第五十四話 もう一度、紅き翼を結成する

 寮の玄関を一歩出た所で、私服姿の明日菜は自分を出迎えてくれた青空を掴むように両腕を上げて伸びを行った。
 ミシミシと体が悲鳴を上げるような感触を味わいつつ、何時の間にか浮かんでいた目尻の涙を指先で拭い去る。
 麻帆良祭は既に二週間近くも前の事である。
 一週間分は超のせいで人生を損したが、明日菜にとっては麻帆良祭を終えての最初の土曜日であった。
 今日は新聞配達のバイトも休みで良く寝たと思いながら、とある物へとチラリと視線を向けた。
「あははは……やっぱり、何度見ても蝶世界樹だわ」
 爽やかな気分が薄れてしまったかのような声で評したのは、麻帆良学園都市の名物とも言える世界樹の事である。
 一度はパピヨンが破壊し、永遠に失われてしまったはずの世界樹だが、明日菜の視線の先には確かにそれがあった。
 ただし、明日菜の記憶の中のそれとは明らかに違う。
 正しく三角形の枝葉を伸ばしていたはずなのに、三百六十度何処から見ても蝶の形に枝葉を伸ばすようになってしまっていた。
「けれど、形はどうあれパピヨン先生が世界樹を蘇らせなければ、麻帆良学園都市は未だ混乱の最中だったはずヨ。や、明日菜さん。おはようネ」
「それにしても限度ってもんが……おはよ」
 寮から出ていた超の言う通り、失われた世界樹を蘇らせたのは、破壊した張本人のパピヨンであった。
 正確には破壊ではなく、パピヨンが世界樹と同化したから出来た事らしいが、明日菜にとって細かい事は割とどうでも良い事である。
 麻帆良学園都市が平和になるなら、なにより。
 もっとも、今現在は超に対してどう接すれば良いかの方がよっぽど問題であった。
「明日菜さん、もう私は未来からやって来た鈴音・神楽坂・スプリングフィールドじゃないネ。二人から新しく遺伝子こそ提供してもらったが、この時代に新たに生を受けた超鈴音ヨ。あまり、深く考えない事ネ」
 一時は明日菜とネギのキスで存在を取り戻した超であったが、それも長続きする保証はなかった。
 そこで超がパピヨンと相談した結果、明日菜とネギの遺伝子からホムンクルスを作成し同化した。
 失われた未来で生まれるはずだった鈴音・神楽坂・スプリングフィールドではなく、この時代で生まれた超鈴音として存在を固定させたのだ。
「そう言って貰えると助かるわ。アンタは、私の娘じゃなくて、クラスメイトの超。それで良いのね?」
「もちろん、それが私が改めて手に入れた名だからネ」
「あれ、明日菜に超りん。珍しい組み合わせだね、何処か出かけるの?」
 超の笑みに、まだぎこちないながら明日菜が笑って見せていると、聞き覚えのある声が寮の玄関の奥からかけられる。
「あ、本当だ。明日菜と超りんだ」
「二人とも、おはよう」
「おはようさん」
 最初に声を掛けてきた裕奈に続いて、まき絵、アキラ、亜子とこちらは普段通りの運動部四人組であった。
 全員私服姿で、遊びに出かけるであろう事は、一目で分かる。
「ちょっと、パピヨン先生の家にね」
「パピヨン先生の……まだ引っ越したばかりで、もしかして散らかってる?」
「私も行きたい、パピヨン先生の家。明日菜も超りんもずるい!」
「ずるいって言われても、超どうしよう?」
 思わぬ所で裕奈とまき絵が食いついてきてしまった為、明日菜がどうしようとばかりに超へと振る。
「昼過ぎまでは、個人的なお客が来るとかで余り大勢で押しかけても迷惑ネ。様子を見て、二人にはメールを送るから、それまでは買い物でもして待ってるがヨロシ」
「そっか。それじゃあ、メール待ってるから超りん。忘れちゃ駄目だかんね」
「パピヨン先生の個人的なお客さんって誰だろ。やっぱり、妖精さんなのかな」
「その時は、何か買って行くから」
「行ってくるね、また夕方あたりにな」
 超のファインプレーに救われ、明日菜がほっと息をついていると、ようやく待ち人が現れた。
 刹那の手を引く木乃香、その後ろからは夕映にハルナ、古菲である。
「明日菜、お待たせ。せっちゃんたち、連れてきたえ」
「お嬢様、無闇に走られては危ないですよ。お待たせしました、明日菜さん、超も」
「それにしても、私達もお邪魔しても良いのでしょうか? 今回の件に関しては、結局部外者で終わってしまったです」
「気がついたら一週間後で、さらに決戦に乗り遅れたからね。無茶苦茶、格好悪!」
「確かに残念だったアルが、超も皆も無事でよかったアル」
 事件の張本人である超がいるが、麻帆良祭最終日からの件について口々に喋りながら移動を始めた。
 もちろん行く先は、裕奈たちに言った通りパピヨンの家である。
 乗り物には乗らずに、歩いて真っ直ぐ目指したのは蝶の形に枝葉を伸ばす世界樹であった。
 麻帆良男子高等部の寮を出たパピヨンは、現在自ら蘇らせた世界樹の幹の中をくり貫いて勝手に家としているのだ。
 混乱の直後と言うこともあって、今の所は何処からも文句は出ていないらしい。
 文句が出る所か、この麻帆良内で以前の世界樹以上の名所となってしまっていた。
 寮を出てから結構な時間を歩き続け、世界樹の広場が近付くにつれて、聞こえ始める。
「パピヨン」
「パピヨン」
「パピヨン」
 それは世界樹の広場に集まった麻帆良の学生から、学園都市に住む人々の声であった。
 蝶の形で枝葉を伸ばす世界樹を皆で見上げ、まるでUFOを呼ぶかのように繰り返し呟いている。
 中には蝶々のマスクを付けるものや、何処で手に入れたのかパピヨンと同じスーツを着ている者さえいた。
 ただそこまで徹底している者は、お世辞にも異性にもてるとも思えないような者が多いことが共通点であった。
 そんな彼らが見上げる世界樹の頂点に、その人はいた。
「パピ、ヨン。もっと愛を込めて!」
 地上からはその姿は豆粒のようにしか見えないが、何やらそう叫んでいた。
「パピヨン先生もすっかり、縁結びの妖精さんやな。麻帆良祭が終わったばっかりやし、そのせいやろか」
「麻帆良が段々と、いえ前からおかしくはあったのですが……色々と突破していくです」
「夕映、細かい事気にしてるとハゲるわよ。元々変なんだから、何処まで行っても変なのよ」
 頭が痛いとばかりに唸る夕映に対して、集まる人々を何気なくスケッチしながらさらに頭の痛くなるような事をハルナが口にしていた。
 認めたくは無いが、確かに前から変だったと明日菜や刹那までもが同意する。
「蝶野の奴、愉しんでるなぁ」
「愉しんでいるのか、私にはさっぱり分からん」
「と言うよりも、分かりたくないというのが本音ですね」
 皆でぽかんと世界樹を見上げていると、聞こえてきたのはカズキやエヴァンジェリン、そして高音の声であった。
 もちろん、茶々丸やまひろの姿もしっかりとある。
 高音はちゃんと寮で生活しているが、カズキがエヴァンジェリンの家に引っ越すと、まひろも一緒についていってしまっていた。
 ほぼ新婚夫婦に妹が転がり込んだ形だが、エヴァンジェリンとまひろは仲が良いので何一つ問題はないらしい。
 むしろ、近々あのログハウスを増築するらしく、それを期に明日菜や木乃香も来ないかと誘われている。
「明日菜ちゃん、木乃香ちゃん。皆、おはよう」
「おはようございます、皆さん」
 お邪魔虫と言う言葉以前に、そのままハーレムに取り込まれてしまいそうなのは気のせいであろうか。
 あのカズキが高音はともかく、それ以上に手を、特に妹分のような自分達に手を出すかは甚だ疑問ではあったが。
 そんな事を考えながら明日菜が挨拶を返していると、これまで世界樹とその天辺にいるパピヨンを見上げていた人たちが一人、また一人と去っていく。
 放っておけば一時間や二時間は留まっていそうな雰囲気であったのに、極自然に解散していってしまう。
「誰かが人払いを使用したようですね」
「ちっ、本当に来た」
 刹那が状況を呟いた直後、エヴァンジェリンがとある方向を見てかなり嫌そうな声を上げていた。
 人の居なくなった世界樹の広場の向こうから、人の流れに逆行するように向かってくる人影は二つ。
 一つは皆も知っているブラボーであり、今日はシルバースキンではなく私服らしきTシャツとズボンと言うラフな格好であった。
 そして、エヴァンジェリンが嫌がったのはその隣にいる、ローブのフードを目深に被った人物である。
 やがて互いの顔が見えるぐらいに近付いた時に、ついにその人が被っていたフードを脱ぎ去った。
「父さん!」
 誰よりも早くパピヨンの家にやってきていたネギが、ナギの気配に気付くや否や急いで出迎えにやってきたらしい。
 慌てて追いかけてきたあやかやのどかよりも、よっぽど息をきらしていた。
 数年ぶりであろう父と子の再会は、擬似的なそれとはいえ武道会での光景を彷彿とさせる。
 ネギが駆け出す、様々な思いを込めて。
 それを向かえ入れるナギは、両手を広げながらも何処かわざとらしい笑みを浮かべていた。
 広げた両手のうちの片方で、デコピンを作っているのだからわざとらしい笑みにも見えるというものだ。
 だが、ネギも以前のネギとは違っていた。
 父さんと叫びながら駆け寄り、カウンターのように放たれたナギのデコピンを瞬動術でかわし、その背後へと回り込んだ。
「お?」
 デコピンをかわされたナギが驚いた声をあげるも、ネギの瞬動術の軌道だけはしっかりと目で追っていた。
 背後に回り込んだネギが握りこむ拳でさえも。
 打ち込まれた拳をしっかりと握りこみ掴み取ると、ネギが自らその腕を大きく引いた。
 固定された拳を引けば、大人と子供で体重の違う分、ネギがナギに引き寄せられたような形となる。
 まんまと懐に飛び込んだネギは、掴まれた方とは逆側の拳を繰り出し、ナギの腹部を痛打するままに吹き飛ばした。
 上下反転し、ギュルギュルと独楽の様に回転しながら吹き飛んでいくナギの体。
「え?」
 まさかこんな簡単にと、不可解そうな呟きがネギの口から漏れていた。
「我が息子よ。若くして英雄ともなった偉大かつ超クールな天才アンド最強無敵なお父様の背中は、そこまで低くない、ぞ!」
 吹き飛んでいったのは、影分身。
 本物のナギは、最初にネギがしたように瞬動術で背後をとっており、大いに自画自賛した後に何故かネギのズボンを下ろしていた。
 実は影分身が殴られるのと同時に、ネギのベルトを外していたのだ。
 後は後ろに回り込んだ本物が、ゆるゆるとなったズボンを下ろすだけ。
「は? うわぁぁん!」
 ナギの孫ともなる、ネギの息子が外気に惜しげもなくさらされていた。
 咄嗟に股間を覆うネギだが、それはあまりにも遅すぎる行動であった。
「ネ、ネギ先生のおち……おち?!」
「ちっちゃくて、意外と可愛いかったです。はわわわ、私今なんて言って?!」
 あやかが鼻血を噴出すれば、のどかが自分の台詞に自分で大照れし、パートナー候補に局部を見られたネギは半泣きであった。
 さり気に大胆と言うか、残酷なのどかの言葉が一番ダメージを与えている。
 それ以外は、ネギの事をまだまだ子供だなと思う一方、十歳児と一緒なのかと明日菜が生えていない事にショックを受けていた。
 美青年にしか見えないナギの破天荒な性格は、武道会時に知っていた為、その辺りの突っ込みは今さらなかった。
「魔法使い・ナギ、あまり魔法使い・ネギを苛めてやるな。照れ隠しも、程ほどにしておけ」
「あ? 誰が照れてるって、スキンシップだよ。子は、偉大な父の背を見て育つもんだ。見せた記憶なんて、殆ど見せてやれなかったけどな。どちらかと言うと……」
 ブラボーの突っ込みにそっぽを向いたナギは、図星であったのか話をそらすように辺りを見渡し始める。
 直ぐに明日菜の姿を見つけると、丁度良いとばかりに手を挙げながら笑いかけた。
「おーいたいた。明日菜、ちったあ美人になったじゃねえか」
「へ、アタシ?」
「お前以外に、明日菜がいるのかって。今なら、俺の従者にしぷら?!」
 そして、今度こそ本当にナギ本人が殴り飛ばされていた。
「ほう、さすがに偉大なる英雄様は手が早いな。明日菜を従者にだと……生きてこの麻帆良から出られると思うなよ?」
「て、お前……ほら、あれだ。なんか、ちょっと待て。今思い出す、ほらアレだよ。いや、名前を忘れたんじゃないぞ。なんか……」
 起き上がって直ぐに頭をひねり出したナギは、必死に何かを思い出そうとしているようであった。
 本当に名前すら忘れていると言う可能性はないのだろうが、その姿を見ているとそれさえ忘れていてもおかしくはない。
 結局、数分待ってからようやく呪いの事を思い出したナギであったが、今さらどうでも良い事だがなと言ったエヴァンジェリンによって氷の鉄槌を落とされた。
 ちなみに、名前を忘れているのも本当であった。
 エヴァンジェリンではなく、アタナシア・キティと言う部分だけを忘れている事を口にし、さらに追加で氷の鉄槌を落とされていた。
 もはやどう怒って良いものか、そんなエヴァンジェリンの救いは、慰めてくれるカズキの存在と、明日菜たちの中でナギの株が急降下した事だけであった。





 幻のナギであろうと本物のナギであろうと、結局は色々とぶち壊しであった親子の再会の後、遅れてきた愛衣を最後としてパピヨンの家に集合した。
 英雄であるナギ・スプリングフィールドを他の魔法使いの目がある学園施設、特に学園長室等に連れて行けるはずもない。
 もちろん、エヴァンジェリンの別荘と言う意見もあったが、これは本人が激しく抵抗した為、パピヨンの家が候補に上がった経緯があった。
 世界樹の幹をくり貫いた、まるで御伽噺に出てくるような家である。
 そこで待っていたのは、和製メイドの格好をしたさよと、勝手知ったる他人の家とばかりにくつろいでいた和美と楓であった。
 働いているのはさよだけであったが、皆が思い思いの場所に腰を下ろす中でお茶と、お菓子が振舞われていく。
 今日ここに集まったのは、ナギが麻帆良に来るからではなく、全くの別件であった。
「私が、魔法世界の亡国のお姫様?!」
 いざ本題に入る前にと、何故ナギが明日菜の事を知っているのかエヴァンジェリンが言及した事が始まりであった。
 ナギが魔法世界にて英雄と呼ばれる切欠となった戦争に、明日菜が深く関わっている事が明かされたのだ。
