り締め、視線を落としていく。
「く、来るな。俺は超人を超えた超人になるんだ。ごはッ……俺ばッ!!」
 尻餅をついて吐血しながら後ずさる攻爵へと、ふらふらと夢遊病者のようにエヴァンジェリンが魔法薬を手に持ちながら詰め寄っていく。
「私は安らかに眠れとは言わない。悪は悪らしく、貴様を侮蔑の言葉と共に送ってやろう。子羊の中でも更にか弱き子羊よ。子羊として認識されず、誰からも見向きをされない孤独を抱いて逝け。リク・ラク、ラ・ラック、ライラック」
「俺は死なない、死んでたまるか。生きたいんだ、鷲尾ッ!」
 ついにエヴァンジェリンが目前に迫った時、絶え切れずに攻爵がビニールシートによってカモフラージュされた天井へと向けて叫んだ。
 エヴァンジェリンはそれでも従者を信じて攻爵しか見ておらず、茶々丸は攻爵に釣られるように天井を見上げた。
 そしてこの時、攻爵を覗いた三人の中でカズキだけが唯一エヴァンジェリンの足元を見ていた。
 気付いたのは偶然だった。
 攻爵を殺そうとするエヴァを止めようとした手を落とすと同時に視線を落とした時に気付いたのだから。
 初めは気のせいかとも思ったが、蝶野がこのタイミングで鷲尾に助けを求めた事が確信の切欠となった。
「サンライトハートッ、間に合えェ!!」
 今必要なのは速度、何よりも速い速度。
 尻餅を付くまで蝶野が立っていた箇所の地面が他とは違う色をしており、助けを求める声に従うように隆起した。
 今そこには後ずさった蝶野を追いかけるように歩いていたエヴァンジェリンがいる。
 満月の夜ならばなんとかなったかもしれないが、あいにく今は満月も過ぎ、さらには昼間であった。
 盛り上がる地面に足をとられてバランスを崩す。
 地面の中から現れたのは、人間、ただし鋭いかぎ爪を持つ腕と翼だけをホムンクルス化させていた。
「マスターッ!」
 バランスを崩したまま宙に体を浮かせられたエヴァンジェリンへと、かぎ爪が伸びる。
 それが到達するのと、サンライトハートの力で駆け出したカズキの手がエヴァンジェリンを抱き寄せたのは全くの同時。
 つまり、カズキは間に合わなかった。
 かぎ爪が小さな少女の体を斬り裂いていく。
 エヴァンジェリンの血が、吸血鬼の真祖としての血が飛散し、食い込んだかぎ爪にべっとりと染み付いていた。
「ハーッハッハッハッ! 言っただろ、俺は死なないって。化かし合いは俺の勝ちだ。俺はこの真祖の血で、超人を超える超人になる!」
 鷲尾の背に乗って叫びながらビニールシートを突き破って飛び立っていく。
 全ては蝶野の手の中での事だった。
 天井を強く意識させる為にビニールシートで下手なカモフラージュをしたのも、魔法を知らない振りをしてわざとカズキたちを有利にして油断させたのも。
 カズキと茶々丸が召還された時に上を見上げたのは演技、迫るエヴァンジェリンに対して脅えて尻餅をついたまま後ずさったのも演技。
 全ては足元に隠れていた鷲型のホムンクルスを最大限に生かした蝶野の作戦であったのだ。
 だがそんな事よりも、重要な事があった。
 サンライトハートの勢いのままに寝転ぶように転んだカズキの胸の中にて、胸から血を流してぴくりとも動かない少女の事である。
「エヴァンジェリンさん、エヴァンジェリンさんッ!」
「揺り動かしてはいけません。大量の出血と怪我で脈拍が弱くなっていってます。安静に出来る場所で直ぐに治療しないといけません!」
「だったら、茶々丸さんはエヴァンジェリンさんを俺の部屋に。ここから一番近い。俺は、高音さんと愛衣ちゃんを呼んでくる。愛衣ちゃんが回復魔法を使えたはずだ!」
 本来なら移動させる事も難しい怪我だが、ここでは治療の一つも出来ないと、二人は行動に移した。





「なんですって?! 愛衣、それはどう言うことですか?!」
 エヴァンジェリンを運び込んだカズキの部屋にて、高音が愛衣の両肩を掴みながら声を張り上げる。
 その愛衣は、止め処なく涙を流しながらしゃくりあげているのだが、それは高音が叫ぶよりも前からであった。
 カズキから話を聞いて直ぐに自分の手には終えないと、魔法医を呼びに行った愛衣が戻ってきたのがつい先ほどの事である。
 認識障害と飛行魔法を目一杯使って行き帰りを行った愛衣の口から信じられない言葉が繰り返される。
「えぐっ……事情を話してもとりあってくれなくて。薄ら笑い所か、ぐ……君が悪の魔法使いの所にいたのも、こうする為の任務だったんだろって。もう演技の必要はないって」