「そうだぞ、本名は……長ったらしいから忘れちまったが」
「アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアだ。そこの王族には良く、魔法無効化能力者が生まれ、黄昏の姫御子と呼ばれる事がある」
「ウェスペルタティア王国か。成る程な、色々とコレまでの明日菜の異常な能力の開花などが納得出来る」
 ブラボーの補足に対して、思い当たる国があるようにエヴァンジェリンも納得したように頷いていた。
 魔法世界を知る高音はもちろん、知らないカズキたちも同様に驚く中で、ナギがあっさり話の筋を戻そうとする。
「ま、そんな細かい事は置いておいてだ。昔は昔、今は今だ。そうだろ、明日菜」
「それもそうね。その本名長くて覚えられないし、神楽坂明日菜の方が良いわ。お姫様って言われても実感ないし、麻帆良女子中三年A組八番の方がなんかしっくりくるもん」
 いい加減とも取れるナギの発言に対し、笑ってそう答えられる明日菜も負けてはいなかった。
 そんな二人は、ネギよりもよっぽど父娘に見えるように笑いあう。
 馬鹿っぽいようで何か考えがあるような、何か考えているようで何も考えていないような、そんな二人の雰囲気が似ているからだろうか。
 だがエヴァンジェリンが、大嫌いなナギと大好きな明日菜が通じ合うような光景を見ていられるはずもなかった。
 まひろの膝の上から移動を始め、自分のものだと宣言するように明日菜の膝の上に座り込んだ。
「明日菜、奴に気を許すな。何をされるか、分かったものではない」
「そう言えば、エヴァちゃんに呪いをかけたままほったらかしにしたいいかげんな人でもあったっけ」
「お義姉ちゃん、なんなら今解いてもらう?」
「でも、今はそれ程困ってるわけでもないんやない?」
 ナギ本人であれば、確かに呪いは解けるだろうが、どうしても解きたいかと言われるとエヴァンジェリンも迷ってしまう。
 今はそれ程、力を奮う事に興味を持てないで居るし、まひろたちを守るにもカズキや高音たちがいれば十分である。
 何よりも、二度とナギの手によって人生を変えられたくはない。
 例えそれが、自分にとって良い事ではあっても。
「今は保留だ。時間さえかければ、じじいが解けるかもしれんしな。それよりも、他に話し合うべき事があるのだろう?」
「見当はついているが、話し合うならさっさとしろ。これでも蝶・多忙なんだ。貴様ら程に、暇じゃない」
 鬱陶しいそうに急かすパピヨンの予定は、以前ロッテリやのバイト少女と約束した店蝶の事である。
 この時、ピクリと和美が眉を押し上げていたが、特に口を挟むような事はするつもりがないようであった。
「それについては、新人類・超から聞かなければならない。以前言っていた、第四のヴィクターについて」
「もうその呼び名は良いネ。今の私はただの超鈴音ヨ」
 一言、ブラボーに断りを入れてから、超が周りの目を集めるように立ち上がってから話し始めた。
「一部の人には、前にも言ったが私は第四のヴィクターについては、何も知らない。それが本当にヴィクターなのかどうかも。ただ、一つ知っているのは未来で魔法世界が滅んだ事、そしてそれはカズキさんがヴィクター化した事とは全く無関係であった事だけネ」
「では、何故その理由を第四のヴィクターなどと言うのだ? 他の理由で滅んだのかもしれんだろう?」
「ヴィクターを恐れ、魔法使い達はこちらの世界と魔法世界の扉を完全に分断した。その事に絶望しながらも母の魔法無効化能力と父とその仲間でヴィクターをなんとか倒しはしたけれど、その戦いが元で父も母も体を悪くしたネ。二人の没後、私は単独で断絶された魔法世界への扉を開こうとしたヨ」
 何故、とは誰も聞こうとはしなかった。
 麻帆良祭中やそれ以降の超の行動や言動を省みれば、その理由は自ずと分かるからである。
 超自身、その時の感情を否定するような言葉は口にしなかった。
「そして、魔法世界への扉を開く事に成功した私は、同じく滅んだ魔法世界を目の当たりにしたネ。草木一本生えず、岩肌ばかりの死の世界。私には、それが第四のヴィクターに滅ぼされた結果にしか見えなかったヨ」
 ヴィクターを憎む超の主観によって語られた事実だが、それがヴィクターによるものまでは不明であった。
 だが、このまま放っておけば何かしらの理由によって魔法世界が滅ぶ事は確定している。
「超、それは今から約何年後の話だ?」
「私が扉を開いたのは今から百年も後の事。正確には、何時滅ぶかまでは分からないネ」
「聞いての通りだ、ナギ」
「まあ、仕方ねえな。めんどくせえが、放っておくわけにもいかねえだろ」
 超に具体的な時期を確認したブラボーが、口を挟まずに聞いていたナギへと話を振る。
 ソファーに身を預け、体勢を大きく崩すままに天井を見上げていたナギは、一見居眠りをしていたようにも見えた。
 その口からも面倒だという言葉が飛び出してきており、そのままの姿勢で腕を上げて言った。
「もう一度、紅き翼を結成する。再結成と言うよりは、新生だな」
「ナギの言う通り、俺はその滅びを食い止める為に、新生紅き翼を結成したい。だが、新生と言う言葉が示すとおり、旧紅き翼のメンバーはナギと俺だけだ。詠春やアル、他のメンバーも行方が知れなかったり、身動きが取れない状態だ。そこで、メンバーを募りたい」
「あまり、弱っちすぎても却下だが……ネギ、お前はギリギリ合格だ。今度は置いていったりしねえ。俺達と一緒に、来るか?」
 真っ先に話を振られた事で、ネギは目を丸くしていた。
 ネギは自身の実力を良く知っており、ここにいる者の中でもだんとつに強くも弱くもない。
 言ってしまえば、中途半端だと思っていたのだ。
 だがナギがそれでも一緒に来るかと誘ってくれるのなら、と心が揺らぐ。
「ネギ先生……」
 それを引きとめようとするのが、のどかの小さな呟きであった。
「のどかさん、それにあやかさん。僕は、父さんと一緒に行こうと思います。もちろん、今すぐではなく学校の事もあるので、夏休みまでは担任としての責を全うします。強さを求める事と、皆さんの人生を預かる教師が両立出来るとも思いません」
「ネギ先生のお父さんみたいに、一緒に来てくれとは言ってくれないんですか?」
「のどかさん、私たちは足手纏いです。以前、修学旅行で私がエヴァンジェリンさんから忠告された事ですが、弱い者が無理をすれば力のある者が割りを喰う。無理にお願いすれば、きっとネギ先生は連れて行ってくれます。ですが、事は一つの世界の命運を分けるものです。ネギ先生を好きならばこそ、ここは引くべきです」
 あやかに説得され、理屈は分かるのだが感情が追いつかなかったのだろう。
 のどかが逃げるように外へと向かって走り出してしまう。
「やーい、なーかした」
「茶化さないでください、父さん。僕の意見は変わりません、直ぐではありませんが一緒に行きます!」
「私とのどかさんは、不参加でお願いします」
 最後まで意見を譲らなかったネギとあやかは、走り去ったのどかを追いかけて行ってしまった。
 その様子をあからさまに愉しむように見ていたナギの目の前で、超が当然とばかりに立ち上がった。
「私は、参加するネ。実力の程は、直に手を合わせたブラボーが良く知ってるネ。足手纏いにだけはならないつもりヨ。それに魔法使いに自分達が悪と知らしめる為にも、紅き翼のメンバーである事はプラスに働くネ」
 魔法世界の命運よりも、魔法使いこそが悪だと知らしめる事を使命として超が立候補をした。
 鈴音・神楽・スプリングフィールドではなく、超鈴音と正式に生まれ変わる事を決めた超の願いはそこにある。
 あくまで魔法使いは悪であると言う主張を変える事はない。
 それさえ敵う事が出来るのならば、魔法世界を救ってやる事をいとわない。
 それが、過去の名を捨て生まれ変わる事を選んだ今の超であった。
「では、最後になると思われますが、私も参加させていただきます。紅き翼のメンバーとしては、いささか実力不足かもしれませんが、ネギ先生がギリギリ合格であれば十分な実力を備えていると自負いたします」
 全員の返答を聞く前に、最後の一人だと宣言したのは高音であった。
 夕映やハルナ、それにさよや和美の実力不足はもとより、明日菜たち三人に加えエヴァンジェリンやカズキ、そして愛衣の分を含めて。
 自分を蔑ろにした魔法世界を率先して救おうと言わず、さらに明日菜たちの三人が加わる事をエヴァンジェリンが許さない事は明白であった。
 だがそれでも、愛衣やカズキの意見までもを代弁した高音にはそれなりの考えがあるようである。
「お姉さま、私は……」
「愛衣、貴方は恋する魔法使いなのでしょう? 全てを見極めようとする異端の魔法使いに、無理に付き従う事はありません。エヴァンジェリンさんも、世界などとあやふやなものを救うよりも、やりたい事があるでしょう?」
「ある意味で、まひろ以上にお前には勝てる気がしないな。その通りだ、魔法世界なんぞより今の私には麻帆良で教師になる方が大切な夢だ」
「それで良いと思います。私とて、魔法世界を救おうだなんて、だいそれた事は考えていません。異端の魔法使いとして、より見聞を広める為に紅き翼に入ろうと思っているだけなのですから」
 エヴァンジェリンの夢を聞いて、明日菜や木乃香、まひろもそちらの方が大事だと頷いていた。
 ただの女子中学生には世界なんてものよりも大切なものがあるのだ。
 だからこそ、自分達の世界を変えてしまった超には前回立ち向かいもしたが、今回危機を迎えたのはこちらには関係ない魔法世界である。
 薄情ともいえる意見かもしれないが、自分達の世界に影響こそなければ関係ない。
 それに魔法世界の英雄であるナギやブラボーが事前に、破滅を防ぐ為に動くと言うならなおさらだ。
「へぇー、お前が教師ね」
「やかましい、人の夢にケチをつけるな。それに魔法学校を退学した貴様に、とやかく言われる筋合いはない」
 エヴァンジェリンがしっかり光の道を歩んでいる事に、ニヤニヤ笑いながら感心したような声をナギがあげていた。
 そこに自ら助けた明日菜が関わっているとあれば、気にもなるのだろう。
 だが関わってくるなとばかりにエヴァンジェリンが犬を追い払うかのようにナギへと向けて手の甲を振っていた。
「戦士・カズキ、お前もそれで良いのか?」
 ブラボーの言葉は確認と言うよりも、確かな戦力として欲しているかのような問いかけであった。
 ナギが先程言った通り、ネギはぎりぎり合格であったが、高音やカズキほどの力であれば十分合格の圏内であるからだ。
 それでもまだ十八と言う成長期である事から、世界の命運を賭けた戦いに身を投じれば、ナギやブラボーたちのような英雄に手が届くまでになるはずだ。
 憧れの人にその力を請われ、尚且つ多くの人を救う目的があるのであれば、即決するようにカズキが返答してもおかしくはない。
 だからこそ、エヴァンジェリンが不安そうにカズキを見ていた。
 自らの意思でとは言え、高音が紅き翼に入るというならば、その安全を確保する為にもカズキには行って欲しい気持ちも少なからずある。
 だがそれで、自分の傍からカズキが居なくなるのも耐えられるかどうか分からない。
 複雑な表情を浮かべながら、明日菜の膝の上から抜け出し引き止める為に手を伸ばそうか迷っているエヴァンジェリンへとカズキが笑みを浮かべて見せた。
「俺は、麻帆良に残る。高音さんの気持ちには責任を持って応えるし、もしもの時は駆けつける。エヴァンジェリンさんの従者であると同時に、高音さんの従者でもあるから。けれど、一番守りたい人はエヴァンジェリンさんだから、ここに残る」
「私も、それで良いと思います。それに、強制認識の魔法が解けたのは良いですが、いずれ魔法使いたちの間にエヴァンジェリンさんの過去の真実が浸透すれば、どのような反発を招くか分かりません。その時の為にも、カズキ君は残るべきです」
 過去の真実、実は魔法使い自身が生み出した悲劇の人だと分かれば、自らを悪と許容できない魔法使いが事実を捻じ曲げようとするだろう。
 エヴァンジェリン自身は自分を守る事ぐらい出来るだろうが、まひろたちはまだまだそうはいかない。
 その時の為にと高音自身カズキの意見を認め、尊重していた。
「分かった、ならば参加は魔法使い・ネギと高音、それと超鈴音とする。俺はこれからその旨を、学園長に伝え、二人の魔法使いとしての修行を繰り上げさせてもらうように頼んでくる。俺とナギは一足早く魔法世界に向かうが、正式な活動は夏休みが始まる約一ヵ月後だ」
「そうですか、それでは学園長室までお付き合いします。それとエヴァンジェリンさん、出立の間までにまた少し修行にお付き合いいただけますか?」
「あ、当たり前だ、それだけあればお前の魔法使いの腕前をもう一段上げてやれる。それに出立までにまひろの飴玉を量産させて渡してやる。お前たち五人の中で回復系統に優れる者が一人もいないからな」
 高音も本心ならばカズキについてきて欲しかっただろうが、自分を優先してくれた事に対してエヴァンジェリンも真摯に応えるようであった。
「どうでも良い話は終わったか?」
「蝶野、お前途中から寝てただろ。まあ、お前が世界の為にって息巻く姿なんて想像もできないけど」
「さっきも言ったが、俺は忙しいんだ。世界を救うのに帆走する程、暇じゃない」
 カズキは元より、ブラボーも沿う思っていたのか、最初からパピヨンは勧誘の対象外であったようにも思える。
 それにパピヨンの従者であるさよや和美は戦う力はほぼ皆無であり、ほとんど従者のようなものである楓は戦闘力こそあれ、加わるつもりもないようだ。
 新生紅き翼は、ナギとブラボー、そこへ加えてネギと高音に超と若干の五名と正式に決まった。
 ブラボーが学園長に報告を入れれば、そこへ魔法先生が数名、特に高畑が加わるかもしれないが、現時点で決定と言ってしまっても良いかもしれない。
 そしていざ学園長の下へと報告とお願いにブラボーが向かおうと玄関の扉に手を掛けると、ノックと同時に外側から開かれた。
「こんちわー、ゆーなからパピヨン先生の家で……ブラボーな人が出た!」
「連絡もまだないのに桜子が行こうなんて言うから。美砂、アンタが行きなよ!」
「止めてよ、アレから彼氏に会うたびに何故かこの人が思い浮かんでくるんだから。これ以上、惑わせないで!」
 現れたのはチアガールの三人娘だが、ブラボーとばったり出くわすなり大パニックに陥っていた。
 どうも学園祭中に放たれたブラボキッスの効果が未だに続いているようだ。
 ネギをそのまま大きくしたような姿のナギがいると言うのに、三人にはその姿が目に入っていないかのようである。
「む、すまないが今は学園長に用があるので失礼する。ここに居るというのであれば、後で時間を割こう。ナギ、姿を変えるのを忘れるなよ。高音、行くぞ」
「詠唱はなんだっけか。そこまで、アンチョコにしてねえよ」
「エヴァンジェリンさん、それではまた後で連絡致します」
 入れ違うようにブラボーとナギ、そして高音が出て行き、一体なんなのだとパピヨンが面倒くさそうに言った。
「おい、貴様ら一体なんの用だ」
「あ、忘れてたネ。ここに来る前に、ゆーなたちに会ったのだが、まだパピヨン先生の家に行った事がないと駄々をこねられたネ」
「後で連絡したら来ても良いよってのが、音速で広まったのね。さよちゃん、クラス全員分のコップとかある? 多分、殆どが来るわよ」
「ちょっと足りない気がします。今のうちに、買い出しに行ってきた方が良さそうですね」
 返答はブラボーを見送っている桜子たちからではなく、超と明日菜からであった。
 貴様ら勝手にと、パピヨンが怒るより先に話が進んでいってしまう。
 さよが何故かパピヨンの家であるはずのここにある自室へと飛んで戻り、財布を持って戻ってくる。
 実はさよだけでなく、和美や楓、そしてロッテリやのバイト店員の分の部屋もあるのだが、本当に寝泊りしているのはさよだけであった。
 それでも和美は、写真の現像室にしてしまったり、楓は同室である鳴滝姉妹が触ると危ないものを置いておく倉庫にしたりと好きに使っていたが。
「五月蝿くなりそうだが、諦めろパピヨン。どうせついでだ。カズキ、岡倉たちも呼んでやれ。賑やかしには丁度良い」
「了解っと」
「了解じゃない、武藤。貴様ら、勝手な事ばかり言うな!」
 カズキが携帯電話を取り出し、連絡をいれるのを邪魔しようとするパピヨンだが、止められない流れと言うものはあるようであった。
「こんちゃー、超りんから連絡貰ったのが直ぐ傍で丁度良かったにゃー」
「わあ、本当に世界樹の中に家を作ったんだ。いいなあ」
「許可、とったのかな?」
「あ、もう皆集まってきてたんだ」
 カズキよりも先に超が裏切ったように連絡を回してしまっていたようだ。
「亜子、あの人、あの人がさっき居た。学園祭で会った、ブラボーな人!」
「え、ほんまなん?!」
「また後で来るって、どうしよう、どうしたら良い?」
「もう駄目、私一度帰るわ。心変わりしそうで、怖い!」
 家主のパピヨンを放っておいて、好きに座り込んで話し出したり、家捜しを始めていた。
「貴様ら……ニア・デス、ハピ・ネス、パピネス。来たれ、破壊の爆炎、黒死蝶」
「はい、そこまで」
 いい加減、言葉で言うよりも早いと、全て吹き飛ばそうとしたパピヨンであったが、生み出したはずの黒死蝶が勝手に消えてしまう。
 何故と疑うまでもなく、そんな事を出来るのは一人しかいなかった。
 破魔の剣、ハリセンバージョンでパピヨンの黒死蝶を軽く叩いた明日菜である。
「良いじゃない、クラスの皆が副担任の引越し祝いをしようってんだから。慕われてる証拠よ」
「まあ、うちのクラスの性質上、ただ騒ぎたいだけかもしれないけどネ」
「それじゃあ、今のうちに万能文化鍋でお菓子を大量生産しちゃおうかな。パピヨン先生、台所借りるね」
「お皿に移すのを手伝うえ。せっちゃんは何か食べたいものある?」
「いえ、お嬢様。そこまで気を使われずとも……京のお菓子など出来ますでしょうか?」
 明日菜のフォローを台無しにするような超の言葉であったが、決して間違いではなかったかもしれない。
「あれ、この部屋……前に見たことが、さよちゃん?」
「それにこっちは朝倉と、この部屋開かないよ」
 裕奈やまき絵は、早速家捜しを初めては、さよや和美の部屋を発見して、羨ましそうな顔をしている。
 カズキの膝の上に場所を変えたエヴァンジェリンへと、愛衣がどうしたらそこまでラブラブになれるか恋の相談を持ちかけ、アキラが耳をそばだてていた。
「まだ好きとか口にしたわけじゃないんですけど……六桝さんがはっきりしてくれなくて。私達、付き合ってるのか分からないんです」
「うむ、私の場合はカズキがべた惚れだから参考にはならんかもしれんが、相手が動かなければ自分で動け。なんなら、二人きりで別荘に押し込むのを手伝ってやろうか? 一度入ってしまえば、最低でも二十四時間は二人きりだ」
「本当ですか?」
「エヴァンジェリンさんの事は好きだよ」
「ん……耳元で囁くように、言うな!」
 ならば何故抱えられるようにしてカズキのあぐらの上に座るのか。
「本当、みたい。悦んでる」
「大河内アキラ、貴様までもそう言う事を言うのか!」
「好きだ」
「ん……」
「好きだ」
「ん……止めんか!」
 馬鹿カップルと言っても支障のない二人の様子を見ながら、愛衣はその様子を自分と六桝に置き換え夢想し、アキラは何時か自分もと未来に想いを馳せる。
 ブラボーの存在に心奪われているチアガール三人娘と亜子は、戻ってきたらどうしようと答えのでない相談を始める始末。
 そんな様子を何時もの冷めた瞳で夕映は眺め、ハルナは笑いながら各人をネタにスケッチを続けている。
 誰一人として、パピヨンの引越しを祝おうだなんて者はいなかった。
 だからと言って蔑ろにしているわけでもなく、そもそもそんなつもりであれば最初からパピヨンの家に集まろうだなんて思わない。
「貴様らーッ!!」
 結局は一度パピヨンの黒死蝶によって吹き飛ばされる結果となるのだが、誰一人その程度で帰ろうという者はいない。
 それどころか、のどかを説得し終えたネギとあやかが戻り、さらにクラスの来訪者が次々と現れ、最後にはパピヨンでさえ諦めるほどであった。

第五十三話 新しい名前と命で、新しい世界を生きてくれ

 瞳を強く閉じて、カズキへと抱きついていたエヴァンジェリンは、最初その変化に気付く事は出来ないでいた。
 小さなエヴァンジェリンを抱きしめる事で、その輝くような髪に顔を埋めるようにしていたカズキも同様である。
 完全なヴィクター、第二段階へと移ったカズキの体が人のそれに戻った事に気付いたのは、駆け寄ってきたまひろが抱きついてきたからだった。
「お兄ちゃん、お義姉ちゃん!」
 もはやそれは抱きつくなどと言う生易しい行為ではなく、タックルという表現がピッタリである。
 まひろに押し倒されるように転んだ拍子に、エヴァンジェリンとカズキは知る事になった。
 蛍火の光を放っていたカズキの髪が日本人らしい黒髪に戻っている事に。
 赤銅色の肌が同じように日本人らしい肌色、黄色人種のそれに戻っていることに。
 一度は信じられないと互いに顔を見合わせ、そこにまひろが割り込むように笑顔を挟んできた事で、二人も笑った。
「カズぐぇ……まひろ、重い。どいてくれ」
「やー、もうちょっと」
 何かを堪能するように、カズキとエヴァンジェリンを纏めてまひろが抱きしめる。
 とは言っても、岩がごろごろする地面で転がれば体が痛く、小さなエヴァンジェリンは二人に潰されてしまう。
 勘弁してくれと特にエヴァンジェリンが嬉しい悲鳴を上げていると、別種の感情を込めた笑い声が辺りに響き渡る。
 泣き笑い、と言う表現がピッタリのそれは、超が発するものであった。
 実際、超は空を見上げたまま笑い声を上げ、その瞳から止め処なく涙を流し続けていた。
「まひろ、ごめん。本当にちょっとどいてくれないか」
「うん……」
 喜びに浮かれていた頭が冷えるような笑いに、カズキがまひろにどいてもらい、エヴァンジェリンに手をかして立たせる。
 その間もずっと止まらなかった超の泣き笑いは、益々激しさを増していく。
 大仰な仕草で両腕を広げ、夜空を抱え上げようとしているようにも見えるが、そこに込められた感情は読めなかった。
 間違っても、ヴィクター化を止められる方法が見つかった事を喜んでいるようにも見えない。
 そして、それ以上の異変に最初に気づいたのは一番近くにいたネギであった。
「超さん、手が……手だけじゃない?!」
 広げた両腕の色彩が、向こう側まで見えるのではと思う程に薄れる。
 腕だけではなく、超と言う存在そのものが今にも消えてしまいそうにさえ見えた。
「気にする事はないネ。完全に世界を救ってしまえば、こうなる事は分かっていた事ネ」
「ちょっと、超。消えちゃうみたいな事を言わないでよ。カズキさんを取り上げようとした事は怒ってるけど、そこまでしなくたって」
 一頻り笑い終えた超が、全て流しきった涙をぬぐって応えた。
 不安にかられた明日菜が違っていてくれと願いを込めて言うも、首を横に振られてしまう。
「これは予測だが……未来を変え過ぎたと言う事だろう。超は元々、世界が滅んだ世界の住人だ。そしてこの世界が滅びから救われた今、因果関係が崩れた。世界が滅ぶ事で超の親か、もしくは祖先が縁を結び超が生まれたのに、その原因が消えた」
「じゃあ、これまで超さんの行動に不可解な点があったのは、そのせいですか?」
「エヴァンジェリンとネギ坊主の言う通りネ。単純にこの世界を救うだけなら、武藤カズキをさっさと殺せばよかった。だが、それでは私は消え、ヴィクターと言う危機は残る。私が消えない範囲で、慎重に……全てを運ぶつもりでいたが、難しいものネ」
「だが、やはり最後には自らの消滅を掛けていたというのか……」
 最終的な超の目的は、ヴィクターと言う存在が二度と生まれない事。
 その過程で魔法使いと言う存在に私怨を果たす事はあったであろうが、ヴィクターを廃して世界の崩壊を止める事であった。
 超鈴音、皆は本当の名前を知らないが、鈴音・神楽坂・スプリングフィールドは最初から消えるつもりであったのだ。
「超りん、消えてしまうん? あかんよ、もっと一緒に学校行こう。それでちゃんと皆で卒業しよう」
「すまないネ、木乃香さん。でも、もう良いヨ。私は完全に詰んでしまったネ。それとも、再び世界が滅びるぐらいに危険な状態に戻すのも馬鹿らしい。結局の所、超鈴音と言う一人の犠牲で世界の崩壊は止められた。それで良いのではないカ?」
 世界が滅びるからこそ、超鈴音と言う少女は生まれた。
 確かに世界が滅びるぐらいの危機、例えばカズキの胸の中の六角形の石を取り出せば、超は再び存在出来るかも知れない。
 だが、それは本末転倒である。
 ブラボーが目を伏せるようにシルバースキンの帽子を押さえ、カズキを奪われそうになっていたエヴァンジェリンも瞳をそらした。
 最初からどう転ぼうと、この件の結末に完全なるハッピーエンドは存在してなどいなかったのだ。
「私は、私の行動の結果に後悔はないネ。この二年、人の正常な営みはこれでもかと見せてもらってきた」
 だから本当に後悔はないと超は笑って見せた。
 だが、それはあくまで超が納得しているだけであった。
「まだだ、超さん!」
「諦めるのはまだ早いです!」
 カズキが、そしてネギが存在と言う意味で消えていこうとする超の手をそれぞれ掴んだ。
「縁が無ければ作れば良いんだ!」
「そうです。家系図とかないんですか? この世界でも超さんの祖先同士が出会うように、ほんの少し手伝えば良いんです!」
「いや、しかしそれは……」
 言われて見ればそうなのかもしれないが、超は激しく困惑していた。
 超はこの場にいる少年と少女の子供なのだ。
 しかも今の所、縁がなくはないとは言いがたいが、はっきりと言って脈はない。
「ネギ坊主、人の心を操るのは魔法使いとしてのルールを逸脱して」
「自分の生徒の存在の危機の前に、そんなもの関係ありません。それに、それが良縁であれば文句を言われる筋合いもありません。文句を言う人があれば、僕が戦います。さあ、言ってください。超さんの先祖の名前を!」
「いや、それはさすがに、この場では」
 別の意味で追い詰められていると、超はちらりと母親であろう少女へと視線を向けた。
「だから、もう怒ってないってば。自分の危機を前に、なにしてるのよ超。さっさと言っちゃいなさいよ!」
 言ったら言ったで、絶対に怒ると思い、超は中々両親の名前を口にする事が出来ないでいた。
 そこで痺れを切らしたように、修学旅行の時のようにネギの後頭部を掴んだのはパピヨンであった。
 一瞬何が起こったのか、理解しきれないネギを鷲掴んだまま、瞬動術で明日菜の隣に出現する。
「へ?」
 ネギと明日菜の疑問を含んだ呟きが重なり、同時にその唇同士が重ねられた。
 パピヨンの手によって、勝手に。
 元々二人から言質を得ていたつもりのパピヨンに容赦ない。
 口付けさせた二人ではなく、薄れ行く超の姿を確認しながらまだ足りないかとぐりぐりな擦り付ける。
「き、貴様、明日菜になにをするだぁーッ!」
「話を聞いていなかったのか、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。奴の祖先、つまりは両親に縁を作るのだろう。だからネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜に縁を作った。何か間違っているか?」
「な、そんな事があるわけないだろうが。認めんぞ、ぼーやに明日菜を任せるなど千年早い。返せ!」
 ネギと明日菜をエヴァンジェリンが無理矢理引き剥がした。
 特にショックを受けたらしき明日菜は、先程の自分の台詞を棚にあげて呟いていた。
「嘘、よりによって私とネギって……嘘よ」
「それが嘘でもなくて、私の本当の名前は鈴音・神楽坂・スプリングフィールド。お母さん曰く、昔の恩人に貰った鈴の髪飾りを大切にしていて、それにあやかって鈴音という名前にしたって言ってたネ」
「それっぽい、私ならそうしそう。何十年後も、絶対高畑先生から貰った髪飾りを持ってる!」