「認識が甘かった。エヴァンジェリンさんの言葉は、決して誇張じゃなかった」
 それで本当に立派な魔法使いになれるつもりかと、歯を食いしばる高音の横を愛衣がしゃくりあげながら通り過ぎた。
 実際には愛衣はたった知り合いのうちたった二人の先生にしか尋ねられなかったのだが、信じていた心を折られ、これ以上時間はかけられないと戻ってきたのだ。
 ベッドのシーツと巻かれた包帯を真っ赤に染めながら横たわるエヴァンジェリンを見守るカズキと茶々丸に頼み込んで場所を譲ってもらう。
 自分でも他の魔法より拙いと認識している回復魔法で、騙し騙しエヴァンジェリンを生きながらえさせる。
 静かに眠っているように見えるエヴァンジェリンが時折呻くさまを見ては、ごめんなさいごめんなさいと愛衣は未熟な自分を恥じながら繰り返していた。
「高音さん、確か……麻帆良学園の魔法使いの一番偉い人は、木乃香ちゃんのお爺さんの学園長だったよね?」
「もちろん真っ先に連絡をとろうとしましたが、出張中でここにおられないと。連絡先は……わからないと誤魔化されました」
「では、その次に偉い人で構いません」
 次に尋ねたのは茶々丸であり、さすがに高音も怪訝な顔を見せた。
 ベッドにて苦しむエヴァンジェリンを、置物のようにじっと見ていた二人が、同時に立ち上がったからだ。
「学園の地位ではなく実力で言えば高畑先生ですが、先月からずっと出張中です。それを聞いてどうするつもりだったんですか?」
「叩きのめして、連れてくる。その人が回復魔法を使えなかったら、その人から回復魔法が使える人に命令させる」
「私たちは、マスターの従者です。この手で治せないのなら、手段は問いません」
「それは……気持ちは私も同じですが、それではあの蝶野と何も変らない。アレだけ認めようとしなかったあの男の考えを認める事になります!」
 自分が生きたいではなく、親愛なる人を生かせたい。
 対象が違うだけで、確かに高音の言う通りであった。
「お姉さま、私はそれでも良いです。死なないでエヴァンジェリンさん、私まだ助けてもらったお礼をしてないんです」
 愛衣の言葉に、高音が揺らぐ。
 カズキや茶々丸と共に、暴れまわってしまいたいと思うが、それでもだ。
 せめて自分が三人を止めないと、瀕死のエヴァンジェリン共々処理されてしまう。
 そう、処理だ。
 自分たち異端の魔法使いと悪の従者に対して、善い魔法使いが行う制裁は立派な魔法使いになる為の作業なのである。
 それ以上に、それは悪や異端を名乗る自分たちでさえ踏み越えてはいけない一線なのだ。
 両手を広げ、ドアの前で立ちふさがる高音に対して、邪魔だとばかりにカズキと茶々丸の手が伸びる。
「入るぞ、カズキ」
 何の前触れもなく開けられたドアの向こうから滑り込んで、そのままドアを閉めたのは、六桝であった。
 カズキの部屋に詰め込んだ人数や、ベッドの上で苦しむエヴァンジェリンを見ても表情はそのままで、眼鏡だけをくいっと上げる。
「認識障害が甘いのはそう言うわけか。愛衣ちゃん、代わって。あとこれはオフレコにしてくれるとありがたい」
「でも、ちょっとでも魔力を緩めると」
「じゃあ、そのままで良いよ。愛衣ちゃんの魔法の上から、こっちで勝手に重ねる」
 混乱する中での闖入者がエヴァンジェリンのベッドに近付いた事で、すかさず茶々丸が動いたが直ぐにカズキに腕を掴まれ止められる。
 六桝は愛衣がエヴァンジェリンの体にかざすようにしている手に、自分の手を重ねるようにした。
 決して大きいとは言えない六桝の魔力が、静かに包み込むように大きくなる。
 杖の代わりに光るのは、彼の眼鏡のサイドフレームであった。
「言っておくが、この始動キーはカモフラージュの意味もあって、ギャグじゃない。イタイ・ノ、イタイ・ノ、トンデイケ。春日の光よ、息づく生命よ。愛を持って、微笑みながら、我が子を包め。返礼は、我が愛、我が微笑み。春風の園」
 愛衣の手に重ねるようにしていた六桝の手から、やわらかな春の日差しのような光が生まれ、エヴァンジェリンを包み込んでいく。
 それだけではなく、愛衣の拙い回復魔法の光でさえも包み込んで、相乗効果を生み出していった。
 なんの打ち合わせもなく、愛衣に全くその気がなかったのにだ。
 包帯の下からにじみ続けていた血が乾き、エヴァンジェリンが時折起こしていた呻きも直ぐに消えていく。
 驚きの表情で六桝へと振り返った愛衣は、間近で見てしまったそのポーカーフェイスに大切な物を奪われていた。