 うな垂れたままバンバンと地面を叩く明日菜は、認めてしまっていた。
 単に自分とネギが両親だと言われても信じられなかったが、高畑にまつわるストーリーを入れられてしまっては疑えない。
 実際に、高畑に振られた今も、後生大事に貰った鈴の髪飾りをつけているのだ。
 そして何よりも、今にも消えてしまいそうだった超が、存在を取り戻しているのが何よりの証拠であった。
「とりあえず一時の超さんの危機は回避されたので……犬にでもかまれたと思ってですね」
「なんで張本人の一人でもあるアンタが、そんな余裕なのよ」
「僕、パピヨンさんに無理矢理キスさせられるのこれで三回目なので」
 あははと若干虚ろな目で笑うネギには、余裕と言う程でもないが、それに耐えられる何かがあった。
「ええい、離れろぼーや。明日菜はカズキに面倒をみさせるのだ。多少強くなったとは言え、貴様なんぞに」
「あ、なんかまた消えてしまいそうネ」
「どうしろと言うのだ!」
 あっちへ行けとばかりに明日菜からネギを遠ざけると、おでこに手を置いた超が屈むようにして訴える。
 ただその表情は少し笑っており、冗談であるらしい。
「ネギ君が学園に来た頃は、明日菜とええ感じやと思っとったけど、今はいいんちょとのどかがおるからなあ」
「二人がここにいなくて良かったね。転送失敗して良かったかも」
「お願い、二人とも特にいいんちょには黙ってて。何されるかわかんないから」
 木乃香とまひろの言葉を聞いて、据わった目付きで明日菜が頼み込んでいた。
「何はともあれ、新人類・超の消滅が避けられてなによりだ。彼女には、第四のヴィクターの話も聞かなければならないしな」
「そう、だな。それに世界樹が消えた麻帆良学園の事も気にかかる」
 全ては学園に戻ってからと、少々の問題を残したまま帰ろうかとブラボーに続いて、エヴァンジェリンが呟いた。
 一度は終わったと自ら呟いた超も、今さら足掻こうと言う気はなかった。
 だが忘れてはならないのは、パピヨンはカズキを思い出す為だけに、この戦いを終わらせる為に世界樹を破壊したのではないと言う事である。
 高音に連絡をいれ、再び影の扉を開こうとしたエヴァンジェリンの目の前をパピヨンが通り過ぎていく。
 その足が向かう先は、念願の人間に戻る事が出来たカズキであった。
 パピヨンはカズキの目の前にまで近付いていくと、その胸に指をつきつけ笑う。
「武藤、約束を覚えているだろうな」
「ああ……」
 何もかもを分かり合ったかのように、二人は多くを語る事なく皆から距離をとるように歩き出した。
「カズキ……いや。まひろ、二人に飴玉を、体力を簡単に回復させてやれ」
 二人の相変わらずの態度に妬ける部分はあれど、邪魔をするのも無粋だとエヴァンジェリンは止めようとした手を下ろした。
 そして二人を顎で指し、まひろに指示を出す。
「うん。お兄ちゃん、パピヨン先生。これ、食べて」
「まひろ、サンキュ」
 二人してまひろから受け取った飴玉を噛み砕き、体力を回復させる。
「決着を」
「つけよう」
 パピヨンが世界樹を破壊したのも、そこに理由があった。
 麻帆良祭の武道会でこそ、完全な決着を付ける事はできなかったが、今は違う。
 パピヨンが作り出した石の力でカズキは完全にヴィクター化した状態からでさえ、人間に戻る事が出来た。
 人間、武藤カズキ、そして超人、パピヨンが望んだ状況が今ここにあった。
 一年と少し前に殺しあった時よりも、二人は十分に強くなっていた。
 カズキはエヴァンジェリンの従者として修行と戦いに明け暮れ、さらにヴィクター化を通して強くなった。
 その力を見せ付けるように、サンライトハートから山吹色のエネルギーの刃を生み出して突きつける。
 パピヨンもまた一から魔法を独学で手に入れ、幾度の戦いを繰り返し、今は世界樹の力をも手に入れていた。
 自らが一番最初に手に入れた黒死蝶と言う魔法を手のひらに生み出し、これがさらに強くなった蝶の力だと胸の前で大きくする。
 そんな二人を見守るギャラリーは、麻帆良武道会の時とは比べるまでも無い少人数であった。
 だが、例えここが麻帆良武道会が行われた当時、その舞台だとしても同じであったかもしれない。
 二人の瞳には、互いの姿しか映ってはいなかったからだ。
「いくぞ」
 夜の冷えた風の中に流れるように、二人の重なった声が響く。
 辺りに満ちた緊張感に耐えられず、誰かが息をのもうとした瞬間に、二人は動いた。
 決着とは言っても、その最中に相手を殺してしまう可能性もあるはずなのに、その表情に凄惨なものは何一つ含まれてはいない。
 むしろ二人が浮かべていたのは、笑みであった。
 カズキが瞬動術に入り、パピヨンが黒死蝶を放つ。
 そこまでは、麻帆良武道会の決勝戦の焼き直しのような光景であった。
 違ったのは、カズキへと向かった黒死蝶がその目の前ではじけるように分裂した事だ。
 黒が分裂し、七色の蝶がカズキを包み込む。
 再びカズキは笑い、加速する。
 回避が不能であれば、ダメージを極小にする為に駆け抜けてしまえば良い。
 足が爆破され焼かれても、前に進む。
 背中を雷で焦がされ痺れても、前に進む。
 左腕を毒に侵されても、水に足をとられても、風に体を煽られても、あらゆる力に邪魔されてもだ。
 パピヨンへと向けて、駆ける。
 ついにその眼前へと飛び出し、サンライトハートをその胸へと突きつける。
 あと一歩、あと一手。
 その瞬間、普段の笑みの形とは違う表情をパピヨンが浮かべ、カズキもその違和感に気付いた。
 開かれたパピヨンの口の中で羽ばたく一匹の蝶、黒死蝶。
「プラクテ ビギ・ナル。火よ、灯れ!」
 パピヨンの口の中にいる黒死蝶へと向けて、小さな火種を投げつけるも、着火の直前で口を閉じられてしまう。
 火種が消えると同時に、再び口を開いたパピヨンの口内から黒死蝶が羽ばたく。
 やはり一度使用した手は、互いに効かない。
 ダメージが大きい所へ更に慣れない魔法を使用したカズキに回避の方法は残されてはいなかった。
 直撃により上がる悲鳴は、爆音によってかき消される。
 そしてパピヨンが自ら進み出て攻勢に移った。
 爆破によって後ずさり体勢を崩したカズキへと向けて、鋭利な爪を伸ばした手刀を振りかぶる。
 心臓には石が埋まっている為、狙ったのは右胸、少なくとも即死はない。
 そんな心配をパピヨンが行ったかは定かではないが、手刀が打ち込まれようとする。
 その時、カズキは目をそらす事なくパピヨンの手刀を見つめていた。
 崩れた体勢でカズキが退けようと振るったのは、サンライトハートを握る右手ではなかった。
 カズキにはもう一つの武器があったのだ。
 左手の薬指、そこにはめられた指輪のもう一つの姿、エヴァンジェリンから貰った棍である。
 パピヨンと戦う時に使用した事はなく、サンライトハートと同時に使用した事はただの一度もなかった。
 当然の事ながらパピヨンは知らず、カズキも今思いつくまでは知らなかった戦法。
 左手で握った棍を薙いでパピヨンの手刀を下から打ち上げ、打たれた腕が奇妙な方向へと折れ曲がる。
 苦痛と驚愕を同時にパピヨンが浮かべ、その僅かな隙をついて倒れそうになっていた体を踏ん張らせたカズキがサンライトハートを突きつける。
 僅差、どちらに転がっても可笑しくはなかった勝負をカズキが制していた。
「殺れ」
 それを認めるかのように、パピヨンが簡潔な言葉を吐いていた。
 折れた腕を庇う様子すら見せず、荒く息を吐き出しているカズキへと真っ直ぐな瞳で。
 最後の瞬間は、自らの生死に拘らない所は、少し超と似ていた。
「今度はしくじるな」
 それを聞いて、まひろたちが我が耳を疑っていた。
 三人は知らない、仲が良いと勝手に思っていたカズキとパピヨンに何があったのかを。
 それでもそんな事をしないよねと、伺うようにカズキに尋ねるような事はしない。
 カズキの事はもとより、三人とも今のパピヨンを知っているからだ。
 そのカズキがサンライトハートの柄をことさら強く握り締め、そのまま微動だにせず、息を整える。
「蝶野……お前、まだ人を喰いたいとか。この世界を燃やし尽くそうとか思っているのか?」
 カズキの問いかけは、疑問ではなく確認であった。
 パピヨンは答えては来なかったが、カズキはその答えを知っている。
 一年と少し前に蝶野攻爵と出会い、殺し合い、今度は蝶人パピヨンとして出会って、過してきた。
 相容れない意見を持つ事もあれば、共感する事もあった。
 さらにカズキだけではなく、蝶野攻爵としてではなく、蝶人パピヨンとして麻帆良学園で暮らす間に多くの人が見ていた。
 だからカズキはパピヨンの胸へと突きつけていたサンライトハートを迷わず引き下げた。
「蝶野、俺の答えは麻帆良武道会の決勝から変わらない。麻帆良には、お前を見ている人が居る。お前の名を呼ぶ人が居る」
 カズキの言葉を聞いて、パピヨンが誰の事を思い浮かべたかは誰にも分からない。
 少なくとも、四人の顔ぐらいは浮かんでいる事だろう。
「だから俺はお前を殺せない、二度も殺したくはない。これが俺が選ぶ、お前との決着だ。命のやり取りは、もうここまで」
 ついにパピヨンを目の前にして、カズキがサンライトハートをその手の中から消し去る。
「命を蘇らせる魔法があったらって思うけど、やっぱりそんなのないから。死んだ命をしっかり弔って、これで全部終わりにしよう」
「以前にも増して、大層な偽善者ぶりだな」
「いいよ、それで。お前を殺すよりはずっと良い」
 パピヨンの一見嘲るような言葉にもカズキは笑って答えていた。
 だからこそ、パピヨンも笑みを引きずり出されてしまう。
 カズキはカズキである事を曲げない、だからパピヨンもパピヨンである事を曲げられずにいた。
 合わせ鏡に移る鏡像のように、二人はお互いに無くてはならい存在なのである。
「蝶野、お前の名前は俺がずっと覚えている。お前の正体もずっとずっと覚えている。だから、新しい名前と命で、新しい世界を生きてくれ」
 全ての気持ち、感情を吐露し、カズキは大きく息を吐いた。
 自分が選んだ決着の結果、パピヨンがどうするかは自由である。
 出来るならばまた麻帆良に留まり、コレまでと同じように穏やかな日々を送って欲しいのが一番の本音だ。
 だが、それを選ぶのはパピヨンの自由だ。
 仮に全ての弔いを終えてパピヨンが麻帆良を去るとしても、そしてそれを追いかけるのも。
 何はともあれ、
「帰ろうか、麻帆良に」
 全ての決着がついたと、カズキは振り返ったが、新たな問題が生じていた。
 満足そうに頷くブラボーや、何か憧れるような物を込めて見つめてくるネギ、何やら思いつめるように考え込む超などはまだ良い。
 問題なのは、明日菜の後ろに隠れるようにしながら、顔を覗かせては引っ込めるなどと繰り返しているエヴァンジェリンである。
 そんな姿がちょっと可愛いと思ってしまったカズキであるが、エヴァンジェリンらしくないとも思った。
「エヴァンジェリンさん?」
 どうしたのかと声をかけると、やはりエヴァンジェリンは隠れてしまう。
 意味が分からず、後頭部を掻いていると、何故か明日菜に睨まれてしまった。
 その明日菜はまひろと木乃香にエヴァンジェリンを引き渡し、
「来たれ」
 破魔の剣を取り出してカズキへと突きつけてきた。
 本気で意味がわからず、困惑ばかりが大きくなる。
 まさか自分だけかとカズキが周りを見渡せば、ネギにも分からないと首を振られてしまう。
 ブラボーは何やら頷いているが、分かっているのかプラフなのかはシルバースキンの奥で分からない。
 超も考え事に夢中のようで分からないが、まひろや木乃香も頬を膨らませていた。
「ごめん、明日菜ちゃん。本気で分からないんだけど、俺何かした?」
「そこが駄目!」
「そこがって言われても」
「パピヨン先生とカズキさんとの間で何があったかしらないけど、仲が良すぎなのよ。そんなんじゃ、そこまで自分が想われてるのかってエヴァちゃんが不安になるじゃない。仲良くするの禁止、パピヨン先生も生徒じゃないんだからこれを期にカズキさんとの相部屋を解消する!」
 詳細を聞いてやっと、カズキにも分かった。
 ただそこまでパピヨンと仲が良いかとも思えなかったが。
 むしろパピヨンとは意見を違えていたので悪いとさえ思えるし、仲の良さでは岡倉たちの方が上だと思う。
 けれど、エヴァンジェリンがそれを不安に思うのならば、解消するだけの十分な言葉をカズキは知っている。
 明日菜の破魔の剣を避けて、まひろの後ろに隠れているエヴァンジェリンの目の前にまでカズキは歩いていった。
「まひろ、ちょっと良いか?」
「うん、ほらお義姉ちゃん。大丈夫だから」
「いやだ、木乃香代わりに対応してくれ」
「そんなんあかんよ。エヴァちゃん、逃げたらあかん」
 率先して守ろうとした明日菜とは違い、まひろと木乃香の手によりカズキの前に差し出されてしまう。
 迷子の子猫のようにキョロキョロと、忙しく辺りを見渡し、ここに茶々丸が居れば確実に映像保存していた事だろう。
 そんなエヴァンジェリンを安心させるように、カズキはその両肩に手を置いて自分の方を振り向かせた。
「離せ、カズキ。お前も私なんて嫌だろう。元々お前は年上好きだし、私はこんななりだ」
 それに加え、カズキを忘却するままに殺しさえしてしまった。
 カズキがその事で自分を恨むとは思えなかったが、不安は不安である。
「そんな事はない。小さくても、エヴァンジェリンさんはエヴァンジェリンさんだし。小さい所も何もかもひっくるめて、丸ごと全部エヴァンジェリンさんの事を好きだよ」
 だからカズキはエヴァンジェリンの不安を全て吹き飛ばす一言を、その目を見て言いきった。
 少しでも視線をそらそうものなら体を揺さぶり意識を自分へ向け、言葉以上にその瞳で伝えていた。
 これまでにも二人は幾度かキスをし、京都では告白未遂までいったが、ちゃんと言葉でカズキが伝えたのは初めての事であった。
 安堵し、頬を赤らめるより先に、エヴァンジェリンは涙を流していた。
 まだ鼻炎が残っていたのかと思いたくなる程に涙腺が緩み、鼻の奥がずるずると揺らぎだす。
「あ……本当?」
「本当にごめん。エヴァンジェリンさんの気持ちも考えずに、俺のこの気持ちはずっと変わらないから。安心して」
「私も、だ」
「うん」
 頷き、微笑むカズキを引き止めるように、その服の裾をエヴァンジェリンが掴んだ。
 嬉しさと羞恥により感極まってはいるものの、これではまだ一方通行だと。
 カズキの服の裾を掴んでいない方の手はポケットに突っ込みながら。
「私も、カズキの事を好きだ。ずっと一緒にいてくれるか?」
「もちろん」
「じゃあ、麻帆良に帰ったら私の部屋に引っ越してくれるか?」
「もち……え?」
 一瞬戸惑ったカズキを見上げ、無理矢理意地の悪い顔を向けたエヴァンジェリンが勝ち誇る。
「嫌だといっても、聞かんからな。言質は取った」
 そう言ってポケットから携帯電話を取り出して見せ付ける。
 これまでずっとまひろたちに自らの恥ずかしい映像を撮られ続けていたエヴァンジェリンの小さな反逆であった。
 だが見せ付けられたカズキは、眉根をひそめていた。
 そんなに嫌かと不安にかられたエヴァンジェリンであったが、その理由はエヴァンジェリンが見せ付けた携帯電話の画面にあった。
 そこに浮かび上がっているのは、手に入れたはずの言質などではなく、近衛近右衛門と言う名前である。
 呼び出し音がプルプルなる中で、誰もが気付いて思った。
 機械音痴が慣れない事などするなと。
「もしもし、ワシじゃ。エヴァお主今何処におる。助けてくれ、手が足りん。今の所は魔物ばかりじゃが、いずれ他の組織の魔法使い達が攻めて来る事も考えられる。はよう、戻ってきてくれ!」
「たまには、貴様自身が率先して戦え!」
 そう一言電話の向こうへと叫んだエヴァンジェリンは、やるせなさを込めて携帯電話を叩きつけた。
 やがて不安そうにカズキを見上げたが、向けられたのは何時もの笑顔であった。
「ちょっとびっくりしたけど、良いよ」
「カズキ!」
「何時までおままごとをしている。いい加減、鬱陶しい」
 感極まって抱きついたエヴァンジェリンをカズキごと蹴りつけたのは、パピヨンであった。
「パピヨン先生、良い所でなんで邪魔するのよ。良い画の宝庫じゃない!」
「結婚式の紹介映像が出来るぐらいのストロベリーが……」
「カズキさんはエヴァちゃんのものやから、パピヨン先生は当分おあずけやえ」
「そんな事はどうでも良い。しかし、良いのか。早くもどってやらんと、貴様らの帰るべき場所が物理的に消えるぞ。近右衛門が言っていただろうが」
 パピヨンが珍しくまともな指摘を行い、それでも明日菜たちは不満そうであったが、正常な思考を行える者は残っていた。
 ネギしかり、ブラボーしかり、そして超しかり。
「マスター、しっかりしてください。急いで麻帆良に戻りましょう」
「俺も手を貸そう」
「それもこれもパピヨン先生が世界樹を破壊するなんて、馬鹿な事をしでかしたからね」
 超だけはお前が言うなといわれる立場であるが、思うところがあって手を貸すつもりらしい。
「俺を貴様ら凡人と一緒にするな。ちゃんと世界樹を破壊した後の事も考えてある。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、さっさと影の扉を開け」
「貴様、自分で私とカズキを蹴り倒して置いて……まあ、カズキが守ってくれるから怪我は無いがな」
 実際に転倒する間際にエヴァンジェリンの事は、カズキが身を挺して守っていた。
 その事をパピヨンに勝ち誇るように、エヴァンジェリンは胸を張っている。
 そしてさらにそんな様子をまひろたちが携帯電話の動画で撮影したりと、放っておけば永遠に繰り返されそうであった。
「仕方が無いネ。ネギ坊主、高音さんに連絡して向こうで影の扉を開いてもらって欲しい。経験はないけれど、こちら側は私で開くネ」
「そうですね、今のマスターは若干不安が残るので……一つ聞いて良いですか、超さん」
「どうして手伝うかは、そうネ。新しい名前と命で、新しい世界を生きるのも悪くないと思ったから。まだ私にはやり残した事が、出来る事があるネ」
 ネギが疑問を言葉にして伝えるより先に、超は自ら率先して答える。
 何処か吹っ切れたように呟く超を見ながら、ネギは携帯電話で高音へと連絡し始めた。

第五十二話 未来なんてあやふやなもの、信じるに足らない

 その時、その光景を、エヴァンジェリンは理解する事が出来なかった。
 自分の腕の中ではなく、超の腕の中にカズキがいる。
 死んだように瞳を閉じるカズキの胸には何かに貫かれた傷があり、自らの右腕にはそれを成す事の出来る魔力の残照と感触が残っていた。
 自らの手で、カズキを殺してしまった。
 六百年前と同じく、ヴィクターと化した父親を殺した時のように。
 分からない、何故自分がカズキを殺さなければならなかったのか、何が起こってしまったのか。
 混乱はエヴァンジェリンの脳内を無作為に走り、カズキの代わりに走馬灯を見るかのように思い出が蘇る。
 初めて出会った月下の夜、血まみれの唇にキスをして仮契約をした事、その後に素人同然のカズキを苛めるように八つ当たりする自分。
 カズキとの繋がりが、より多くの繋がりを生み、慕う者、親しい者を作り出した。
 そしてその繋がりの中でエヴァンジェリンはより強くカズキとの繋がりを強くし、より望むようになっていった。
 そのカズキを、今エヴァンジェリンは殺した。
 何故、散々遠回りしていた思考が、求めていた答えをエヴァンジェリンへと与えてくれた。
「超、鈴音……貴様が、貴様が!」
 死してなお生きようとエネルギードレインを始めたカズキの亡骸を抱く、超鈴音。
「私に、カズキを殺させたのか!」
「記憶が、戻った。一体何がッ?!」
 怒りに任せて飛び出したエヴァンジェリンの拳が、直ぐ目の前にいた超の頬を強打する。
 吹き飛び、岩にめり込もうとする超を尻目に、カズキの亡骸を奪い返す。
 これは自分のモノだと、例えエネルギードレインを発し、自らの命を喰らおうとしてもだ。
「目を覚ませ、カズキ。私の命を喰らってでも、目を覚ましてくれ。そして、また私を守ってくれ」
「エヴァンジェリン、後ろネ!」
 地面にカズキの亡骸を横たえ、その手をとろうとしたエヴァンジェリンは、超の叫びによってそれに気づかされた。
 振り返った先にいるのはブラボーがいるだけである。
 もちろん、振り返ったのは超が何かを指摘する声が理由だけではない。
 もう一つの理由、それは殺気である。
 守るようにカズキの亡骸を抱えなおし、振り返った先では、ブラボーが強く拳を握り締めていた。
「ブラボー、貴様なんのつもりだ?」
 密着する事で、一層強まるエネルギードレインの効果に息を乱し、今攻撃されては避けられない事を理解しながら、エヴァンジェリンは尋ねた。
「魔法使い・エヴァンジェリン、戦士・カズキの亡骸を渡せ。残念だが、戦士・カズキは第二段階へと入ろうとしている。目を覚ましたが最後、二度と人間には戻れなくなる」
「だが、貴様のシルバースキン・リバースならば、エネルギードレインを封殺出来るだろう。何を血迷っている。カズキを封じたまま、ナギのいる場所まで連れて行けば良いではないか!」
「それは、出来ない……出来なくなった」
「魔法世界への入国カ?」
 断腸の思いを吐露するブラボーの言葉を、めり込んだ岩場から体を引き抜きながら超が継いだ。
 その考えそのものは予想でしかなかったが、一度だけ小さくブラボーが頷いた事から間違いではなかったらしい。
「まだ、戦士・カズキが第一段階であるならば、人間の状態が残ってさえいれば問題はなかった。魔法世界への入国の際には、アーティファクト等の全ての魔法具は封印処理されてしまう」
「そんな理由で、貴様も英雄と呼ばれる一人だろうが。それぐらい、なんとかしろ!」
「エヴァンジェリン、酷な事を言わない方が良いネ。キャプテン・ブラボーは、戦士であって魔法使いではない。ナギ・スプリングフィールドと同等の実力を持ちながら、その格は向こうの世界では落ちる。だが、好都合ネ」
 超とブラボー、両者に挟まれたエヴァンジェリンは動けず、カズキに淡々と命を喰らわれ続けるしかなかった。
 同時に、超やブラボーも迂闊には動く事が出来ないでいた。
 ブラボーは、カズキが第二段階として完全に覚醒する前に消滅させたい。
 一度は救うと約束し、決めた命だが、それにも限界があった。
 そして超は、カズキがヴィクターとして第二段階に覚醒する事こそ望む所であったが、それを利用したい、それだけである。
 何としてでも魔法世界へと連れて行きたいのはエヴァンジェリンと同じだが、その理由が違う。
 三人とも、迂闊には動けない。
 エヴァンジェリンがカズキを連れて逃げようとすれば、ブラボーと超の二人が立ちふさがる。
 ブラボーがカズキに攻撃を仕掛ければ、エヴァンジェリンは守り、超はそれを遮る事だろう。
 超がカズキを奪い逃げようとすれば、もちろんエヴァンジェリンとブラボーが防ごうとする。
 下手に敵を作らず、上手く味方に組み込みたい為に、三人は全く動く事が出来ない。
「カズキ、お前は私が守る。守ってやるからな」
 そう呟きながらも、エヴァンジェリンは確実に己の命が吸われ、僅かだが瞼が重くなっている事を感じていた。
 周りの木々からは既に生命力が殆ど失われ始めており、自重を支えきれず倒れ始めるものさえあった。
 いずれエヴァンジェリンも耐え切れず、意識を失うかもしれない。
 そうなれば、シルバースキンを保有するブラボーと、魔法無効化能力を持つ超がカズキを巡って戦う事になるだろう。
 どちらが勝つにせよ、エヴァンジェリンがカズキと再会できる可能性は限りなく低くなってしまう。
 そこで三人同時に気付いたのは、四人目の魔法使いであった。
「ぼーや」
「魔法使い・ネギ」
「ネギ坊主」
 一度は体力の回復の為に下がっていたネギは、杖から降りて三人から少し離れた場所にいた。
 エネルギードレインの効力内ではあるが、若干の距離があるせいかエヴァンジェリンよりはその表情に余裕がみられる。
 杖を掴む手とは逆の手には、閉じられたばかりの携帯電話が握られていたが、そんな小さな事を気に掛ける者はいなかった。
 ネギの決断で、この場の全てが決まる。
 少なくとも、この硬直し止まってしまったかのような状況を動かす事が出来るはずであった。
「僕は」
 だが状況は、ネギが答えを口にするより早い段階で動く事となった。
 意識の無いままにエヴァンジェリンに抱えられ、エネルギードレインを発していたカズキの目が開いたからだ。
 状況を理解しているのか、ほっとした表情を見せたエヴァンジェリンに触れようとし、自らの手の色に気付いて引き止める。
 そして瞳に謝罪を込めながら、立ち上がった。
「来たれ」
 呼び出したのは、元凶ともいえるサンライトハート。
 それを手に取ると、警戒をあらわにする超とブラボーへと向けて首を横に振った。
「超さん、俺は君の望むような事は出来ない。ブラボー、自分の始末は自分でつける」
「待て、何を言っているカズキ」
「ごめん、エヴァンジェリンさん。もう、俺はエヴァンジェリンさんを守れない」
 三すくみとなる状況の真ん中で、カズキは空へと向かってサンライトハートを突き立てた。
 分解される刃の中から、生き返るまでに集めたエネルギーが噴出し、山吹色の刃を生み出していく。
 その行動に闘争本能や、殺意と言った戦う意志は一欠けらも含まれてはいない。
 だから、ブラボーも超も動く事は出来なかった。
「全開!」
 叫びながらカズキが見上げたのは、頭上にて淡く輝く月であった。
 まるでエヴァンジェリンと出会ったあの日を彷彿とさせるような。
「カズキッ!」
 跳ぶ、サンライトハートの出力を最大にしてカズキが空へと向けて飛んだ。
 目指す先は、人の限界を超えた場所。
 思いつきか、以前からの考えかは定かではないが、カズキが目指したのは生命の存在しない月であった。
 三つ巴の空間を抜け出し、飛び出したカズキであったが、カズキ以外にも自由に動ける者がいた。
「ラス・テル、マ・スキル、マギステル」
 月を目指したカズキを回り込むようにして、杖で空を飛んだネギであった。
 その手の中に宿るのは、魔法の射手、光の矢である。
「桜華崩拳!」
 サンライトハートの切っ先に打ち込まれた拳は、ネギが一瞬でも気を抜けば斬り飛ばされそうな程に危うい均衡を保っていた。
「ネギ君、どいてくれ。今はこれしかないんだ!」
「嫌です。僕の選択は、今この場でカズキさんを人間に戻す事です!」
 そして、危うい均衡だからこそ、カズキはそれ以上無理をして押し通る事は出来なかった。
 サンライトハートの刃を引き、その場に留まることしか出来なくなる。
「マスター、扉です。影の扉を開いてください。パピヨンさんが準備をして待っています」
「不可能だ、ヴィクター化した人間を元に戻す手段など存在しないネ!」
 ネギの台詞を耳にし、何かを確認するように自らの手を見た超が、動いた。
 この中で扉を開く事が出来るのは、エヴァンジェリンのみである。
 カズキを、一度ヴィクター化した者を人間に戻す事が出来るのならば、超とてそれを見て見たい。
 だがそれは同時に、魔法世界を滅ぼすと言う目的が果たせず、自身の存在意義を失くす事でもあった。
 認められないからこそ、超はエヴァンジェリンの排除を選んだ。
「マスター!」
「来るな、ぼーや。貴様が動けば、カズキは迷わず行ってしまう!」
 扉を作成する為の魔力を高めながら、エヴァンジェリンが超を迎えうつ。
 繰り出された拳を捌き、扉へと意識を集中させる。
「さすがとは言いたいが、私を侮り過ぎネ。ラスト・テイル、マイ・マジックスキル、マギステル。炎の精霊五十九柱。集い来たりて、敵を燃やせ。魔法の射手、連弾、火の五十九矢!」
 確かに、エヴァンジェリンはまだ超の実力を把握仕切れてはいなかった。
 それとも一筋の光明に目がくらんだか、すぐさま魔法の射手が打ち込まれる。
 普段のエヴァンジェリンであるならば、超の炎の矢を同じ数の氷の矢で相殺する事ぐらいは出来たはずであった。