 信じていた魔法先生に裏切られ、傷ついた心を、目の前の少年がそっと支えてくれたような気がしたからだ。
「こんなもんか。峠は越えただろうから、意識は時機に戻る」
 やるだけやって、言うだけ言って六桝はそのまま部屋を出て行ってしまう。
 皆が皆、回復に向かい出したらしいエヴァンジェリンの周りに集まる中で、カズキだけが六桝を追って廊下へと飛び出した。
「六桝!」
「なんだ?」
 つい先ほど、一人の少女の命を救った事など覚えていないかのように極自然に振り返る。
「本当に助かった。ありがとう」
「今度なんか驕れ。それと、岡倉と大浜が心配してるぞ。全部終わったら、あいつらにも驕ってやれ」
「そうする。全部終わったら」
 今度こそ去ろうとする六桝だが、再び開かれたカズキの部屋のドアから愛衣が顔を出した事で振り返らないわけにはいかなくなった。
「カズキさん、エヴァンジェリンさんの瞼がぴくぴくしてて、目が覚めそうです! あッ……」
「どうしたの、愛衣ちゃん?」
 嬉しい知らせを教えてくれた愛衣が六桝を見てもじもじと顔を赤らめたまま、ちょいちょいと服を引っ張ってから一度カズキに耳打ちをする。
 そしてカズキに耳打ちされると、真っ赤な顔を隠すように六桝のもとまで歩いていく。
 だが思い切って顔を上げて、何かを言う前に当の六桝によって出鼻を挫かれてしまう。
「ただの吊り橋効果、だと思うよ」
「孝二おに、ぃさま……って、呼び……」
 見事なカウンターパンチを浴びせると、そっちが先だろうと振り返らせカズキの部屋の方へと背中を押す。
「それと呼ぶなら普通に呼んでくれれば良い。岡倉に殺されたくないから」
 六桝の言葉をどうとらえるべきか、頭を捻らせながら愛衣はカズキと一緒に部屋の中へと戻っていった。
 部屋の中では、目を覚ましたエヴァンジェリンが体を起こそうとして、茶々丸に止められ、高音にいさめられていた。
 確かに自分の事よりもこちらの方が先だと、さらに六桝への好感度を上げながら愛衣がベッドへと駆け寄っていく。
「エヴァンジェリンさん!」
「こら、叫ぶな……血が足りなくて、頭痛が酷いんだ」
「す、すみません。けどお礼を言わないと、私のせいでこんな目にあって。本当にすみませんでした、それにありがとうございました」
 手で額を押さえたのは頭痛がするからか、愛衣の言葉に照れたからか。
 その様子を微笑ましく皆が眺める中で、こんな事を言うのはタイミングが悪いと思いつつも、カズキはエヴァンジェリンへと頭を下げていた。
「エヴァンジェリンさん、俺からもごめん。あの時、俺、間に合わなかった」
「ふん、貴様のボケっぷりも馬鹿さ加減と同じぐらい筋金入りだな。あれは私のミスだ。と言うよりも、蝶野攻爵が上手だったと言うべきか。まさか魔法の知識のなさがフェイクだったとはな。恐らくは、あの食料庫に認識障害等がなかったのも。魔法にたよる魔法使いを避ける為に、わざとそうしていたという事か」
 ベッドの上に寝転がりながら歯噛むという器用な事をしながら、エヴァンジェリンは寝返りを打って横になると皆の顔を眺めていった。
「奴は既に拠点とも言うべきこの寮には戻ってこれない。さらに目的のものを手に入れたのだから、危険な麻帆良に留まる理由がない。技術や頭脳があるとは言え、奴もまだ学生の身だ。そうそう都合良く、拠点があるわけでもないだろう」
「一番可能性が高いのは、彼の実家と言う事になりますね。あれ……と言う事は、麻帆良学園の外と言うわけでエヴァンジェリンさんは行けない?」
 大怪我を負ったとは言え、最大の戦力であると同時にリーダーが居ないのは不安が増す。
 せめて後ろでどっしり構えて指示をして欲しい所だが、それは叶わない。
 さらに言うならば、まだ万全とは言えないエヴァンジェリンを守る事の出来る人材も残さなければならない。
 もし仮に蝶野がまだ麻帆良に居た場合や、立派な魔法使いを目指す者たちから。
「行くのは、高音、愛衣、カズキの三人だ。茶々丸は私から独立稼動出来るガイノイドと言えど、不安はある。高音と愛衣のコンビは不動、となると残りはそこにカズキを加えた三人のチームが遠征するのが望ましい」
 一番弱いのだから消去法で挙げられても仕方ないのだが、ちょっと凹んでいるカズキへとエヴァンジェリンが告げてきた。
「リーダーは高音だが、恐らくキーマンはカズキ、お前だ。蝶野と相対するのもな。そこでお前には奴へ伝言を頼みたい」
 余程伝えておかなければならない事か、なんだろうかと身を正すカズキの前で、エヴァンジェリンは不敵な笑みを浮かべていた。