 だが影の扉を生み出そうとしていた今は、不可能であった。
 最低限、魔法障壁に守られてはいたが、エヴァンジェリンの体を焼き、地面の上を吹き飛ばしていく。
「エヴァンジェリンさん!」
 そんな姿を見て、誰よりも心配し駆け寄りたいと思いながらそれが出来ないのが、今のカズキであった。
 下手に駆け寄ってしまえば、エネルギードレインによってよりエヴァンジェリンを弱めてしまう。
 空の上で棒立ちでいる今でさえ、少なからずエヴァンジェリンに影響を与えているのだ。
「心配する事はないネ、カズキさん。これでも元クラスメイト、ここは気絶する程度に痛めつけるだけヨ」
「そうはさせん、魔法使い・超!」
「私を魔法使いと呼ぶな、私はホムンクルス。新人類ネ!」
 さらなる追撃を行おうとする超と、魔法の射手を防ぎきれなかったエヴァンジェリンの間に立ちふさがったのはブラボーであった。
 その内心は、今だどのような決断を行うか迷ってはいたが、戦友を見捨てるような真似は出来なかったらしい。
 しかしながら、これでは再び三つ巴の状態に戻ってしまったように見える。
 超とブラボーは、傷を負ったエヴァンジェリンをそれぞれ攻撃、または守ろうとし、ネギとカズキは互いを牽制して動けないでいた。
 だが同じ三つ巴でも、状況は確実に悪くなり始めていた。
 エヴァンジェリンは吸血鬼の真祖と言う不死に近い魔法使いであったが故に、回復系統の魔法が殆ど使えない。
 超から受けた傷の度合いは定かではないが、直ぐに動けるようにも思えなかった。
「ネギ君、一時休戦しよう。君は、エヴァンジェリンさんの所に行ってあげてくれ」
「逃げませんか?」
「逃げない、超さんとブラボーを止める」
「分かりました。ただし、隙をついて逃げたら……僕がマスターを殺します。それでも良いですか?」
 ネギ自身そんなだいそれた事が出来るとは思っていないし、カズキもそれは分かっていた。
 口約束だが、それはカズキにとっての最低限の枷となる。
「エヴァンジェリンさんの事を頼んだよ、ネギ君」
 空にではなく、真下へと向けてカズキがサンライトハートを突きたて、エネルギーの刃を生み出す。
 今まさにぶつかろうかと言う超とブラボーの間へと向けて、サンライトハートを投擲し、自らも降り立っていく。
 そんなカズキを見送ってから、それでも最低限の注意は向け、ネギは倒れ伏すエヴァンジェリンの元へと向かっていった。
 うつ伏せで倒れるエヴァンジェリンを仰向けに寝かせなおす。
 意識だけはあったようで、何やらスカートのポケットに手を入れようともがいていた。
「マスター、もしかしてまひろさんの飴玉ですか?」
「……だ」
 火によって喉をやられたのか、かすれた声で頷いてきた。
 失礼しますと先に謝ってから、エヴァンジェリンのスカートのポケットに手を入れて飴玉を取り出す。
 サランラップに包まれた明らかに市販のものではない飴玉を、エヴァンジェリンの口に放り込む。
 噛み砕くのは難しかったのか、忙しなく口の中で飴玉を転がしたエヴァンジェリンが言った。
「ぼーや、どうやってカズキを元に戻すと言うのだ?」
「方法は、分かりません。ただ、カズキさんについての記憶が戻ると同時に、パピヨンさんから連絡がありました。カズキさんを思い出す為だけに、世界樹を破壊したそうです」
 それを聞いて、エヴァンジェリンは何を躊躇する事もなく馬鹿だと思った。
 世界樹は麻帆良を守護する聖域の根幹のような物である。
 それを破壊されたとあっては、今頃は出現する魔物や有象無象に魔法先生、生徒は大わらわとなっている事だろう。
 もしやと、悪と呼ばれ始めた魔法使いに名誉挽回のチャンスを与えたのかと思ったが、絶対に違う。
 パピヨンは忘れてしまった誰か、カズキとの決着の為だけに全てを破壊し、敵に回そうとした。
 腹が立つ、大いに腹が立つ自分をエヴァンジェリンは自覚してしまった。
 カズキの友人、血の繋がった妹であるまひろ、あろうことか恋人である自分や高音以上に、パピヨンはカズキを求めていたのだ。
 男であるパピヨン相手に馬鹿な考えだとは思うが、負けてたまるかと思う。
 誰よりもカズキを求め、欲しているのは自分達だと立ち上がった。
「ぼーや、パピヨンに連絡を入れろ。こちらも準備はなったと、これでカズキを元に戻せなければ先に奴を殺す」
「分かりました、マスター」
 携帯電話を取り出したネギを尻目に、エヴァンジェリンは長距離転移用の影の扉を開く為に、足元に魔法陣を敷いていく。
 それは一度京都でも使用しており、今回はそれより距離が短い為に失敗するような心配は欠片もしていない。
 エヴァンジェリン自身の影によって作られた魔法陣が、完成すると同時にさらなる影を生み出し始める。
「させないネ。私は、ヴィクターから世界を守る為にこの過去に来た。ヴィクターを生み出さない為にも、魔法使いの殲滅は必要不可欠な事ネ!」
「それがお前の信念か、新人類・超」
「そうネ。だが、魔法使いは決して自らの過ちを認めない。だから、見せ付けなければならないネ。ヴィクターと言う脅威を、そしてそれを誰が生み出したカ。カズキさん、すまないがその為にも貴方には絶対悪となってもらわなければならない!」
「けれど、その為には犠牲が必要だ。俺自身はまだしも、何も知らないその人に強いる事は出来ない!」
 世界の崩壊を防ぐと言う大義が、超にはあった。
 少なからず私怨が含まれていたとしてもだ。
 超の考えはブラボーの一人でも多くを救うと言う信念に沿ってはいたが、納得できるものではなかった。
 何故なら、超はこの世界を救う為には魔法世界が滅んでも構わないと思っている。
 最後の最後まで、魔法使い達がヴィクターの存在を自分達が生み出したと認めなければ、きっと魔法世界を破壊するだろう。
 当然の事ながら、カズキも超の考えは受け入れられなかった。
 以前にカズキが超の行動に賛同したのは、自分が世界を破壊するのを防ぐ為に、誰からも自分を忘れさせると言う点にあったからだ。
 自身がエヴァンジェリンを殺すという最悪の未来を回避する為に、誰からも忘れ去られる事を選択した。
 だが次の超の言葉に二人の動きが一瞬止まる事となる。
「既に第四のヴィクターの誕生が迫っているとしても、貴方達は私を邪魔するというのカ?!」
 それは現時点で超しか知らなかった、爆弾ともいえる事実であった。
 一瞬の隙をついて、超がカズキとブラボーの脇を潜り抜ける。
「そして、私はそのヴィクターが誰なのかを知らない。知らないと言う事は、防げない。だから、仮契約システムは破壊しなければならないネ。ラスト・テイル、マイ・マジックスキル、マギステル。契約に従い、我に従え、炎の覇王。来れ、浄化の炎、燃え盛る大剣。」
 もはや手段は選んでいられないと、超は転送中の影が巻き込まれる事も覚悟して詠唱を開始していた。
「早く、早くこい。急げ、パピヨン!」
「ラス・テル、マ・スキル、マギステル。来たれ雷精、風の精。雷を纏いて、吹きすさべ、南洋の嵐」
 転移の最中、身動きのとれないエヴァンジェリンの前へとネギが飛び出した。
「雷の暴風!」
「くッ……ほとばしれよ、ソドムを、焼きし、火と硫黄。罪ありし者を、死の塵に、燃える天空!」
 ネギが放った雷と風の渦をその身に受けながら耐える超が、詠唱を完成させる。
 そしてその手より放たれた空をも燃やす炎によって、雷の暴風を飲み込んだ。
 炎は暴風を退け、ネギを飲み込み、その後ろにいたエヴァンジェリンと転移途中である影までをも飲み込んでいた。
 一瞬、悔やみながら笑みを浮かべると言う奇妙な表情を見せた超であったが、その表情が急変する。
 空を燃やすと言う大それた名を持つ炎が、急速に小さくなり始めたからだ。
 まるで何かに飲み込まれるような現象を見て、まさかと超が呟いた。
「魔法無効化……だけ、じゃないネ?」
 徐々に小さく消えていく炎のカーテンの向こう側に、見え始めた人影。
 エヴァンジェリンを守るように立ちふさがるネギ、その更に前に破魔の剣を構えた明日菜が居る事は予想の範疇であった。
 予想外であったのは、エヴァンジェリンの隣で万能無効化鍋を掲げているまひろである。
 まるで掃除機に塵を吸い込むかのように、空を燃やすはずであった炎が小さな片手鍋へと吸い込まれていた。
「もはや、なんでもありだな。まひろの万能文化鍋は……」
 エヴァンジェリンの呟きに多大な呆れが含まれていたのは、まひろの足元に大量の飴玉が転がっていたからだ。
「超、アンタいい加減にしなさいよ!」
「何をかネ? 偽善者ぶるつもりはないが、私がこうしなければ遠くないうちに世界は滅んでいたネ」
「誰がそんなわけのわかんない事を言ったのよ。そんな事はどうでも良いの!」
 かつてのカズキの決断も、超の信念が自らの信念に沿うブラボーの葛藤も明日菜は蹴飛ばしていた。
「私が怒ってるのは、アンタがエヴァちゃんからカズキさんを取り上げたからよ。世界が滅ぶ? そんな小難しい事、女子中学生に分かるわけないじゃない。なんかなったら、勝手にどうにかするわよ。まずは、エヴァちゃんにごめんなさいをしなさい!」
 誰かが小難しいかと疑問の声を上げたが、誰があげたかは不明だった。
 この場の誰もが同じような事を考えていたからかもしれない。
「影の扉が途中で切れたか。だが、十分だ」
 唯一明日菜の言葉に飲み込まれていなかったパピヨンが、呟いた。
 言葉通り、超の燃える天空によって影の扉は切断されてしまったが、パピヨンと明日菜は無事に転移を完了していた。
 そこに加えて回復の出来る木乃香と、ある意味ジョーカーであるまひろまで転移出来たのは幸運であった。
「神楽坂明日菜、このペンダントをつけろ。以前の実験でつけていたものと同じ物だ」
「痛いのはなくなったけど、むずむずするから嫌……なんて言っていられないか」
 パピヨンが放り投げたペンダントは、かつてヘルマンが明日菜へとつけさせたペンダントと瓜二つのものである。
 一手一手、状況が詰みあがっていくと放り投げられたそれを奪おうかとも思った超であったが、パピヨンの視線により不可能であった。
 受け取ったペンダントを明日菜が付けると、魔法無効化能力が全方位へと展開されていく。
 明日菜自身を守るように内側へと向けて発揮されていた方向性を、外側へと捻じ曲げているのだ。
 エネルギードレインが無効化され、疲労困憊であったネギとエヴァンジェリンがあからさまにほっとしていた。
 ただし、明日菜だけは、くすぐったそうに顔を赤らめ身をよじっていたが、命が喰われるよりはマシである。
「武藤まひろ、神楽坂明日菜がギブアップしそうになったら、貴様がエネルギードレインを万能文化鍋で吸い取れ。魔法無効化で消えるならば、理論上は出来るはずだ」
「あ〜……うん、分かったよ。でも明日菜ちゃん、出来るだけ頑張って。飴玉が拾いきれなくて勿体無い」
「ビニールシートでも持ってこれば良かったわね」
「エヴァちゃんもネギ君も怪我をぎょうさんしとるし。まっぴー、地面についてない飴玉を貰うえ」
 明日菜たちの登場で、明らかに空気が和らいでいた。
 つい先程までは、知り合い同士いざとなれば殺しあう事も辞さない空気であったのにである。
 一番の天敵は、カズキでもブラボーでもエヴァンジェリンでもなく、この三人であったらしい。
 だがそれでも状況が好転、とまではいかないのも事実であった。
「それで、どうするネ。一時的なエネルギードレインの無効化は私も考えていたヨ。これは、無尽蔵に周りから命を奪い回復するヴィクターを殺す為の唯一の手段ネ」
 だからこそ、超はヘルマンが現れた時にそれを実験したのだ。
「方法は確かに、手中にある。ただし、失敗すれば武藤が死ぬ可能性があった。だから、こんな状況でなければもっと研究を進めたかったのが本心だが。今となっては仕方が無い。こいつを、武藤の心臓に埋め込む」
 パピヨンがスーツの中に手を突っ込んで取り出したのは、手の平サイズの六角形の石版であった。
 未来を知るはずの超でさえも、それが何か分からず訝しげに瞳を細めていた。
「こいつは、武藤のサンライトハートを覆っていた刃部分を調査して同じ構成で創り上げた石」
「そんな物で、ヴィクター化を解除できるわけがないネ。それに、そんな物があれば私が知るパピヨンがとっくにつくりあげていたネ」
「そう、貴様は未来をしるが故に決め付けていた。未来なんてあやふやなもの、信じるに足らない。未来の俺は、京都での事件に深く関わっていたか? 武藤がヴィクターに変わるその瞬間を見ていたか? サンライトハート自身の巨大な刃が、ヴィクター化を抑えていた事に気付いていたか?」
 超が様々な形で現在に関わる事で、大筋は変わらずとも所々で小さく変わり始めていたのだ。
 だからこそ、パピヨンはヴィクター化に対抗する手段に気付く事が出来た。
 カズキがヴィクター化する瞬間、サンライトハートの元の刃部分が砕け散る様を見て、もしやと思った。
 そして超から教えられた未来に対して、先んじてその対策を行う事が出来たのだ。
「もっとも、本当にこれで戻るかどうかはわからないがな。それに、人間の状態で埋め込めば当然死ぬ」
「ああ、その点は大丈夫らしい。一度死んで第二段階に進んだ今、滅多な事では死なないみたいだから」
「死んだり生き返ったり、生き返ったり死んだりと、忙しい奴だ」
「全くだ。でもこれが上手く行けば、本当に最後だ」
 六角形の石をパピヨンから投げ渡されたカズキは、全幅の信頼を置いた笑みで応える。
 その姿に触発されたかは定かではないが、木乃香に治療されていたエヴァンジェリンが立ち上がっていた。
 木乃香に気遣われながら、カズキの目の前にまで歩いていって六角形の石を奪い取る。
「エヴァンジェリンさん?」
「私がやる」
「別に構わないけど……エヴァンジェリンさんは嫌じゃない?」
 カズキが左胸に手を置きながら尋ねたのは、断罪の剣で刺し殺してしまった事を思い出さないかを心配しての事だ。
 どうやら嫉妬が勝っていて忘れていたようで、ややエヴァンジェリンの顔色が悪くなる。
 だが引き下がるわけにもいかなかった。
 闇の福音、吸血鬼の真祖がホムンクルスのなりそこないに、しかも男に負けるわけにはいかなかったからだ。
「やると言ったら、やる。手が届かないから、ちょっと屈め」
 言われた通り、しゃがみ込んだカズキがエヴァンジェリンと視線を合わせる。
 皆が見守る中、ただ一人超が一抹の希望、失敗とを望んでいる中で、エヴァンジェリンがカズキの胸に六角形の石を突き立てた。
 最悪、再び自らカズキの胸を開こうと思っていたエヴァンジェリンの考えに反し、石は沼にでもはまるかのように沈み込み始める。
 ゆっくりとだが、確実に埋め込まれていく石。
 その姿がカズキの胸の中に完全に消え去ろうとした時に、エヴァンジェリンは最後の一押しを指先で行った。
 そして、後はなるようになれとばかりに、カズキへと抱きついた。
 効果の程は一瞬、二人の足元に方円が生まれカズキの体を山吹色の光が包み、弾け飛んだ。
「全て、終わった。終わってしまったネ」
 その呟きは、超が発したものであった。
 呟きそのものの意味は定かではないが、ヴィクターとして安定期に入ったカズキの髪は黒色に戻っていた。
 肌のいろも赤銅色から元の肌色に、もちろんエネルギードレインも収まっている。
 明日菜が確認するようにペンダントを外しても、その効果が見られる事はなかった。

第五十一話 超鈴音、貴様が創り上げたこの世界を破壊するまでだ

 学園長室を後にしたパピヨンは、収まる気配のない苛立ちに対して苛立つという悪循環に陥っていた。
 暴動を恐れて店が閉まるような事はなかったが、表通りからは殆ど人通りがなくなった麻帆良都市内を意味もなく歩き回る。
 パピヨンの生活範囲は意外と狭い。
 主な居場所は、住まいとして利用している男子高等部の寮と働いている女子中等部校舎、それに研究室のあるエヴァンジェリンの家の別荘ぐらいである。
 食道楽な側面がある為、気が向いた時に食べ歩いているようにも思えるが、今の所は食堂棟で賄えていた。
 唯一の例外は、あの下僕三号であるバイト少女を見つけたロッテリやだろうか。
 だから苛立ちの答を求めて、歩き回る範囲も時間もたかが知れていた。
「何故、俺は何も感じないんだ」
 そして、お昼を少し過ぎた頃になるまで歩き回った結果、答えは見つからなかった。
 パピヨンが抱く苛立ち、それは穏やかな音色で時を刻む心にある。
 あれ程までに世界を憎み、その世界を燃やす為に脆弱な芋虫の体を脱ぎ捨てて超人を目指したと言うのに。
 情熱にも似た熱く黒い憎悪が、幻か煙のように消えてしまっていた。
 元々望んで手に入れた憎悪ではないが、理由もなく消える事もまた許せない。
 それは自身の一部、蝶野攻爵から超人パピヨンへと生まれ変わった際に、唯一持ち越した自分だけの物だ。
 苛立つ、とてつもなく苛立つというのに、気の向くままに誰か、または何かに八つ当たりしてやろうと言う気にもならない。
 そしてだからこそ、さらに苛立ちが増していく。
 そんなおり、これ以上は勘弁してくれとばかりに、空腹を訴える声が腹の中からあふれ出てきた。
「ふん、人がこれ程までに悩んでいると言うのに、勝手な体だ。さて、今日の気分は……最低だ。自棄食いな、キ・ブ・ン」
 もちろん自棄食いといっても、最初から人間を喰らうつもりはない。
 麻帆良学園で教師となる上でかわした血の盟約の事もあるが、人を喰う事になんら心を引かれるものがないのだ。
 だから当然、普通の人と同じものを食べるつもりである。
 何処へ行こうかと来た道を戻り始めて直ぐに目を引かれたのは、ロッテリやであった。
 その時ちらりと頭をよぎったのは、下僕三号であるバイト少女である。
「ちッ……」
 下僕と呼ぶ割には名前すら知らないと言うのに、それだけで勝手に足がロッテリやへと向かっていた。
 自分の中にある如何なる感情がそう働いたのか、やはり分からない。
 ただ、魔法が表ざたとなり、一週間前とは明らかに変わってしまったこの世界で、どうしているのかが気になったのだ。
 下僕三号と勝手に呼び、さらには本名さえも知らない相手だと言うのに。
 正直、自分に対して気味の悪さを感じながら店内へと足を踏み入れると、ファーストフードの店の癖に、閑古鳥が鳴いていた。
「あ、いらっしゃ……いませ」
 暇さ加減を表すかのように、カウンターの上に体を預けていた少女が跳ね起きて定型の挨拶を投げかけてきた。
 少々詰まらせながらも、笑みを浮かべてパピヨンを迎えられるのはこの店でも彼女だけである。
 半ばパピヨン担当にさせられている事もあるが、そんな彼女の笑顔は何処か煤けたような印象であった。
「ハンバーガーセットAを百個」
「こちらでお召し上がりですか? それともテイクアウトで?」
「こちらで」
「かしこまりました。少々お待ちください……嗚呼、慣れていく。この状況に慣れてしまった私」
 そう呟きながら奥のスタッフへと注文を言付けた少女は、パピヨンへと一番の番号札を渡した。
「お好きな席でお待ちください。出来次第、お持ちいたします」
「出来るだけ、早くしろ」
「あ、あの……」
 番号札を受け取り、てきとうな席へと向かうパピヨンの背中に、声がかけられた。
 振り返った先、先程注文を行ったばかりのカウンターにいるのは、当然バイトの少女である。
「パピヨンさんって、お名前だったんですね」
「だからどうした」
「私の担当する人なので、名前ぐらいは覚えておこうかと」
 事情を随分と簡略化されたバイト少女の台詞に、分からなければそれはそれで構わないとパピヨンは無視することにした。
 ガラガラの店内では席を探す手間もかからず、大人数用のテーブルに迷いなく座ってしまう。
 テーブルの上に番号札を放り投げたパピヨンは、即座に手持ち無沙汰な自分に気付いた。
 店内に設置されたテレビが垂れ流すニュースを真面目に見る気にもなれず、何気なしに人通りのない外を眺める。
 胸に湧き上がる苛立ちのままに学園都市を歩き回った時にも少し思ったが、まるでゴーストタウンであった。
 行く所へ行けばデモ行進が行われているらしいが、そちらの方には心底興味がない。
 興味があるのは、寂れた学園都市を歩いた時に感じた奇妙な感情、長く感じた事のなかった寂しさである。
 何故それを感じたかは不明だが、アレだけ騒がしかった学園都市の火が消えたような光景にそれを感じてしまった。
 自分をせせら笑う声を発する者たちが消えた事に良い気味だと思う事も、心がすくような気持ちになる事もなく。
 ハッキリしているのは、今の自分が自分らしくないと言うことであった。
「お待たせしました。出来上がり次第、順次お持ちしますので、まずはハンバーガーセット五つです」
「さっさと置け」
「はい、失礼します」
 パピヨンの不遜な台詞もなんのその、バイト少女は営業スマイルを浮かべてトレイに山盛りとなったハンバーガーをテーブルの上に置いた。
 そして何故か、重かったと両手を振った後にパピヨンの対面となる椅子へと座り込んだ。
「何をサボっている。さっさと残りをもってこい」
「只今、私は休憩時間です。ですので店の者に御用の際は、カウンターまでお越しください」
 本当にパピヨンに対して慣れてしまったかのように、一切営業スマイルを崩さないバイト少女であった。
 若干鬱陶しいと思ったパピヨンであったが、続いてやってくるであろう残り九十五個のハンバーガーセットAの為には食べなければならない。
 既に自棄食いは始まっているのだ。
 今目の前にある分など、十分も掛からずに完食してくれると、ハンバーガーの包み紙を開きはじめる。
 たが直ぐにその手を止めてしまったのは、包み紙を開ける音が自分の手元以外からも聞こえてきたからだ。
 その音の発生源は直ぐ目の前、バイト少女の手の中からであった。
「貴様、何をしている」
「あ、お腹すいちゃったもので。良いじゃないですか、私のお金なんですから」
「ならば、貴様も自棄食いに付き合え」
「自棄食い……すみません、冗談です。麻帆良祭の武道会でパピヨンさんが幻の決勝戦を行ったおかげで特需があったんです。だから、パピヨンさんを宣伝部長に据える代わりに、ただにしようって企画があるんです」
 百個ものハンバーガーセットAを自棄食いしようとしている人と一緒に自棄食いしたくなかったのか、直ぐにバイト少女が勘弁してくださいと頭を下げてきた。
 それでも一度包み紙を破いたハンバーガーには、しっかりとかぶりついていたが。
「皆が影でこの店をなんて呼んでたか、知ってます? 変人バーガーですよ。麻帆良祭の時なんか特に、皆がその噂を聞きつけて仮装のまま来店したり。もう、皆大っぴらに変人バーガーって呼んでます。店長までも、開き直っちゃって」
「気が向いた時にでも一日店蝶にぐらいなら、なってやってもかまわん。ただし、以降全てただにしろ」
「後で店長に伝えておきます。けど、それが実現するかどうか……」
 パピヨンから視線を外し、バイト少女が見上げたのは店内に設置されたテレビであった。
 麻帆良学園都市のローカルニュースが流されているらしき画面上には、麻帆良祭の最終日の映像が流されていた。
 二十二年周期、今年は二十一年であったらしいが、光り輝く世界樹。
 その光に誘われるように麻帆良都市に浮かび上がる魔法陣、その直後に突如現れたヴィクター。
 一瞬、そのヴィクターの姿を見てパピヨンは眉をひそめたが、直ぐに映像が切り替わり、各地のデモ行進の映像へと変わっていた。
 この魔法騒ぎが落ち着くまでは、この麻帆良学園都市がどうなるかは全く分からない。
「思い切って聞きますけど、パピヨンさんも魔ほ」
 半分程度は確信を持っていたようなバイト少女の疑問は、直ぐ耳元を通り過ぎていったハンバーガーに止められた。
 それが通り過ぎる時に起きた小さな風が、短い三つ編みを大きく揺らす。
 驚きから固まるバイト少女の目に映ったのは、背後から飛んで来たハンバーガーを片手でいとも容易く受け止めたパピヨンである。
 そのパピヨンが視線を動かした先へと、バイト少女も振り返ると、三人の少女達が居た。
「学園長室に呼び出されたはずの人が、何でこんな所にいるんでしょうかねえ?」
 ハンバーガーを投げつけたのは、何やらご立腹の様子の和美であった。
「か、和美さん、食べ物を投げちゃいけません。すみません、すみません」
「まあまあ、さよ殿。和美殿も最初からぶつけるつもりがあったわけでは……ないと思うでござるよ」
 さよが何度も頭を下げ、事なかれ主義であるかのように楓がフォローしている。
 理由は定かではないが、パピヨンの下僕の一号から四号までがここに揃ったわけであった。
 もちろん、バイト少女はその下僕三号である自覚はない。
「お知り合いなら、席を譲りますけれど……」
「気にするな、食いたければそこで食っていれば良い。貴様らこそ、どうしてここにいる? エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルから出歩くなと言われただろうが」
「一週間も誰も戻らなかったからエヴァちゃんの家に食料がなかったの。だから、ちょっと買出し」
「明日菜殿たちが出歩いては、エヴァ殿が後で怒るであろう事は明白、いいんちょたちもネギ坊主が心配するでござる。そこで一番当たり障りのない、出歩いても主が怒っても心配してもくれない拙者らの出番でござった」
 バイト少女の隣へと、ドスンとわざと音を立てるように和美が座り込んだ。
 続いて楓も、音は一切立てる事なくバイト少女を挟んで和美の反対側にスッと現れる。
 さすがにパピヨンそのものには慣れても、特に楓の気配一つなく座り込んできた事にはバイト少女が驚いていた。
「もう、パピヨン先生。口元にケチャップ……血がついてますよ。お手拭で、ちゃんと拭いてください」
「それぐらい、自分で出来る。鬱陶しいぞ」
「駄目です、放っておいたら絶対服の袖で拭うんですから」
 唯一パピヨンの隣に座ったさよは、触るなとばかりに腕で払われても、嬉しそうに口元の血をお手拭で強引に拭っていた。
「私の記憶が正しければ……パピヨンさんは、中学校の先生と武道会の紹介でもあった気が」
「私達は、全員パピヨン先生の生徒」
「特にさよ殿と朝倉殿は、パピヨン殿のお手つきでござる」
 さよとパピヨンのやり取りを見て毒気が抜けたように、バイト少女へと応えた和美であったが、直後の楓の台詞に咳き込んだ。
 その意味を正確に察しようと、パピヨンやさよ、そして和美を順番に指差し目を丸くするバイト少女の両肩へと手を置き、その顔を覗き込む。
 何やら尖がった目付きもさることながら、バイト少女の肩に置かれた手はぐいぐいと指先がめり込んでいた。
「違うから……さよちゃんはパピヨン先生にフォーリンラブだけど、私は違うから。私は、それに巻き込まれた、被害者なの」
「あの、痛いんですが。それに別にそこまで根掘り葉掘り聞くつもりも」
「お願い、正確に理解して。そして、真実を白日のもとにさらすのよ」
「そうなれば、パピヨン殿はクビでござるな」
 懲戒免職、昨今のニュースでありがちなテロップが脳内で流れたのか、和美の態度が急変する。
「そうでもなれば、毎日会えなくなるさよちゃんが可哀想だし、友達の為に我慢するのが友情って奴よね」
「今気がついたんですけど、この人ってもしかして武道会の司会をしてたツンデレさんですか?」
「意外と自分の事となると思うように動けない、損な性分でござる」
「なにか言った?」
 いえ、何もと三号と四号と言う連番同士、息のあった声で返していた。
 和美自身はそれで納得したようにも見えなかったが、これ以上この話題を引っ張るつもりもなくなったようである。
 ツンデレと言う言葉自体、和美にとってはタブーとなっている為、当然だろう。
「で、エヴァちゃんとネギ君は、まだ学園長室?」
「知らん、興味もない。超鈴音が行った事の説明を受けたが、それがどうしたと言う所だ。世界が変わろうと、俺には関係ない」
「そうですよね、パピヨン先生はずっとここで先生をするんですもんね」
「勝手に決めるな、相坂さよ。俺が何をするかは、俺が……」
 超人パピヨンとなるより以前から、蝶野攻爵と言う人であった時からずっとそうしてきた。
 選択肢とは、他人から与えられる物ではなく、自ら作り出すべきもの。
 だというのに、今の自分の目の前には選択肢が見えない、また自ら作り出そうという気持ちが欠けていた。
 それは何故か、足りないからだ。
 何がかまではまだ分からないが、再び胸の中で燻り出した苛立ちが食欲を増殖させる。
「パピヨン先生……そんなに食べて大丈夫ですか? お腹とか壊す程、食べちゃ駄目ですよ」
「平気だから、そうしてるんでしょ。そうなっても、パピヨン先生の自業自得よ」
「相変わらず、パピヨン殿にだけ冷たい素振りをするでござるな。にんにん」
 ハンバーガーセットAの五人前だけを見ている三人は、心配半分、大丈夫だろうと言う気持ちが半分であった。
「お待たせしました。追加分、二十五個お持ちしました」
 だが、店員が追加分として出来立てを持ってきた時点で、その顔が引きつっていた。
「おふぉい、ひゃんひゃんもっひぇこひ」
「えっと……」
「直ぐに残りも持ってきて欲しいだそうです」
 二十五個分のハンバーガーセットを持ってきた数人の店員は、バイト少女へと視線を向けて答えを求めていた。
 バイト少女は口にものを詰め込んだパピヨンの言葉を正確に理解し、さらに追加分がある事をしってもあっけらかんとしている。
 ある意味でパピヨンを理解した姿に、同じ仲間の店員たちは恐れおののき、客である三人の少女達は強敵現ると目付きを細めていた。
「少々お待ちください。それと、二番でお待ちのお客様。カウンターへとお越しください」
 頭を下げ、ついでだとばかりに店員の一人がさよたちのテイクアウト分が出来上がった事を告げて戻っていく。
「朝倉さん、出来たそうですよ」
「ごめん、さよちゃん。私カメラより重いもの持った事ないんだ。楓、行ってきてよ」
「むう……拙者、忍具よりも重い」
「はい、ダウト!」
「だ、だうとです!」
 楓の言葉に、さよと和美が同時に指差していた。
 それは嘘と言う意味ではなく、あの巨大手裏剣を軽々と扱うのに何を言っているんだと言う意味であるが。
 ちなみに、密かに怪力スキルを持つさよは、言い訳なしにパス一を出せた事に安堵していた。
「余計な事は言わずに、さよ殿にパスするべきでござった」
 不覚とばかりに呟きながら、楓がテイクアウト分をとりにカウンターへと向かう。
 まずは一人が脱落とさよと和美が息巻く目の前で、すっとバイト少女が席を立ち上がった。
「そろそろ休憩時間が終わりなので、仕事に戻ります。パピヨン先生、あの話は考えておいてください。それでは、ごゆっくりどうぞ」
 そして、満面の営業スマイルと意味深な台詞を置き土産に去っていった。
 なんと鮮やかな引き際か、さよと和美は胸に抱くもやもや感の行き場を失くして戸惑うしかない。
 もっとも、あの話と言うのは別に二人が考えるような甘い話ではなく、一日店蝶の話だ。
 それを勘違い出来ると言う事は、二人共にパピヨンに対して少なからずそう言う気持ちを抱いているからである。
「パピヨン先生、ここには良く来るんですか?」
「ふぁあふぁあ」
 やや刺々しい言葉で尋ねる和美の質問に、ハンバーガーへと噛み付きながらパピヨンが応える。
 だがさすがにこれだけ短い返答であれば、何を言っているかはわかると言うものであった。
「ファーストフードばかり食べてちゃいけません。そうです、これからのパピヨン先生のお食事は私が管理します。お昼は特に、愛妻弁当とか……良いですね!」
「さよ殿、和美殿……行くでござるよ。あまり待たせると、皆が五月蝿いでござる。パピヨン殿も、あまり寄り道せずに帰ってくるでござるよ」
「どっちが目的なんだか。ほら、さよちゃん行くよ。たまには、放っておいた方が良い場合もあるって」
「絶対、無理にでも男子寮に突撃しますから。外食は控えてください!」
 なおも食い下がろうとするさよの手を引いて、和美が楓のいる出入り口まで引っ張っていく。
 再び店内には、パピヨン一人だけが残され、黙々と残りのハンバーガーセットAの処理を続ける。
 その勢いは当初よりも早く、勢いづいていた。
 答えが、理由も見えずに胸に湧き上がっていた苛立ちの答えが見えてきたからだ。
 パピヨンは、人を超えた人である超人、それのなりそこねだがそれなりに自身を誇りに思っている。
 そして先程までいたさよや和美、楓、他にはこのロッテリやのバイト少女など、誰もがパピヨンと言う名前で呼んでくる。
 当然、パピヨンがパピヨンだからだ。
 皆が皆、パピヨンと言う存在を認識して、その名を呼んでいる。
 それそのものに問題は無く、パピヨン自身がそう呼ばれる事を望んでさえいた。
 だが、この世界で蝶野攻爵を知る者は誰もいない、居なくなってしまった。
「誰だ……居たはずだ、俺の名を呼ぶ誰かが。そして、その誰かが居なくなり、俺の名を呼ぶ者は誰も居なくなった」
 記憶の何処を探しても蝶野攻爵を呼ぶ者は見つからないと言うのに、理性ではなく感情がそう言っていた。
 この世界、超鈴音によって魔法が表ざたとなったこの世界には、蝶野攻爵と言う名前を呼ぶその誰かがいない。
 ならば、この世界になる前の世界ではどうであったのか。
 確信は何一つなく、論理的な説明も出来るわけではない。
 だが、超鈴音により作り変えられてしまったこの世界が、本当に魔法が表ざたとなっただけの世界だとは誰が証明できる。
「超鈴音が創り上げたこの世界に興味がないんじゃない。俺はその誰かがいないこの世界に興味がない」
 だとすれば、どうするのか。
 答えは一つしかなかった。
「超鈴音、貴様が創り上げたこの世界を破壊するまでだ」
 今目の前にあるハンバーガーセットAを全て抱えると、パピヨンはロッテリやを後にする為に、立ち上がった。





 ロッテリやを後にしたパピヨンが向かった先は、世界樹の広場である。
 世界の情勢が変わろうと、世界そのものは変わらないとばかりに、若葉色の両翼を空へと広げていた。
 そしてその世界樹を前にして広場にて行われているのは、魔法使いを排斥しようとする集会であった。
 集会の主催者か、魔法反対と言う文字を鉢巻に入れて頭に巻いた中年の男が、マイクを手に群集に向かって叫んでいる。
「魔法使いは、世界を我が物顔で作り変えている。だが、魔法は無ければならないのか? いや、魔法が無くても世界は回るのだ。挙句、彼らはその魔法によって本来はありえなかった危機を我らに与えただけだ!」
「魔法使いは、麻帆良学園都市から出て行け!」
「責任をとらせろ、頭を下げさせろ!」
 男の声に続き、腕を振り上げながら群集の中から声があがる。
 主張なのか、流れに乗っただけなのか、不満をぶつけられるのなら何でも良いのかは不明だが。
 だがパピヨンはそんな者たちを目に止める事も無く、世界樹の大きすぎる幹の正面に回りこむと、その背中に蝶々の羽を生み出した。
 魔力によって生み出された羽を羽ばたき、世界樹へと向けて飛び立った。
 世界樹の広場からは丸見えであった事から、排斥を叫ぶ声が一端終息し、再度過熱する。
「見ろ、魔法使いだ。空を飛んでいるぞ、人間じゃねえ」
「ちょっと待て、アレは……蝶々の妖精じゃないのか?」
「どちらでも良い。おい、俺達を無視するな。こっちへ来て、土下座しろ。責任を取れ」
 その声に煩わしさを感じたパピヨンは、スーツの中に手を入れると一冊の本を取り出した。
 空を飛ぶパピヨンによって放り投げられた本は、羽のようにページをはためかせながら、群集の目の前へと落ちていった。
「初級だが、魔法の指南書だ。好きに世界を変えられたくなければ、同じ力を持てば良い」
 パピヨンからすれば、過剰ともいえる施しであった。
 だが、群集はそれを理解せず、地面に落ちた本を蹴り飛ばし叫んだ。
「話をそらすな。ヴィクターとか言う化け物を生み出した責任はどうするつもりなんだ。責任が取れなければ、出て行け!」
「そうだそうだ!」
「ニア・デス、ハピ・ネス、パピネス。来たれ、破壊の爆炎、黒死蝶」
 施しを理解されなかった事が癪に障ったわけではなかった。
 パピヨンからすれば、煩わしさが増した、その程度の話なのである。
「俺は怠け者に生きている価値などないと常々考えている。貴様らは一体何がしたい。世界を変えられたくなければ、それに抗う力をつければ良い。力を求める事も無く、ただただ要求を口にするばかり。貴様らは総じて、価値がない。行け、黒死蝶」
 躊躇無く、群集へと向かった黒死蝶を前に、その意味が理解される事はなかった。
 魔法使いを排斥しようとしながら、彼らは魔法を全く知らなかったのだ。
 それは情報と言う波に弄ばれ、自らが何をしようとしているのか理解しようとしていない事を示していた。
 数羽の黒死蝶が群集へと飛び込み、炎を生み出そうとする。
 その瞬間、群集まで後わずかと言う距離を残して、黒死蝶が何かと衝突したかのように爆ぜ、炎を巻き上げた。
「パピヨン君、君の理屈は強者の理屈だ。誰もが君のように強いわけじゃない」
 黒死蝶を撃ち落したのは、高畑である。
 居合い拳を撃つ構え、スーツのポケットに両手を忍ばせた格好で、炎に脅え逃げ出そうとしていた群衆の前に現れた。
 大半の群集は逃げ出したが、腰を抜かした者など逃げ遅れた者を守るように立ちふさがった。
「ふん、それこそ強者の理屈だな。弱者は強者に守られていれば良いと? 弱者は弱者のまま……一生、醜い芋虫のままその生涯を生きろと。否、断じて否だ。人は華麗な蝶に生まれ変わる事が出来る。その機会を奪う権利は誰にもありはしない」
 痛い所を突かれたとばかりに、高畑の顔が歪む。
 知っているからだ。
 力のない弱者だからと言って、誰もが庇護を求めているわけではないと。
 地域によっては、魔法使いの介入により確実に人的被害が減らせると分かっていても、それを拒む所もある。
 その人たちは多少の犠牲はあれど、自分達で目の前の問題を解決できると信じているからだ。
 実際に、その力があるかどうかは関係ない。
 出来ると信じている者たちの意思を退け、力があるからと介入を続ければ、それはもはや支配である。
「この話は何処までいっても平行線になるのは目に見えている。パピヨン君、今回は被害が無かったから見逃すけれど、次はないよ」
 元々、この集会を解散させる為に来たであろう高畑を見て、パピヨンは蔑むような目を向けていた。
 パピヨンがやらなくても、最終的には高畑が群集を散らしていたのだ。
 力の使用の有無はさておき。
 再び世界樹へと向き直ったパピヨンは、両手をその幹へと触れさせた。
「パピヨン君、一体何を……」
「貴様の関知する所のモノではない、と言いたいが。教えてやる。魔法は万能ではない、当然の事ながら劣化する。火を起こしても、魔力を供給し続けなければいずれ消える。この事実から、一つの不可解な事が浮かび上がる」
 パピヨンの言葉を耳に傾けながら、高畑は何時でも動けるように身構えたままであった。
「それは?」
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの記憶だ。奴は、つい最近まで自分の父親が初代ヴィクターだと言う事を知らなかった。例えその記憶を消されていたとしても、六百年の歳月をも消したままでいる事は可能か? 魔法が劣化すると言う事実から、それは不可能だ」
「確かに、不可解だが……まさか、その為の世界樹、神木・蟠桃?」
「その通りだ。劣化を防ぐ為にこの世界の聖地とこの世界樹が利用された。そして今回もまた、超鈴音は世界樹を利用した。皮肉だな、全てを覆い隠すはずの世界樹が全てを白日の下にさらしているのだから。そして、今もなお世界樹は強制認識をかけ続ける触媒となっている」
 世界樹の幹が、パピヨンの両手が触れている場所から縦に大きくひびが入った。
 人を喰うように、世界樹を喰っているからだ。
 超が生み出したこの世界が世界樹によって支えられているのならば、その世界樹を破壊するのはパピヨンとしては当然の行いである。
 だが、聖地である麻帆良学園を守る魔法先生として、高畑は賛同しかねた。
「君の推論が正しければ、魔法が世に広がるのは食い止められる。だが、世界樹が破壊されれば麻帆良学園の聖神性は少なからず削られる。まずは、学園長に報告だ。それからでも遅くは無い」
 恐らくは言葉だけでは止まらないだろうと、高畑は指摘すると同時に世界樹へと向いたパピヨンの背中へと居合い拳を放っていた。
 漆黒の蝶の羽を生やした背中へと居合い拳が衝突する瞬間、不可視の力によって弾かれる。
 その事に高畑が驚く間もなく、さらなる驚愕の事実が目の前に現れた。
 パピヨンが背中に背負う蝶の羽が七色の光を放ち始めたからだ。
 空を浮遊する為だけの羽ではなく、別の力が宿ったようにも見え、高畑はパピヨンの行為の本当の意味に気付いた。
「世界樹の力を、君自身の力にするつもりか!」
「同時に、破壊してもやるんだ。感謝して敬え」
 背中越しにしれっと言い放ったパピヨンを止めなければと、高畑はポケットから両手を出して豪殺居合い拳の構えに入る。
 その間にも世界樹へと入ったひびは、亀裂へと変わっていた。
 あれだけ青々としていた世界樹の葉も、季節はずれの枯葉となって舞い落ちる。
 その変化に伴い、パピヨンの背負う蝶の羽はより大きく、七色にへと輝きを強めていっていた。
「奴に勝つ為には必要な処置だ……」
 パピヨン自身、自らが口にした奴とは誰か不明であった。
 だが、世界樹への生まれた亀裂が根元から頂上にまで届く程に大きくなった時、その奴が脳裏に浮かび上がる。
 パピヨンは笑った。
 やはり、この世界は足りないモノがあったのだと。
 魔法がばれるぐらいたいした事はないと考えるパピヨンからすれば、平穏で詰まらないこの世界になかった張り合い。
「武藤、カズキ!」
 今まさに、背後から豪殺居合い拳が放たれようとしたその時、パピヨンがその名を叫んだ。
 豪殺居合い拳を、七色の蝶の羽で防ぎ、パピヨンは世界樹を喰らう為により手に力を込めた。
 世界樹が枯れる速さは一段と早くなり、最後には雷にうたれたかのように真っ二つに裂けて崩れ落ちていった。